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【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【24】

「では、卑弥呼女王の墓はどこにあるのですか?」

「卑弥呼女王の墓は、数十年もの間日本政府と学界が探し回っていますがが、まだ見つかっていません。

我々が檀君(タングン)の墓(※1)を探し求めるように、彼らが最初の王である卑弥呼女王の墓を探したいのは当然のことです。

日本では卑弥呼女王のことを「ヒミコ」と呼ぶのですが(※2)、1970年代には「ヒミコブーム」という言葉までできるほど、日本国民の間で関心が非常に高かったんです。

当時も日本政府はもちろんのこと、学界や民間の数多くの人々が九州中を隅々まで探し回ったのですが、結局卑弥呼女王の墓を見つけることには失敗 したのです。

ですが、私がお見せした『三国志』に卑弥呼女王の墓についての説明が短くあることはあります。こちらをごらんください」

※1 檀君・・・伝説の古朝鮮の最初の王とされる、天神桓雄と熊との間に生まれた伝説上の人物。韓国・朝鮮人の共通の祖先とされます。

※2 ヒミコ・・・この小説では「卑弥呼」は韓国語の漢字読みで「ピミホ」と記されています。

卑弥呼が死んだため、直径が百余歩にもなる大きな墓を作り、奴婢百余名を殉葬した。

(卑彌呼以死、大作塚、徑百余歩、徇葬者奴 婢百餘人)

ウンソンが目を輝かせて言った。

「ドハ、この前首露(スロ)王陵に行った時、首露王陵の周囲が300歩だったこと、覚えているか?」

「うん。ウンソンが首露王陵の周りをじかに歩いて確認したじゃない」

「円周の求め方は、直径かける円周率だろう? 円周率は3.14、つまりおよそ3だから、直径が100歩なら周囲は300歩になるだろう? 首露王陵と卑弥呼女王の墓の規模が一致するってわけだ」

「そうね。卑弥呼女王が首露王の娘という根拠がますます強くなったわね 」

黙って聞いていたソジュンがホン教授に尋ねた。

「ホン教授、それでは『ハチダイの上宮』はどこにあるかご存知ですか? おそらく、日本にあるどこかの地名のようですが」

ホン教授 は首をゆっくり横に振った。

「いいえ。日本に何度も行ったわけではないからかもしれませんが、『ハチダイ』という地名は初めて聞きました」

「それでは、ヨノ・セオ夫婦が行ったと推定される日本の地名の中に、『ハチダイ』と関係のある場所はありませんか?」

「ヨノとセオが初めて到着した場所として最も有力なのは、以前に申し上げた島根県の隠岐島です。朝鮮半島から最も近く、海流を考慮しても到着する可能性が最も高い場所ですからね。

その次の候補地は、島根県の出雲市です。出雲市は『出雲国』という神々の国があった場所です。出雲に古代王国を建設した神は、暴風の神である『スサノオノミコト』です。

このスサノオノミコトの姉が太陽の女神であり天皇家の神祖である『天照大神』です。

日本書記を読むと、スサノオノミコトは元々新羅の曽尸茂梨(ソシモリ)に住んでいたのですが、船に乗り東方へやってきて、出雲国にたどり着いたと記録されています。

ただ、この2つの場所に私は比較的頻繁に行ったのですが、『ハチダイ』という地名は耳にしませんでした。

ただ、『三国志』の中に、卑弥呼女王が統治した邪馬台国の位置を推測できる部分があります。

ホン教授は「三国志」の別の部分を指差した。

南へ邪馬台国女王の王都へ行く際には、水路で10日、陸路で一ヶ月かかった。帯方郡から女王の国まで一万二千里だった。

(南至邪馬壹國女王之所都、水行十日陸行一月、自郡女王國萬二千餘里)

「論争がありますが、帯方郡は現在の黄海(ファンへ)道鳳山(ポンサン)郡だと見る説が有力です。

当時の『里』は現在我々が使用する0.4キロメートルを意味するものではありません。国や地域によって異なるので、一里が正確に何キロメートルだったかは明らかではありません。

