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カウンセラーさんに褒められた話(双極性障害)

今日は、通院日だった。
最近はずっと安定しているので、4週間に一度、通院している。

主治医との会話は、
「調子は大丈夫ですか」「はい」
「よく眠れてますか」「はい」
「はい。よろしいですよ」「ありがとうございました」
1分間も診察室にいない気がする。

前の先生から変わったとき(異動に伴い)は、驚いたし、
不信感を抱いた。今もそれを拭いきれてない。
が、そういうものなんだろうと思うようにした。
前の先生が、話をよく聞いてくれすぎる方だったらしい。

あと、私の病状が安定しているから、
今の段階では、細かな問診や薬の調整が必要ないのだろうとか思ってる。
ひどい鬱がやってきたりすれば、問診の内容も変わり、
薬の調整も必要になるのだろう。

カウンセリングは、いつも通り30分。
カウンセラーさんは、病気そのものの知識と私の病状、性格まで、
一番知っている人だと思う。私とかかわる人たちの中で。

そして、プロなので、
私がどんなに暗い話をしようと、話しながら涙を流そうと、
それに引っ張られることなく、なおかつ、冷たすぎず相手をし続けてくれる、
まさに、プロ。頼もしい。

昨日の福祉課さん、相談員さんとの面談の中で、
辛いことも泣かずに話せたという話をした。

ただ単に時間が経ったからなのか、
初対面の人の前で涙をこらえたからなのか、
「退職」という自分の決断に、納得がいき始めたからなのかと言ったら、
カウンセラーさんは、こう言った。

「ただ時間が経過したからではないですよ。
それだとしたら、まだそんなに時間は経ってないです。
◯◯さんがよく考えて、思考を整理して、
そうやって頑張ってきたから、そんな風に話ができたんですよ。」

今思うと、プロだなとホントに思う。
私が熟考してたどり着いた考えを、会話の中で間髪入れず導き出し、
私のやっていることにしっかりと価値を見出し、
目の前の相手を恥ずかしげもなく褒める。プロだなホント。

また、別の話題の中で、もともと感情が昂ったときに、
自問自答してつきつめて考えるクセがあったという話をしたところ、
「認知行動療法っていうのがあるじゃないですか。
あれを◯◯さんは、自然とやってたってことなんですよね。」と言われた。

認知行動療法については、不勉強だ。
理由は、「認知の歪み」という言葉にすごく嫌な印象があって、
自分が「歪んだ人間だ」と言われている気がして、
今まで勉強する気になれなかったという経緯がある。

実は、それは、知らぬが故のただの偏見というか誤解というか。
でも、この間、感情と認知について考えたときに、
認知行動療法についても勉強した方がいいなと
思い始めたところだった。

やっぱり、プロだ。
私がとりとめもなくごちゃごちゃと考えていることを
医学的にとか、心理学的にというか、もっと専門的に整理してくれたり、
私のとりとめのない話の中に、価値を、私の成長を見出してくれる。
しかも、会話の流れをいっさい止めずに。

やっぱりプロは違うな。
専門的な勉強をして、資格をとってるっていうのは違うな。

もう一つ別の話題の中で、
「書く」っていう行動で、自分を客観視できて涙も渇く、という話をして、
「書く」以外にも、自分を客観視できる行動を探したいと言ったら、

「こうやって人と話をするっていう行動も、
自分を客観視できる行動の1つなんですよ。」と、
さらりともうひとつ、私が探していた事例を挙げてくれた。
確かに、人と話している間に、自分の思考は整理されていくなぁって思った。

カウンセリングって、8:2くらいの割合で、
自分がたくさんしゃべってると思うんだけど、
その間に、すごい切れ味のいい合いの手が入るよなと思う。
もちろんいい意味で。

病状が安定してるから、
3月でいったんカウンセリングは終了ということになっている。
前は、えー淋しいな、不安だなという気持ちが強かったが、
今は、リワークに通い出してほんの少し自信が出てきたことと、
終了できるくらい私の病状は安定していると前向きに捉えられるようになった。

3月まであと少し、3回か4回、
心の安定としての場、病気と自分に対する学びの場として、
有意義な時間であるように、
自分も学びながら、考えながら、気付きながら生活したいと思う。

読んでくださりありがとうございます。
また来てください。待ってます。



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