適当に生きる。適度に生きる

 人は焦ると変な方向に走る。わたし自身そうだ、焦る癖がある。そのドライバーを外して、ゆったりと生活してみるといい。

 仕事なんだから、あんまり真面目にやらないほうがいい。金を得るための手段だ、しょせん。

 哲学的に生きる、というのはあまりよろしくないかもしれない。哲学というのは余暇にいい。暇だったらやればいいのだ。何もドゥルーズ、ベンヤミンのように、自死する必要はない。三島も莫迦だった。政治に参与しないで、文学に生きればいいのだ。

 わたしたちは自分自身でいきがいをつくることができる。だが、あまり固執するのはよくない。脱力が必要だ。一杯の珈琲、一本の煙草、そこにこそ叡智はあるのかもしれないのだ。

 必死なんだ、というのは、大変なんだ、ということだ。視野狭窄、精神的視野狭窄、すなわち、周りが見えなくなっている。もっと俯瞰的に見ればいい。階段を上がるように。最上階はまだまだ。寿命までまだまだ。
 神だって人間をやるには度胸がいるだろう。それぐらい、わたしたちは生きているだけで途轍もないエネルギーを使っているのだ。それを忘れないでほしい。希死念慮、これは、方向転換させればいい。うつ病、寝込めばいい。忙しい人には休息が必要だ。わたし自身もそうだった。

 何もわたしは賢者だということではないけれど、いろいろと学んでいるうちに、この世が仮初にも思える。仮の宿、これは有名な短歌だ。

 文化をもっと享受すればいい。適度に勉強、仕事、でいい。たまには酒もいい。だが悪酔いはよくない。周りに迷惑がかかるからね。

 国は日本だけじゃない。世界にはたくさんの国がある。ふらっと旅行もいいのではないか。旅行をすると、うつ病が軽減されるらしい。これは韓国の大学の研究結果だ。

 楽意、これはわたしが好きな言葉だ。楽しみに意味を見いだす。そういうこと、すなわち、21世紀の文化を享受する、ということ。

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