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【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【25】

退庁後、ソジュンは、地下駐車場にある自分のジープに向かって歩いていく途中で足を止めた。

ドハの車の前に複数の車が横付けして駐車してあるのを見たからだ。

ドハの車がうまく出られるように、前を遮る車を押したソジュンは、背後に人の気配を感じ、ビクッとして振り返った。

両手をズボンのポケットに突っ込み、冷たい視線でソジュンを睨みつけたウンソンが尋ねた。

「親切も度が過ぎていませんか? 宜しければその理由を伺っても?」

「車を出すときに面倒だと思っただけです。困っている同僚を少しくらい気遣うのが、度が過ぎた親切だとは思いませんが」

「俺の車の前にも横付けした車が止まっているんですが、俺のはどけてくださらないんですか? 俺は困っている同僚ではないとでも?」

ソジュンが何も答えられないでいると、ウンソンの瞳が徐々に攻撃的になっていった。

「まさかとは思いますが、ドハに特別な感情を抱いてはいませんよね?」

図星を突いたウンソンの直接話法は、全く逃げる隙を与えなかった。

ソジュンは口を真一文字に結んで固く押し黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「特別な感情を抱いてはいけないのでしょうか?」

ソジュン自身、口にした後になってようやく、どれほど大胆なことを言ったかを悟ったのだった。

暫く、ウンソンの顔が、怒りか戸 惑いか見分けのつかない表情に歪んだ。

「チーム内では秘密にしているから、ご存知ないようですね。ドハと俺はもうすぐ結婚するんです。ですので、出しゃばったマネは他のところでやっていただきますよう、お願いしますよ」

ウンソンはそう吐き捨てると、退庁せずにドハを探しにオフィスへと上がっていった。

その頃ドハは、ケビンと休憩室でコーヒーを飲んでいた。

「僕の日本人の彼女のユミの話を聞くと、韓国人は日本に干渉しすぎだと思います。

日本の学生たちは小さい頃から、昔日本が戦争を起こしたことは本当に間違った選択で、それによって他の国々にたくさんの被害を与えたと耳にタコができるほど教育を受けるそうなんです。

それから、日本の天皇や首相とかが過去の歴史に対して37回も謝罪したそうですよ。

それなのに韓国は、いくら謝罪をしても認めてくれもしないどころか、謝れば謝るほど要求の数をどんどん増やしていくんだと言っていました」

幼少期を日本で過ごしたため、ドハも日本人の考え方はよく知っていた。

しかし、ドハはケビンに韓国人の考え方を教えてバランス感覚を持たせたいと思った。

「謝罪というのは真心があってこそのものだけれど、日本が謝罪をした後に行った行動、つまり靖国神社の参拝や教科書での歴史の美化、軍備拡大などを見ていると、韓国人の立場からは、謝罪に真心があるとは信じ難いのよ」

「ユミが話していたんですが、靖国神社参拝は、そこにいる人々に対して、よくぞ戦争を起こした、私たち子孫も見本にして戦争を起こします、という気持ちですることではないんだそうです。

結果的には間違ったことをしたけれど、そのひとたちが命を捧げるほど 祖国に対する愛が強かったから、その愛国心に対して感謝をするだけなんだそうです」

「もし、ドイツの首相が、ヒトラーの墓地を定期的に参拝する一方で、ヒトラーが他国の人々に対して被害を与えたことは間違いだったけれど、ドイツ人の立場からするとドイツの国益のために力を尽くしたのだから、その心と犠牲に感謝をしているだけだと話したら、ヨ ーロッパの人たちは理解してくれるかしら?」

「教科書問題については、ある家で父親が子供を教えているところに別の家の人たちがやってきて、教え方を指図するなんてことはできないとユミは言うんです。

他の国々も自分の歴史をある程度は美化しているし、韓国の方こそ自国と自国の歴史を誇張して美化するレベルが世界トップクラスだって話していましたよ」

「被害者と加害者の立場はちょっと違うと思うわ。

被害者が被害を受けた過去を美化することは、他の人に被害を与えはしないけれど、加害者が過去を美化すれば、そうやって教育を受けた子供たちが後々他国を侵略する可能性が高まるんじゃないかしら?

