映画『四月になれば彼女は』を観た
ネタバレあり
一言でまとめるなら、過去の失敗を再び起こさない様にと行動する主人公フジ、過去の恋を思い出し新しい道へと進もうとする元恋人ハル、ハルによってフジとの恋や愛を受け入れる弥生のお話。
ラストまではずっと、ハルはまだフジのことを忘れられていなくてフジも同じなのかと思っていた。弥生が家を出た理由もそれだと思ったけれど、違かった。
弥生はずっと恋だとか愛だとかの幸せが終わる事を恐れていたからこそ、結婚前の互いに冷めてしまった様な行動に不安になって家を出たのだろう。
ハルからの手紙は、彼女が最期の手紙で書いていた通り「フジの事を好きだった時を思い出す為に書いた」ものであり、その中に書いてあるのは正しく愛だったんだと思う。だから、その手紙を読んだ弥生は、それを取り戻す為にハルの元へ行ったんだろう。
フジは、多分ずっと人に深く関わるのが怖い人間だったと思う。ハルに「どんな写真が撮りたいのか」と聞かれた時に「ポートレート以外」と答えた様に、それは写真だけでなく対人関係にも現れていたのだろう。更に大学時代、勇気を出してハルと海外へ行こうとし、しかしそれを実行できなかった経験が、その恐怖を促進させてしまったと思った。
一度それを乗り越えて弥生とつきあった後、今度は多分自分を見せるのが怖くなったんだと思う。仲野太賀が「そういう必死でカッコ悪い姿を見せれば良かった」と言ったのはそういう意味だろう。
この映画においてハルは、自分が新しく踏み出すと決めたからフジにもそうであって欲しい、幸せであって欲しいと願い、そして後押しをする役割があった様に思えた。二人が愛を取り戻すのも、弥生がそれに気がつくのも、フジに弥生を追いかけさせるのも、全部ハルの後押しがあってこそだったし、それはハルが望んだ事だったと思う。ハルは写真に残る見えないものを大切にしていて、だからこそポートレートを最期にたくさん撮っていたんだろう。フジが人物を取りたがらない理由が人に深く関わりたくない事を表すのだとすれば、ハルが人が映るいい写真を撮るのは彼女が人に関わっている事、それこそ弥生やフジを後押しする様な存在である事を示しているのだと思う。
それから最後に、仲野太賀の役が良かった、とても。彼は一人で生きていく必要がある事に気づいて覚悟をした人間として書かれていて、それは上記の三人とはまるで異なる。そんな彼だからこそ、大切な人がいるフジの行動を起こさない姿を見て、腹が立ったのかと思う。