生活者のための現代アートを探して|小豆島
2025年の瀬戸内国際芸術祭を控えて、12月末から翌年2月まで小豆島を拠点に過ごすことになった。その後、芸術祭期間中は男木島を拠点にしつつ、京都と行き来する予定だ。
クリスマス・イブ、冬の島を一人歩く
12月24日、クリスマス・イブ。この日は休みだったので、島を少し巡ってみることにした。
冬の小豆島は閑散期。美術館は閉まっていて、飲食店も休業中のところが多い。(この日は、小豆島の名物クラフトビール、まめまめびーるが飲みたかったが、失敗)、けれど、運よく閉館中の美術館を特別に見せてもらえる機会があったり、屋外展示をいくつか楽しむことができた。静かな冬の島を、1時間に1本あるかないかのバスに頼りながら、時には歩いて回るのもなかなか悪くない。冬の冷たい風に吹かれながら進む道には、独特の味わいがある。
小豆島には、弘法大師(空海)が立ち寄り修行をしたとされる場所がいくつも残っている。険しい洞窟や浜辺の庵など、歴史の気配を感じる場所が点在しているのだ。そんな遍路道を歩く気分で、広い島をたた歩くとどこか修行僧になったような気分も味わえる。島の自然や歴史に囲まれながら歩く時間は、心が少しだけ清められるような感覚がある。
他にも、小豆島は天皇が遊幸した地であり、豊臣秀吉がキリシタンを移住させた地でもある。そんな人為と自然が入り混じった独特の背景が、「島」という場所の魅力だと思う。そして、その歴史に現代アートという新しい存在が加わった。
現代アートがこの島にとって「外来種」なのか、それとも新しい「交配種」として根付いていくのか。その答えはまだわからないけれど、そこに興味を引かれる自分がいる。
作品がつなぐ、島の暮らしと旅人の世界
小豆島には、1100年の歴史を持つ「内海八幡神社」の隣に、石造りの私設現代美術館がある。この日は、ふと歩いていたら見つけたのだが、本当に「こんな場所に何故美術館が?」と疑問を持つことが自然である。島で初めての鉄筋コンクリート建築を使った歴史ある建物を使用しているため、風景としては違和感がないものの、機能としては、瀬戸内芸術祭の文脈を除くと説明し難さがあるのではないだろうか。
この、現代美術館がこれからの島の未来にどんな影響を与えるのかは、とても興味深い。この現代美術館が島の交配種となり、この先100年残るために、この過疎化し、空洞化する日本においてどのように変化するのかは、考えさせられる。
「現代アートなんてよくわからない」という声を耳にすることもある。でも、それが島の暮らしと外から来る人を結ぶきっかけになることもあるのではないか。作品を通じて生まれる関係性――それがどんな形で島に根付いていくのか、少し気になっている。
そもそも3年に1度の芸術祭期間以外では、なかなかアクセスすることも難しいし、地元の方にとっても、きっと「何かやっているんだわ。」という温度感なのだろう。でも、中には珍しく台湾とか欧州の方々が、島をめがけてやってくることもある。京都の巨大インバウンドとは異なり、島に流れ込むような、私に似たよそ者も確かにいる。
だとすれば、しばしば「現代アートはわからない」と評される中で、作品の役割はそもそも地元の人にとって「わかる・わからない」だけで語られるべきものではない。しかし、そうだとしても、現代アートが生活者にとって何一つ働きかけることがないのか、と問われることもある。
「訳がわからない」ものが自然と風景に溶け込む日
妄想をしてみた。
イメージとしては、島の生活者と島の外の人を結ぶトリガーとして、作品があるのだろう。リレーショナルアート、「関係性の美学」的なまとめ方は、その守備範囲が広すぎるがゆえに、何事にも適用されてしまう万能薬のようで、実は何も治せないのではないか、という気もする。ただ、島のオブジェは、ホワイトキューブの中で行われる一時的な展覧会よりは、もっと半永久的なものなのではないかと思う。
少なくとも、もしかすると島の方々にとっても「訳がわからない」と思われるオブジェたちも、時の流れとともに小豆島の歴史の中に蓄積され、風景化する可能性がある。そして、今の「訳のわからなさ」を写真として保存すれば、数百年後の子孫にとって、どのようなノスタルジーとして紡がれるのか、楽しみでならない。
しばしば「現代アートは難しい」と評される中で、現代アート論の入門書的な山本浩貴さんのインタビュー内容を思い出した。
島の数百年の歴史を持つ神社に並ぶ、一見「訳がわからない」作品が並ぶ美術館や奇怪なオブジェ。それらは今、この瞬間に歴史化されている。そして、どこかで島民とよそ者の生活を結ぶ特異点を生み出している。
こうしたアートが、過疎化が進む日本の島々でどんな新しい価値を生み出していくのか。その答えが見えるのは、ずっと先のことかもしれない。でも、今この瞬間に生まれつつある変化を見ていると、過去と未来、内と外を結ぶ重要な役割を果たす可能性を感じずにはいられない。
現代アートと瀬戸内の島々。一見、無関係に見える二つが交わることで生まれる新しい景色。その変化をこれからも追いかけていきたいと思っている。