だからそれは、その国内部の問題にはとどまらないのよ」

「そうですか? ユミの話を聞くとユミの言うことが正しいと思うし、姉さんの話を聞くと姉さんの言うことが正しいような気がするし…」

ケビンを見て、ドハは世代が早いスピードで変わっていくのを改めて実感した。

将来、日本のユミたちが韓国のケビンたちに謝罪をすることになるのだろうか。謝罪をしたとしてもそれが心からの謝罪になりうるのだろうか? 

たとえ心からの謝罪だとしても、韓国のケビンたちは日本を許す資格があるのだろうか?

「姉さん、両方の国が独島をめぐって争うんじゃなくて、独島を共有したらダメなんでしょうか? 

島の名前も、平和の島とか友情の島とかにして、近くの海域も共同開発して。

そうすれば韓国にとっても日本にとっても良くて、とっても一石二鳥じゃないですか?

どうせ独島問題は、このままだと千年経っても解決しないでしょうし」

「星の王子さまが、数千のバラの花が咲くバラ畑を通り過ぎながら言った言葉があるでしょう。

『君たちは僕の星にある僕のバラの花のように美しく、数千輪にもなったけれど、僕には何の意味もない。

僕に意味があるのはただ、僕の星にあるバラの花だけなのだから。僕が水をやった花はあの花なのだから。

僕がガラスの覆いをかぶせてあげた花はあの花だけなのだから。僕が風よけを立てて守ってあげたのはあの花だけなのだから。

あの花のために虫をとってあげたりもしたな。僕が不満に思うこと、自慢したいこと、あるときには黙っていたことも、みんな聞いてくれたのはあの花なのだから』と。

日本にとっては、独島は数千ある島の一つに過ぎないけれど、我が国の人々にとっては、独島は星の王子さまのバラの花と同じなのよ。他の島と代えることができない島なの。

特に独島は、日本に国を奪われたときに一番初めに奪われた領土なのだから、日本と共有するなんてことは韓国人には考えられないことなのよ」

会話をしている間、ケビンが携帯にぶら下げた何かをぐるぐる回すのをドハは注意深く見つめていた。

カエルのような顔に亀の甲羅をつけたぬいぐるみだ。

それは何かと尋ねると、ケビンが自慢げに話した。

「ユミがくれたもので、『カッパ』とか『ガラッパ』っていう日本の伝説上の生き物なんだそうです。

海に住んでいたのが上陸したそうなんですが、頭の水がなくなると力が出なくなるんだそうです。

日本の妖怪の一つで、アメリカで言うミッキーマウスみたいに、日本では知らない人はいないそうなんです」

言われてみると、ドハも日本に住んでいた時、マスコットのように描かれたカッパの模様を時々目にしたことを思い出した。

ケビンが携帯電話からカッパのぬいぐるみを外すと、いきなりドハの前に差し出した。

「姉さん、これあげます」

「あ、大丈夫よ。彼女がくれたんでしょう? 私にあげちゃダメじゃない」

「ああ、ユミとは別れたんです」

「もう? つい3、4ヶ月前に付き合い始めたと言っていたばかりじゃない?」

「そうです。でも、あの子はタバコをたくさん吸うから、キスをすると灰皿を舐めているみたいで。だから僕から振ったんです。姉さんはタバコを吸わないでしょう?」

「ええ」

「じゃあ、一度僕と付き合ってみませんか?」

ドハが驚いた目でケビンを見つめる視線の先に、屋上のドアの脇でケビンを睨みつけていた大きな影があった。

「おい貴様、何のマネだ?」

ウンソンが大股に歩いて迫り、ケビンを恐ろしい顔で睨みつけた。

「あ、兄貴、いらっしゃったんですか?」

「兄貴と呼ぶなと言っただろうが」

「あ、はい、き、キム検事」

ウンソンは、ケビンの手にあるカッパのぬいぐるみをつまむと、隅々まで調べ上げた。

「これが、日本人の彼女がくれたやつか」

「後ろで全部聞いていたんですか?」

「どこで知り合った」

「ナイトクラブで遊んでいたときに会ったんです。どこで出会おうと良いじゃないですか」

「今、日本と深刻な状況にあるのが分からないのか? そいつが日本のスパイだったらどうする。お前、もしかして、俺たちの訴訟の準備状況をそいつに洗いざらい話しているんじゃないよな?」

