自分に問う。おちつけてる?
最近はFBへのアクセスがほぼない状態だ。これはかなり久しぶり。もちろん、コロナの影響もある。
しかしなんだろう?本質は自分の投稿に対するノイズ?それがなくなったことに、結構すっきりしている。果たして必要な情報はそこにあったか?改めて振り返る。
違う、つながりをただ持ちたかった。その部分が大きいのかも。そのために多分いつも態々してた。
今はというと、雑多な情報で溢れかえっているTwitter、そしてコメントに価値があると思っているNewsPicksばかり見ている。
誰かが言っていたけれど、Twitterのように雑多で匿名性が高いSNSの中には、たまにキラリひかる情報が紛れていることもある。
そして、Twitterに流れてくるタイムラインを眺めていると、たまに、おちつく。
そこに面白さもあるし、自分が投稿したものがたまにバズるのも面白い。
匿名性が高いことで、ポストした人へのバイアスがないから、価値があると判断されればどんどん拡散される。良い情報も悪い情報も。
コロナ禍において、果たして今までわたしは自分に嘘をついていなかったか?大切だと思い込ませていなかっただろうか?を問うようになった。
わたしを考えてくれていた人は誰か?大切に少しでも思ってくれた人はどんな人か?そんなところまで考えていた。
人間関係の断捨離、人生の断捨離。
ちなみに、偶然にもうちの支局が社内で引っ越し。おおー、こんまりきた。って言っても、一月に異動してきたばかりなので、さらなるこんまりだ。
1はゼロになり、ゼロは1になる。宇宙のことわりのように、ゼロのスペースには1が入る。
入れ替わりの時だ。
コロナ禍は、わたしにとってのタイミングのように感じられる。人によるかもしれないけれど、そこに意味があると思える行動を取る人は、これからも強い。
不確実で不安定、不明確な時代だ。柔軟に生きていけるように、人のつながりからの学び、人のつながりへの学び。どちらもグルグルとしていこう。
何ができて、どう生きるか?なんてことを多分、これからも考えるんだろうな。
人間万事塞翁が馬。
こんな記事もありました。
多分、わたしはこの一人。
サラリと生きていきたい。