大分市と中国、武漢市
“コロナ”が初めて流行りだした事で、近年有名になった中国の都市、「武漢市」ですが、
「大分市」は、「武漢市」とかなり昔から友好都市を結んでいます。
で、1980年代に、お互いの地域を紹介する写真展を開く事になり、大分を代表するカメラマン五人組(別府の「浜脇高等温泉」の時組んだメンバーです)で、大分の写真を撮る事になりました。
その撮影の時、助手として何本かお手伝いをさせてもらいました。
大分の有名な建築物、観光地、食べ物、果ては
生活迄、写真に収めて、武漢市で写真展をするのです。
その中の一つに、大分の医大病院の手術室に入らせてもらい、撮影をした事がありました。
手術用の着衣を着て、マスクもして、きっちり手も洗い、手術室に入りました。
確か、五部屋程あり、モニターで手術の様子を外から見られる様になっていました。
なるほどと思ったのは、部屋に入る時のドアは、開閉の時足元にスイッチがある事でした。
外で手を念入りに洗い、手袋をした後、何も触らなくて入れる様に足でドアを開けるのです。
耳の中の手術で、モニターを見ながらの繊細な手術でした。
取り出した鼓膜をシャーレに広げて見せてもらいました。
音楽が流れているし、照明は、凄く明るくて
イメージが違っていました。
仕事ではありますがいい経験をさせてもらいました。
そうやって、カメラマン達や市の関係者で「武漢市」に行って、写真展を開きました。
大成功だと言っていました。(私は行っていません)
その後、武漢市の方々が、大分に来る事になりました。
パーティが開かれ、接待係をする事になり、せっかくだから着物を着て来てねという事で、着物を着てパーティに出ました。
言葉が解らないと通訳の「陳くん」(この時の留学生です)
が、「漢字を使うから筆談でわかるよ」と教えてくれていたので、メモ用紙も用意していたのに、いざ、筆談してみると、中国の漢字は、略してある漢字で、お互い字が読めず、笑って誤魔化していました。
その会も終わりの頃に、中国からのメンバーが着物姿の私に関心を示して、陳くんを介して根掘り葉掘り聞いてきて、最後には知り合いの人を紹介するのでよろしくね。と言って帰っていきました。
それから2、3ヶ月だった頃、陳くんから呼び出しがあり、出かけていきました。
すると、封筒を渡され、その中には、手紙と写真が入っていました。
で、手紙を訳してもらうと、写真はお見合い写真でした。
写真は、イケメンで、スッとしている青年が写っていました。
手紙によると、私より2歳年下で、武漢の大学の体育講師をしている人で、のちの教授とかで、ご両親も大学教授でした。
何という、良い条件なんでしょう。
母は乗る気でしたが、相手は中国の方です。
私にはこれから中国語を学んで、中国に嫁に行く事なんて絶対ムリ❗️と、考えてしまいました。
陳くんに、お断りの手紙を訳してもらうために会ったら、
「なんで断るんですか?とても良い話ですよね」と、なかなか訳してくれませんでした。
まさか、国際結婚のお見合い話しが来るとは思っていなかったので、写真展の関係者みんなには、大ウケでした。
まだ、若かった私には、中国に嫁に行くなんて考えられない事でした。
結局、それから結婚できて、子供にも恵まれて、日本人として普通の人生を歩んでいるのですが、せっかくのお見合い話し、受けていたらどうなっていたのか想像すると楽しくなってきます。
勿体無かったかもしれませんね❗️
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