目を丸くしたケビンは首をしきりに横に振った。

「ユミはそんな子じゃないです。頭の悪い子ですよ」

「『洗いざらい話していない』と言わないのを見ると、あれこれ話したことは確かのようだな」

「いいえ、た、大したことは話しませんでしたよ」

「万が一、お前の流した話のせいで問題が生じたときには、法的責任を取ってもらうからな」

法的責任という言葉まで出てくると、ケビンは怯えきった表情になった。

ウンソンはカッパのぬいぐるみを自分の携帯電話にぶら下げた。

驚いたケビンが、確かめようと尋ねた。

「兄貴、あ、いえ、キム検事。何をしているんですか?」

「これは俺が押収する。日本の女がくれたものだから、盗聴器が隠されているかもしれないだろう。

お前はとっとと下に行って、ユミとか何とかって女との関係を整理しろ。

俺はイ・ドハ事務官に話があるんだ」

仕方なく降りて行くケビンの姿を見て、ドハはウンソンをたしなめた。

「ケビンのこと、もうちょっと気を遣ってあげてよ。不慣れな場所だから寂しくなるのよ」

「お前が俺たちの関係を明かさないから、変な奴らがこう何度もやって来てはちょっかいを出すんだろうが」

「ケビンはまだ若いからよ」

「俺が言ってるのは、ケビンのことだけじゃないぞ」

誰もソジュンの名前を口にしなかったが、ウンソンがソジュンの話をしていることはドハも分かった。

ドハとソジュンの間に親密さが少しずつ積み重なっていくのを、3人はそれぞれ感じていた。

彼の声がヒソクの痕跡と似ているからだけではなかった。

親切でも細やかでもないが、ボディーガードのようにそっと傍で見守ってくれるような、重々しくも親しみのあるソジュンの存在感を頼って、ドハは父を亡くした心の傷を癒していたのだった。

「ドハ、俺たち、結納は省こう」

「え? いきなり何よ?」

「お義父さんが亡くなったんだから、結納をする必要もなくなったじゃないか。だからもう、直ぐにでも結婚しよう」

「一旦裁判が終わってから考えさせて。お父さんが亡くなってからまだ日も経ってないし、訴訟の準備のせいで息つく暇もないじゃない」

「じゃあ、裁判が終わったら直ぐに結婚するんだな?」

ドハは即答しなかった。そうするとウンソンの声が一段と大きくなった。

「ドハ、裁判が終わったら結婚するんだよな? そうなんだな?」

「今日のウンソンは何だか変よ、どうしてこんなに嫌な気分にさせるのよ?」

「人を嫌な気分にさせているのはそっちの方だろうが」

ドハは椅子から立ち上がった。

「もう中に入りましょう。私、家に帰らないと」

「話が終わるまで帰らない」

「嫌よ、今日は話したくない」

ドハは席を立った。

するとウンソンは大股で歩いてドハの前に立ちはだかり、何か決心をしたかのように息を大きく吸って尋ね た。

「ドハ、俺のこと、許してくれるか?」

ウンソンが判決を待つ被告人のように不安がっているのをドハは感じた。

大丈夫よ、愛しているわ、あなたと結婚するから何も心配しないで、と軽く肩を叩いてあげたかったが、正直ドハは自信がなかった。

「ウンソン、あなたは私にはもったいなさすぎる人だわ。今まであなたからどれほど多くのものを受け取ったきたか分からな い。でも、正直なところ、確信が持てないの。ごめんなさい」

苦笑いを浮かべたウンソンは、力なく溜息をついて言った。

「何で謝るんだよ。縁があったからお前と出会えて、縁がなくなったから別れる。それだけのことだろう?」

ウンソンは更に何かを言いかけたがやめ、先にその場を後にした。

彼の長い影法師がよろめくように揺れて遠ざかっていった。

ドハは顔を上げて夜空を見上げた。滲んだ星々がきらきらと輝いて流れ落ちていった。

【26】へつづく

【画像】ミドロさま(AC)

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