平家の落人がやってきた〈前篇〉
ある日、私はメロスの如く激怒した。
ベランダの植物に水を遣ろうとしたところ、GWにお迎えしたレモンの若葉が漫画のようにめちゃめちゃに食い荒らされていたのである。黄緑色の瑞々しい葉っぱが枝の先にたくさん増えて行くのに日々生命力を感じていたのに。
葉の上には昨日までいなかった黒とグレーのげじげじした小さな虫が4匹も突然登場しており、その容貌から全身が総毛だった。
全く想定だにせぬことだったから、その惨状を写真に収め、SNSで金切り声を上げたのだった。
レモンの若葉がめたくそ食い荒らされて、4匹も虫ついてる!!涙
それにしても、である。
低層階ではないマンションのベランダで、そもそもこれまで植物に虫がついたことなど経験なく、しかも一夜にして恐ろしい量の葉が齧られている目の前の現実に呆然とする。
現実を認めたくないが、そして虫などに関わりたくはないが、このまま放置すればレモンの窮状はたちまちジェットコースターの如きスピードで地獄絵図へと突入するだろう。
叫び声を理性の力で喉の奥へと押し込むと、割り箸を使って冷静に虫を葉から引き剥がし、ベランダの手すりから外に投げ捨てた×4回。
葉に体を繋ぎ止めていたのか、細かい無数の糸が剥がれるのが見えた。
また叫び声が喉の蓋を破りそうになるのをかろうじて押しとどめ、割り箸を捨てて記憶からなかったことにと消去した。
外には細かい雨が降りしきっていた。
ひとしきり仕事をしたのち、SNSをふと覗くと先ほどの投稿に1件のリプが付いていた。
……なんだと?!
ただの害虫かと思い駆除したる、かのげじげじした気味悪い幼虫が揚羽蝶?!揚羽蝶だと?!
ということはなんだ、私は日ごろ平家贔屓をあれほど標榜しておきながら、平家のシンボルである揚羽蝶を自らの手で投げ捨てたというのか?!
アゲハチョウーーー!!!!
今度こそ奇声を上げながらマンションの1階まで飛んで行き、雨水に濡れるエントランスの床を狂ったように探しまくると、
い、いた…!!
2匹ではあるが、確かに私が上階から落とした小さな幼虫が白色のタイルの上にひっそりと鎮座していた。雨の影響が心配ではあったが、救助して手の上に乗せてみると、大きい方は「あれ、ここどこ…?」とでもいうように頭を動かし始めたのであった。
落下してなお無事でいる…まさに平家の落人である…!落ちぶれさせてすまなんだ!!
さあ、波の上の都へと…!
(ご参考:壇ノ浦「浪の下にも都の候ぞ」)
あれほど毛嫌いしていた2匹が平家とあっては何としてもお救いせねばならぬ、という一心で手の上に着座いただき部屋に連れ帰り、元のレモンの葉へとお戻し差し上げた。
思う存分、レモンの葉を食んでいただくがよい。
古巣の葉に乗せられた大小の兄弟は、風に揺れながら心なしか安心して見えた。
8月20日、うちに平家の落人がやってきた。
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