津端修一さん・秀子さんとの出会い①
今年で39歳になる私ですが、
20代の頃は佐賀県の精神科病院でリハビリの仕事をしていました。
その時に出会った、私の生き方に大きく影響を与えてくださった方のお話しです。
街から少し離れた山のふもとにある病院が
『退院後の患者さんを街で支える拠点を作ろう』
と就労支援事業所を立ち上げることになり、
私もメインで立ち上げに関わらせてもらえることに。
28歳頃だったと思います。
患者さんの個性・特性に合わせて、
第1次から第6次産業までも網羅した働き方ができる場所、
そして
患者さんが地域で本質的に心豊かに暮らせるサポートをしていく場所
そういう拠点をいちから作り上げていくことになりました。
街の中心部にある、元田んぼだった土地を借り、
【畑】と【喫茶店】と【菓子製造】と【LABO(研究所)】スペースを創る。
そんなざっくりとしたイメージは立ち上げに関わるスタッフの中ではできていて、
あとは具体化していく作業。。
その頃からすでに私は食や農のことには興味があったので、
近くの佐世保の菌ちゃんファームに学びにいかせていただいたり(病院勤務時間に農作業に行かせてもらってました笑)
喫茶店のカフェメニューはオーガニック系のものを使いたい、
など、準備は順調に進んでいました。
建物については畑を盛り込んだ現代風の二階建ての鉄筋の建物基本設計までは出来上がっていました。
ちょうどそのとき、出会った本
『あしたもこはるびより』の著者:津端修一さん、秀子さん
こちらのご夫婦のライフスタイルが
なんとも 「心豊かで素敵な暮らしだなぁ〜」と身に沁みたのです。
200坪のキッチンガーデンと30坪の雑木林。
住まいは修一さんが勤めた建築家アントニン・レーモンド氏の自邸に倣って高い天井と太い梁が印象的なワンルームの丸太小屋に住んでいます。
キッチンガーデンでは
落ち葉と野菜クズで作った堆肥を使い、
四季折々の野菜や果実を120種類以上育てています。
季節の手しごとや道具の修繕・ベーコンづくり・機織りなど
できることは自分たちでしながら暮らしておられる。
衣食住がうまく調和したお二人のライフスタイルにこそ
本当の豊かな暮らしがあるように感じ、これから作る施設のあり方とリンクするものを感じたのです。
修一さんは、戦後最大の都市計画ともいわれた「高蔵寺ニュータウン」の基本設計をした人物で、日本住宅公団の創設期の中心メンバーとして、激動の戦後日本の“住宅”、“団地”、“ニュータウン”を作り続けてきました。
高蔵寺では “風の通る暮らし”を追求し、雑木林を残し自然との共生を目指したニュータウンを計画しました。
しかし経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地でした。
それからは仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、「街には森が必要」と
雑木林のある暮らしをコツコツ育みはじめたのです。
建築家として、家だけを見ず暮らしをきちんと見つめた生き方。
地域の患者さんたちが、自分らしく生きる・心身ともに健康的に生きる拠点づくりを担っていた私にとって、津端さんご夫婦の暮らしはまさに理想の形でした。
このご夫婦に会いたい!
たくさんの歴史と知恵と工夫が詰まったご自宅を見てみたい!
キッチンガーデンを参考にさせていただきたい!
そう強く願った私は
勇気を出して動き始めたのです、、、
つづく