人間を幸福にする政治理念ー信仰ー幸福実現党大川隆法総裁の発信

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2205

自由 民主 信仰の三番目です。宗教としては三番目に信仰が来るのは少し不思議ですが、宗教理念を そのまま政治に適用されることは 大川隆法総裁のお考えにはないのだろうと思っています。

 宗教というのは、長い歴史のなかでは 変節していくこともありますから、こうした民主主義によって人々の幸福が担保されるということは、大事なことであると思っています。

では 人間を幸福にする政治理念の信仰についてはどのように語られているでしょうか?

人間を幸福にする政治理念ー 信仰

1800年代前半にフランスからアメリカの民主政を研究したトクヴィルの言葉を紹介して次のように続きます。

トクヴィルは「自由 ということを考えたとき宗教があまり強い力を持っていると、『自由をおかす心配がある』と 人々は考えがちだ。しかしアメリカに来てみると、『そうではない』と、考えられる」ということを言っているのです。
トクヴィルは「民主主義は、気をつけないと、この世的な幸福ばかりを追い続ける傾向が大きくても出てくるので、ともすれば唯物論に傾いていく傾向がある。これが、とても危険だ」といっているのです。
「民主主義が唯物論に走っていく」というのは、要するに「みな、飲み食い 、住居、 その他、そういったことばかりに中心的な関心が出るので、これはとても危険だ」ということです。

神への信仰がなくなったら、民主主義はこの世的なことばかりを追い求める人たちでいっぱいになる

神への信仰心がなくなったら、民主主義はこの世的なことばかりを追い求める人たちでいっぱいになってしまい、ともすれば唯物論国家になってしまう。                                             私はそのように、なるぐらいなら、むしろインドの宗教などの『人々は時には豚に生まれ変わる』というような素朴な転生輪廻、奇妙奇天烈な転生輪廻の思想を信じるほうを選ぶ」と。
トクヴィルは後にマルクス主義が広がって唯物論と民主主義が合体していったら共産主義ができる。そういう時代が来るということを、ある意味で予見していたと思われるのです。
唯物論的な共産主義は、一応は「民主主義」を標榜はしています。ただし、それはこの世世界のみにおける民主主義、結果平等だけを求めていくような民主主義です。要するに、「お金持ちや成功者に対する嫉妬を合理化して、そうした人たちをみな引きずり降ろして平等にする」というようなことを大義名分にしているわけです。

信仰のない民主主義、神なき民主主義というのは、唯物論と結び付いて結果平等を求める共産主義に流れていくということですね。

けれども 平等を求めていた筈の共産主義も時間の経過と共に

暴力革命を肯定して、上にある人たちを引きずりおろした結果、どうなるかというと「富の分配」ばかりをし始めるようになり、争奪戦が起きて、この世的な合理性、この世的な有利性ばかりを求めるようになるのです。

平等を求めていたはずなのに結果的に独裁者を生んでしまう

そして、「平等」のはずだったのに、いずれ指導者が必要になるため、やはり、指導者と指導者を守る人たちが出てくるようになります。結局、官僚制ができて、その上に独裁者が出てくるわけです。これが共産主義の流れです。

自由、民主、信仰 この三つのチェックポイントで 各国の政治を見てみると 問題の大きい国家が浮かび上がっってきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?