新御徒町の近くに佐竹商店街というアーケードがあります。日本で2番目に古い商店街。地元の人に訊いたら「日本一古い商店街を名乗っているところはたくさんあるけれど、ウチは2番目ってことでやってるから」と笑っていた。アハハ、たしかに個性でている。
その佐竹商店街の通りを挟んだ向かい側にある、ひとつの都営住宅、台東小島アパート。1年前から建て替えに向けた動きが進みつつある。動き出した時計の針はもう誰にも止められない。いまのうちに、この目に焼き付けておこう。
見ての通り、堂々たるたたずまい。11階建て170戸。1Fにはかつて「三味線堀マート」というスーパーマーケットが入っていた。そのうえに集合住宅が乗っかっている。
小島社会教育館という公共施設も併設されています。建物は昭和39年(1964年)完成というから、最初の東京オリンピックのときだね。もう築60年! そりゃ老朽化もするってもんです。
へぇ、建て替えが始まっているのか。でも、すでに8月も終わろうとしているが。
むかし流行ったコンクリート打ちっぱなし建築とはわけが違います。エレベータも2基設置されている。まあ11階まであるから、そりゃ1台じゃ足りんわな。右奥のほうは――。
照明がないので暗い。自然採光しかないのは問題じゃないか? 圧倒的な光源不足。
掲示板は、おびただしい数のポスターと貼り紙であふれかえっている。
エレベーターも通電しているみたい。でも、手前にあったレトロな階段が気になるので、まずはそちらへ足を向けます。
てくてくと階段を上がっていく。この飾りけのなさがイイ。薄柿色の手すり、生成り色の壁。
壁面の亀裂には補修跡がある。むき出しの配管が天井を這っているけれど、そこまで古臭さは感じないな。
2階に到着。
近代建築物の取り壊しでは、避けて通れないアスベスト問題。
さらに3階まであがると、ここにも集合ポストが。1Fエントランスにあったものとは別なのかな。デザイン的にはこっちのほうが好き。
通路を見渡す。退去済みなんでしょうね、ぜんぜん人の気配がありません。すぐそこが大通りなのに、まったく音が入ってこない。寂として静まり返ったフシギ空間です。
かつて数えきれないほどの人の往来があった場所、あちこちで扉の閉まる音がバタンと響き、子どもたちの嬌声と走り回る足音を聞いた廊下。いまはもう、みんな疲れた顔をして口を閉ざし、だんまりを決め込んでいる。
新居への引っ越しが終わったら、ここにカギを返しておいてくれ、ってことか。一斉退去だとさすがに人数が多すぎて、退去後のカギ返還まで個別対応しきれなかったのかな。
ドアポストの向こうに見えるのは、きれいに清掃された空間。退去者が部屋を出たその時のまま、時間がとまっている。奥のガラス戸は上部に空気採りのスライド式小窓がついている。これも最近の建築ではもう見ないですね。
通路に戻ってさらに先へ進む。建物は上から見るとコの字型の構造になっていて、いま歩いている通路と並行して反対側にも通路が走っている。あいだの中庭みたいな空間にある腐食したパイプを見ると、老朽化の深刻さを改めて感じる。
音量注意!
これ、バイオハザードとかで見たことある気がする……。緊張感が半端ないです。
上層階が気になりエレベータで11階へ。
開け放たれたガス水道メーターの扉が、すでに誰もいないことを暗示している。
11階のうえは……屋上か。ここまできたら、行くしかない。無意識のうちに足は階段へ。
階段をのぼりつめた先にあったのは Gate of Heaven
背後には消防設備。ナース? 一瞬頭が真っ白になったけれど、ホース格納箱ね。それにしても、こんな屋上に置いておくものなの?
私物放置厳禁の貼り紙も多数。
よし、じゃ、気を取り直して行きますか。
そこに拡がっていたのは……かつての空中庭園のなごりだった。
入居者が各自のスペースを割り当てられて、そこで草花を育てていたのかな。それもいまは――。
退廃的な景観と夕陽の橙色、そして空の青さの対比が、強烈な非現実感を呼び起こす。
振り向けばエレベータ棟
屋上の端っこでは、すでに使われなくなった焼却炉が眠っていた。
中庭部分をふと見降ろすと……ヤバイヤバイ。
屋上を一周して、ふたたびエレベータ棟へ。さて、いつまでも夢の世界にとどまることはできない。そろそろ地上に戻る時間。
しばしのタイムトリップ、そして現代へ。
倒壊の危険性や耐震基準、治安、維持修繕費、景観、機能面での立ち遅れなど、いろんな理由によって古い建築物は取り壊されていき、この小島アパートも例外ではないです。
物理的に保存し続けることは現実的でないけれど、情報をデジタル化し、精巧なレプリカとして仮想現実の中で再現できれば、こんなに素晴らしいことはないと思うんだ。
いまの技術を考えると、「再現」することに関しての進歩は目覚ましいよね。最新のゲームエンジンで描かれる世界なんて、写真と見分けがつかないほど精密だし、3Dサウンドで背後からも声が聞こえるし、VRで没入する世界はそこに自分が存在するかのように錯覚させてくれる。
でも、その「再現」の前工程である「アナログな現実を子細に読み取って正確にデジタルデータ化すること」が非常に困難なんだよね。言い換えると、現実世界を設計図に描き起こすことが難しい。
だって、目の前にある世界の情報(座標と音だけでなく、におい、味、触り心地も)を、自分が知覚していないレベルまで含めて正確に把握する手段が、まだ存在しないからね。
ただ、これも現実を写し取ろうとするから無理が出るんであって、現実を予想する、おそらくこうだろうと想定する、のであればすでにAIで実現可能になっている(教師あり学習)。要は発想の転換。アタマを柔らかくして考えれば、やり方はある。「それは厳密にいえば保存ではない」と言われるかもしれないけれど、何のために保存するのかと考えると、そういう方法もアリじゃないかと思うんだよね。
近代建築物の保存活動は今のところ厳しい状況だけれど、未来に小さな光が見える気も、なんとなくしているわけです。