コーヒー好きな人に悪い人はいない気がする
“コーヒー好きな人に悪い人はいない”
時々、人様について聴かれることがある。
“○○○さんはどんな人ですか?” いい人ですか?
返し難い質問である。人様の生き方や人間性について口出しする権限はないものの、自分なりの「カッコいい人の人間像」みたいなものは確立しているので、自分からカッコ悪いと思う人を、もしくは怪しいと思う人に対して讃美歌を歌う訳にもいかない。
でもやっぱり私なんかには、人様に口出しする権限はない。
難しい。この類の質問は苦手なんだ。余計なお世話せずに“知らない“とでもいうことがベストアンサーな気も最近はする。
そもそも私なんかに聴かないでほしい。自分で判断基準をもってほしい。判断基準を持てないなら例を上げる。
個人的な経験の上、コーヒーが心の奥底から好きな人に悪い人はいない。と言い切れるほど、これは真理だと考えている。
そもそもコーヒーはこだわる必要がある飲み物だ。熱い液体をちょっとずつ、ゆっくり、長い時間をかけて楽しむものだ。日本におけるドリップコーヒーはそういう傾向にある。エスプレッソを素早く飲む国も海の向こうにはあるらしいけど、長い忍耐を要する飲み物だ。
だからコーヒーが好きな人もそれなりの忍耐力と余裕がある人であると私は信じる。少なくとも私の浅はかな20年人生においては、コーヒー好きは私以外、みんな余裕のある豊かな人たちだった。
コーヒーはこだわりの飲み物だ。コーヒーが好きな人はこだわりがある。それは例えば食事に対するこだわりかもしれないし、大げさなことをいうと生き方へのこだわりかもしれない。
“こだわり”
物事に対して、しっかり価値基準が確立していて、それを追求できるということ。
コーヒー好きは人間としても確立しているのではないだろうか。少なくとも私を除けばそういう傾向にある気がする。
なにより、コーヒーはこだわりの飲み物だ。コーヒーを追求する人はパッションがある。かっこいい。
やっぱりコーヒー好きに悪い人はいない。