Pentagon_❶あの日から
1.プロローグ
私は、あなたを知らなかった。
あの日、あなたから向けられたその視線に、いつの間にか惹きつけられて、一年も時が経つ。
今でさえ、話したこともない。
目を見つめたこともない。
なのに、こうして忘れようとしては記憶に擦り込むように思い出す。
私は、いつも彼が私の視界にいないかのように振る舞う。わざとではなくても、いつも冷たくしてしまう私。あなたから見れば、私はただの話しかけづらい人。何も起こらずに終わりが迫る。
2.「私」のあの日
去年の夏、私は髪を切った。少し普通とは少し違ったショートヘア。久しぶりに首元に触れる毛先。気持ちもとても軽くなり、みんなが口々に私に向ける鋭い言葉など全く気にならないような気がした。周りの子は、みんなアホ毛を気にしていた。髪を巻いて、ローファーを履いていた。私は何もしていなかった。髪はブラシに通すだけだったし、スニーカーだった。大雨の日には長靴を履いたけれど、シャワーを浴びたようにずぶ濡れになった。その時、母に制服と靴を届けてもらうまで、私は裸足だった。みんなの中で、私という人物には「こんな」レッテルが貼られていく。私はそれを笑って母に話す毎日を送って、とてもさっぱりしていた。
その日。本当にその日が、私の中に無意識で刻まれている。友人が私に向けられた彼の視線に気づき、私に伝えた。私は、何もしなかった。何もしなかったわけではなく、「誰?」なんて冷たく返してしまった。期待しないように自分に言い聞かせていた。これは私にとって初めてのことで、何か素敵なことが始まりそうな予感を感じるなど、嘘だと信じようとしていた。
私はすでにこの時から冷たかった。いつもこうなのは、自分自身でよくわかっていた。昔から、私は、気になる人に愛想よくできない。
3.「俺」のあの日
移動教室のとき、廊下ですれちがった人。ただ笑っているだけだったのに、目が離せなかった。この一瞬がどれだけ長く感じただろうか。はっきりと思い出せる。こんな恋の仕方は初めてだった。今まで、恋と呼んでいたものがすべてかすんでいく。正気に戻れば、左にいる翔がニヤついている。面倒なことになるなと思いつつも、隠そうとも思わなかった。意外にも、翔は普通に接してきて、彼女について話してくれた。彼女が去年、翔と同じクラスだったこと。彼女の名前と部活。彼女がよく笑うこと。わざわざ翔が俺の彼女になった女子の真似、なんかして言ってきたからちょっとムカついた。それにしても、翔も彼女のLINEとかインスタとかの持っていなかった。どうも、すでに焦っている自分がいる。急がなくてはならない気がしていた。
不思議だった。自分から誰かに夢中になったことなど、今までなかった。今まで好きになってくれた人にうなずいて、恋というものをしてきた。今すぐに動き出したいと思うと同時に、不安が押し寄せる。
4.何かがちがう
私は水泳をしている。水の中では何もかもを忘れて、自由になれる。私の友達は、違うようだが。いつも泳ぎながら計算をしているみたい。彼女はとても潔い性格だから、グダグダと考える私とは違う。そんな彼女が珍しい。今日は、彼女のクラスが文化祭に向けて出し物の準備をしている。はずだけれど、おやつにアイスを食べるか肉まんを食べるかで迷っている。そんな彼女に私は、「今日、部活行く?」と声をかけた。それに対する答えはいつも通りに潔かった、「行かない」。わかった、とだけ答えて私は部活へ向かった。
そのとき、あの教室には、橘翔がいた。彼はたしか、去年同じクラスだった人だ。彼のことを気にしていたわけではないけれど目が合って、彼の口から出た一つのワードが私の意識を引っ張って、顔が火照るのを感じた。「俐樹を呼んでこようぜ」。最近、この名前をよく耳にする。心当たりが確かにあった。すぐにあの瞬間が蘇って、私に期待をもたらす。広瀬俐樹ー彼はどんな人なのだろう。こんな疑問を抱いてしまう私は、何かに操られているかのような気分になった。どうしようもない期待を捨てようと、一人で火照った頬に握りこぶしを当てる。
そして、水中では、自由になれなかった。