むしろ注目すべきなのは、『水路で10日、陸路で1ヶ月かかった』という箇所です」

ウンソンが推理を始めた。

「一日に歩ける距離が約20キロメートルだとして、水路で10日行って九州北部に到着した後、1ヶ月歩いたのだとすれば、九州北部からほとんど600キロメートル南に下らなければなりませんね。

とすると、九州南部地方になりますね。ホン教授、九州南部のどこかに伽耶の痕跡がある地域がありませんか?」

「有名な場所がありますよ。カラクニダケという山です。

日本の古代の歴史書である『古事記』には、日本の初代天皇である神武天皇の曽祖父に当たる『瓊瓊杵尊』(ニニギノミコト)が久士布流多氣(クジフルタケ)に降臨し、祭祀を行った後、近くのカラクニダケに登り、北の空を眺めながら、『ここは良い場所だ。韓の国を眺めることができるからだ』と言ったと記されています」

ドハは思わずはっとして言った。

「クジフルタケですか? それって亀旨峰(クジボン)(※3)の日本語読みでは?」

※3 亀旨峰(クジボン)・・・首露王が生まれた場所とされる小さな峰。

「その通りです。首露王の誕生説話と日本の『古事記』の天孫降臨神話には類似点が多いんですよ。

首露王もニニギノミコトも皆天から降りてきた点で似ており、首露王は赤い絹に包まれて降臨した一方で、ニニギノミコトは布団に包まれて降りてきた点も似てい ますね。

さらに、ニニギノミコトが登ったという山である『カラクニダケ』も、韓国語に翻訳すれば『伽耶の国の峰』となります。

日本の天皇の始祖が『伽耶の国の峰』に登り、『からくに』、つまり『加羅国(伽耶国)』を眺めて『良い』と言ったということは、日本の建国が伽耶から始まったという可能性を強く暗示するものです。

九州南部に霧島屋久国立公園がありますが、その国立公園の最高峰が霧島山です。その峰を登ると、立て看板には『韓国岳』、つまり韓国の山と記されているんです」

ドハが目を丸くして尋ねた。

「日本が卑弥呼女王の墓を探したときに、その場所は調べなかったんですか?」

「もちろん探しました。ですが、上手く行かなかったんですよ」

その言葉に、ドハはひとりため息をついた。

ホン教授は、参考にしてください、と言って、「三国志」と「三国遺事」の複写本を渡してくれた。

壁にかかった小さな絵だと思っていた父の暗号は、ベールが剥がれていくほど、教会の天井と壁まで覆う壁画のように巨大になって迫ってきた。

日本の皇室の祖先が韓国人だという話を時々聞いたことはあったが、それは国粋主義的な一部の在野の歴史家たちが無理矢理に出した結論だと考えてきた。

だが、中国や日本の歴史書や日本の現地の地名、父の暗号など、いずれも信じるに値する3つの根拠が合わさって見せる結論には、疑念を挟む余地はなかった。

首露王の王子と王女は暗号に出てくる太陽の姉弟とつがいのサンソクウであり、歴史書の中の神女(シンニョ)と先見(ソンギョン)王子、説話の中のヨノとセオの夫婦、「倭人伝」の卑弥呼女王とその弟、日本の神話の中の天照大神とスサノオノミコトと対応した。

太陽の姉弟が建てた国なのだから、国名が「日本」というのも当然だ。

父が暗号を通して示した場所が卑弥呼女王の墓だという事実までは明らかとなったが、その位置については九州南端のどこかということしか推測できなかった。

より具体的な手がかりは、暗号の次の言葉である「ハチダイの上宮」の中に隠れているはずだ。

だが、「ハチダイの上宮」が何なのか、その答えを見つけることはなかなかに難しく、答えを知らないまま無闇に日本へ向けて出発することはできなかった。

不思議なことに、父の暗号を1つずつ解き明かしていけばいくほど、暴風雨が目前に迫る中に咲き始めた花のように、希望はますます弱々しく感じられるようになったのだった。

【25】へつづく

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