東京都江東区、錦糸町のとなりに亀戸という町があります。都が指定する副都心のひとつだそうですが、Googleで検索すると「亀戸 危ない」という候補がトップに出てくる🤪 まあいいじゃない、そこは下町のご愛敬です。今回は、そんな川に囲まれた海抜ゼロメートル地帯を歩きます。
2023.07.07
いまから1年前、ちょうど七夕の日。あまのがわに星が瞬き、織姫と彦星が出会いを待つ、そんなロマンチックな日に亀戸へ降り立つ男がひとり。
音量注意!
そして、さらに1年後、おれはふたたびこの地を訪れた。
2024.08.24
音量注意!
1945.03.10 未明
いまから80年前。それはとても風の強い日だった。日付が変わったころ、東京の下町へ飛来したB-29による爆撃が始まった。
戦況は悪化の一途をたどっていたから、空襲なんてべつに珍しくもなかったけれど、この日のそれは普段と違っていた。
大量の爆撃機が低高度で頭上を飛び交い、無差別に焼夷弾をばらまいていく。方々で上がった火の手は、強風にあおられて町全体へと燃え広がり、そして退路を断たれ生きたまま焼かれていく人々。
泣き叫ぶ声と絶望。
炎をくぐり抜けた人々は、熱さから必死に逃れようと川を目指したんだ。そして川は人々で埋め尽くされた。もちろん、生きている人ばかりではなく。
これはただの虐殺の歴史。大義も何もあったもんじゃない。
墨田川しかり、荒川しかり。東京下町にはそんな過去を持つ川がたくさんあり、この旧中川もそのひとつ。
毎年8月15日には、この場所で亡くなった方々へ向けて灯籠流しがおこなわれる。昨年は台風で灯籠流しが中止になり、今年は行こうと思っていたんだけれど、例の感染症にかかるという大失態🥴
───だから───
1週間おくれだけど、
ひとりでいってきたんだ。
お手製の灯籠をこしらえて。
音量注意!
いまはこんな平和な時代だけどさ、じいちゃんばあちゃんの時代は簡単に人が死んでいたんだよな。朝にあいさつした人も、夕方にはいなかったり。それが日常的に繰り返されていて、そんななかでも喜びや笑いがあったんだから、なんだか信じられないね。
亀戸第二アパートが築60年。そう考えると、この川で起こった歴史も昔話にするにはまだ早いのかもしれない。
燃えるものがすべて燃え尽きてようやく鎮火した東京は、遠くが見通せるほどに文字通りなにもなくなってしまった。その街を先人たちが一つひとつ立て直してここまできたんだとするなら、やっぱり行動するって大事なんだと思う。
あれこれ講釈たれるのは簡単だけど、今の自分にできることを考えて、自分の意志で行動に移すことがまず第一歩だよね。正解なんてないんだから。
───だれに指示されるでもなく───
───自分の内なる声に耳を傾け───
───心のおもむくままに───