議論って、自分の考えがあってこそ成り立つ!?🤔
こんにちは 五月美です
さぁ~てと
もう、そろそろ年末と言っていいくらいになりました
早いです、早すぎます💦
あ、ところで、職場や仲間内、家族なんかで来年の目標についてとかの話し合いをすることもあると思いますが・・
話し合いと言えば、ずっと以前に「トロッコ問題」を職場のパートさんたちとしたことがあります😊
トロッコ問題とは
簡単に内容を説明すると
ブレーキの壊れたトロッコが暴走して、そのまま真っすぐ走れば5人の作業員がいて、レバーを切り替えれば、そこには1人の作業員がいる、そのレバーの前にいるのは自分だとしたら、どちらを救うのか?
これって、どちらにしても、残酷な結果でしかなくて、何が正しいという答えはないと思ってるんですよ😓
じゃあ、何故、正解のないことを話し合うのかと言えば、「議論」することに大きな意味があるからですって!
「えぇ~マジで?」
「それ、ヤバくない?」
「私だったらこっちかなぁ~」
「それはそれでどうかと思うわ」
みたいな感じで、何を重きに置くのかで人それぞれ考えが違ってくるんですけど、やっぱ自分がレバーを触ることで人の運命を左右してしまうのがイヤだとか、1人より多くの命に重みを感じたりと様々です💦
相手の出方を見るなんてこともあります
例えば一人が
「レールが切り替わるタイミングで一気にレバーを操作することで、ドリフトを起こし、後輪が脱線してトロッコはひっくり返って、全員助かるんじゃね?」
こういった、技術的な発言をすると
「なるほどぉ~」
「それいいんじゃない♪」
「ナイスアイディア!」
やんややんやと今まで黙って聞いていた人もそっちに転がっていきます♪
今までは、法律的な考えや道義的なことなど、作業員の命人数か、自分の責任かでその重さを計りながら彷徨っていましたが、一人の意見で一気に流れが一つに絞り込まれ、それがみんなの正解になってしまったんですねぇ~
ただ、忘れてやしませんかって!
「その技は、いったい誰がするの?」
あぁ・・・
ありゃりゃ?
また、みんなの落胆の色が濃くなってきましたね😅
誰かの意見に乗っかっても、それを誰がするのかと改めて問われたら、自分以外となってしまって、また振り出しに戻ることがあるんですよ
失敗が頭によぎるか・・💦
あ、集合知って聞いたことありますか?
つまりは、それぞれの持ってる意見を出し合って、答えを導いていく流れです♪
このトロッコ問題に関しては、どれが正解なんてことなくて、その人の考え方が色濃く出てしまうと思うんですが、人の命となると、なかなか明確に発言ができないこともありますねぇ~
いざ、目の前のレバーを前にして、自分の行動によって起こった結果の先を予測するとしたら、どのようなリスクや悲しみが考えられるかと、それぞれの意見を交換したり共有した考え方もありか🙄
となると・・
多様性予測定理というものがあって
数値的なもので表されることが多いですが、有名な例を挙げるとウシの体重を予測する試みで、多様な意見を集めて答えを導き出すと結果およそ正解に近い数値がでるらしいです😲
マジか・・・
ところが、これに当てはまらないことが時として起こります💦
「自分の考えがなく、簡単に他人の意見に引っ張られる」
要は、自分でよく精査せずに、親しい人の意見、みんなが言ってるからなどの偏りが生まれると、この理論は破綻してしまうってことですね😅
にゃるほどぉ~
トロッコの問題に戻ると、これには「こちらを立てればあちらが立たぬ」などとジレンマに悩まされるんですが、私が重きに置いたのは正解を導き出すことじゃなくて、それぞれが自分の考えを持って発言するってことです😊
人の命を比べることはできないですが、他のことであってもジレンマは確実に身近でも多く存在します
人数が居てると、その分同じ答えであっても理由が異なったりと、共有することで新しいアイディアが生まれることもあるんですよねぇ~
あくまでも、「ただひたすら流されてばかりいない」です!
そういえば・・・
AIはどっちを選ぶんだろう?🙄
おしまい
本日のまとめ
「一人の決断か、議論かのジレンマ」です
多分、AIも組み込まれたプログラムによって、答えを出すと思うんですが、これが車の自動運転となると、結局補助的な人間の役割ってかなり重要になってきますね💦
目の前に大きな発泡スチロールの壁が立ちはだかっている
ハンドルを切れば、そこには大きなジャンプ台がある
自動だと・・・?
うわっ😱
手動、手動っと!!
共感した!私もあったよ!なるほどぉ~と思って頂けたら
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