インクルーシブ教育の難しさ
インクルーシブ教育には、多くの課題があります。
その中でも、大きな課題であり、かつ解決が難しい課題は、関わる人たちの理解が不足していることでしょう。
そもそも、インクルーシブ教育は、マジョリティとマイノリティ双方のことを考え、教育環境を整備しましょう、という考えです。
今までは、圧倒的にマジョリティが強かったわけです。
ですから、学校にはエレベーターが設置されていなかったり、段差が有ったり、全ての授業が全員参加を前提としていたり、となっていました。
それを、スロープを設置したり、エレベーターを設置したり、手すりを設置したり、点字ブロックを設置したり、音声案内を導入したり・・・とすると、インクルーシブ教育(が出来る環境)に近づくことになります。
で、問題となるのが、発達障害や知的障害者に対する対応です。
おそらく、多くの一般人は、発達障害や知的障害について、詳しくは知りません。
例えば、「発達障害」という言葉から推測できるのは、発達の遅れです。
発達が遅れているだけなので、成長していけば改善していくよね、と何となく考えている方も多いでしょう。
知的障害・発達障害者も、年齢と共に成長はします。
が、根本的な原因が取り除かれるわけではありません。
両方とも脳機能や染色体の異常等が原因とされており、成長により治るという性質のものではありません。
真にインクルーシブ教育を実現しようと思うのなら、まずは、マジョリティによる、マイノリティの方々に対する理解が必要です。
マジョリティの「普通」とマイノリティの「普通」の違いについて理解する、と考えた方がわかりやすいかもしれません。
50分の授業中はずっと座るというのがマジョリティの「普通」。
一方で、10分しか座れないのがマイノリティの「普通」。
ということもあり得るのです。
もちろん、マイノリティがマジョリティを理解する必要もあります。
お互い、お互いを理解できて、インクルーシブ教育や、インクルーシブ社会が実現できます。
・・・・・・とは言え、実際には、なかなか難しいのが現実だったりもします。
なので、日本には、支援級や支援校が存在し、現実的な方法として、分離教育が行われているということです。