崔勝久「 個からの出発、ある在日の歩みー地域社会の当事者として 」を読んで【 本の紹介 】
「 個からの出発、ある在日の歩みー地域社会の当事者として 」崔勝久
先日、とある大学の学生4人から、インタビュー取材を受けることになりまして、冷麺屋の歴史や在日の歴史、ボク自身が日本で生まれ育ちながら地域とどのように関わってきたのかを話すことになったのですが、
著作のテーマの一つでもある「 多文化共生 」についての質問が飛び出してきたので、日立闘争や鄭香均さんの例を紹介しながら、差別を前提にした現在の「 共生 」の問題点をかいつまんで話しました。
崔さんの著作を読んでいなければ、歴史にも社会問題にも疎いボクには、学生たちの質問にも答えられなかったでしょう。
また、学生たちのみならず多くの日本の方が、学校の教育現場で、近代史(特に植民地支配の歴史)をしっかりと教えられていないということ、さらに、マスメディアの「 朝鮮の悪魔化 」報道(朝鮮のことなら有る事無い事好き放題言っても許される風潮)に対する危惧を確かめ合いながら、自身の耳目で得られた体験こそ大事だということを話しました。
その際に紹介し、興味を持ったら買うように勧めた本が「 ピョンヤンの夏休み(柳美里)」「 隣人、それから。(初沢亜利)」「 ぼくは挑戦人(ちゃんへん.)」「 緑と赤(深沢潮)」、そして「 個からの出発 」です。
学生たちには、しっかり伝えられたか心許ないですが、フィールドワークの成果物を送っていただけるようなので、楽しみにしています。
ボク自身が、在日朝鮮人として、これまで生きてきた中での悩みや葛藤、そして一方で、朝鮮人として生きていくことの誇りについては、ここで一言で書くことはできませんが、著作の中で共鳴したり、また新しい発見に視界が拓ける感覚を何度も覚えました。
特に、敗戦後の日本が、旧植民地出身者(朝鮮人、台湾人)の日本国籍を剥奪しつつ、「 当然の法理 」として公務員となるためには日本国籍を必要とするという見解を示し、未だ廃棄されていないこの「 当然の法理 」こそが、現在の日本/地域社会に存在する根深い差別の論理だと崔さんは看過されています。
朝鮮籍に固執するボクが、日本籍の妻との間に生まれた子どもの出生届を出した時、役人に言われた言葉が忘れられません。
「 お父さん、安心してくださいね。朝鮮籍というのは存在しないのと同じでして、お子さんは自動的に日本籍になりますから 」
ボクはどうやら「 透明人間 」のようですね(笑)
帰化/同化を行わない外国籍住民を日本社会の主体、主要メンバーの一人と捉えず、「 文化 」「 多様性 」を謳いながら「 統合 」「 統治 」の対象と捉える多文化共生は、これまでの社会を作り上げた既存の経済政治システムを正当化した上で、「 二級市民 」(元川崎市長の発言)として限定した範囲内で外国籍住民を受け入れることになります。
いわゆるマジョリティーが陥りやすいパターナリズム(温情主義)ですよね。
詩人の谷川俊太郎が、ある14歳の子供からの「 宇宙人って本当にいるんですか? 」という質問に、
「 いますよ。あなたもそのひとりです 」
と谷川さんらしく返答していますが、宇宙人=地球人=人間という地点で見たときに、全ての人類が、どのような場所や境遇にいても、まったく差別のない、幸福な生活を生きることが理想ではないでしょうか。
そうなるために、すべきこと、見直すべき課題を、崔さんはラディカルに、かつ生命力にあふれる叫びとして示してくれたのだと、感じます。
自身、アイデンティティーをめぐる読書を年明けから続けているためか、たくさんの在日作家たちの生き様やストーリーが、崔さんのファミリーヒストリーや個人史と立体的に絡み合いながら、浮かび上がってきたり、
個人的に体験したこれまでの様々なことと重なり合ったりして、まるで自分のことのように読むことができました。
あと、スクラップ回収業→レストラン経営→布団やぬいぐるみ(あのサンタベアーの創始者だったとは!)の販売業を繰り広げる辺りは、特にワクワクしながら読みました。(ご本人は楽しむどころではなかったと思いますが)
どんな窮地に立たされても、前を向いて、力一杯進めば、必ず道は拓けるということを、身を持って証明してくれた崔さんからは、励ましと勇気をいただきました。
本当にありがとうございました。
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