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学生の時の性教育、男女別で受けましたか?
前提として、私は今ガーナで健康教育(主に性教育)をしている。
今回の記事は今日までの出来事から、私の考えを記したもの。
男女別の性教育
学生の時、保健室の先生や担任の先生から性に関する授業をしてもらった人も多いのではないかと思う。私自身も中学生の時、女子だけ視聴覚室に呼ばれて保健室の先生の話を聞いた(肝心な内容を忘れた)。そんな私は日本で保健室の先生として性教育をする側の人間になった。
私は、基本的には男女一緒に授業を受ける方がよいという意見をもっている。理由としては、お互いの体について知ることはある種の教養だと思っていること、便宜上分けられたに過ぎない性別で、受ける教育に違いが出てしまうのが問題だと思うこと、カリギュラ効果が働いてしまうことにより余計な好奇心を刺激してしまうことなどを挙げたい。
男女別、男女一緒、この2つは大きく意見が分かれる。自分なりの根拠をもって男女一緒にした方がよいという教員もいるが、「寝た子を起こすな。知る必要のないこともある」と言う主観で否定する教員もいる。
例外的に男女別にした方が効果的な場合もあるが、私は基本的に男女一緒がベストだという意見を主張している。
ガーナでの出来事
ガーナでも性教育をしている。今日は小学校高学年と中学生に対する月経教育。
実施する学校の先生が「月経について?それなら男子には不要だね」と言って、女子のみを会場に残そうとした。すかさず私は「ちょっと待って。これは女子だけの問題じゃない。全員が知る必要のある内容だ」と伝え、全員に性教育をした。
それとは別の学校でも同様のやりとりがあり、ガーナでも、特に月経に関しては男女別にすべきという考えがあることを知った。
受けている教育による反応の違いがあるのか
私は現在2つの学校で性教育をしている。
月経教育の時間について、1つの学校は男女ともに真剣に聞き、もう一方の学校は男子がケラケラ笑う場面が多く見受けられた。
前者は今まで健康教育がほぼされていなかったが、半年前から性感染症や若年妊娠等の性教育を受けている。後者はNGOの支援が入り女子対象の月経教育が行われ、教員による性教育(時には男女別)が行われていた。一見すると後者の方が真面目に聞きそうなものだが違った。単純に学生の質だと片付ければそれまでかもしれないが、この原因を探ることが新たな発見につながると思った。その気づきはまた今度記したい。
ちなみに、両方の学校で若年妊娠・出産が起きている。「知らなかった」では済まされない状況が起きている。
AVが教材の日本
これが今の日本の現状だと思っている。
私の周りには、熱心な先生に性教育を受け、中高生の頃から性別関係なく体について知っていたという人はほぼいない。日本の性教育の過去もかなり影響してのことだと思っているが、それが「AVが教材」という悲惨な現状を作り出してしまったとも考えている。
私はAVを重要な産業だと思っているし、需要と供給がある限りは続いていくべきものだとも思っている。しかし、それを現実世界にもってくるのは如何なものかと思う。体の仕組みも何も知らないのにAVから得た知識は豊富なんて人も多いのではないだろうか。
性=恥?
「性は公にするものではないが、恥ずべきものでもない」。それが私の持論である。
妊娠を自覚した時に、誰にも相談できなかった…。そんな話を耳にしたことがある。自分と最も近い人にも自分の性について相談できないなんて、そんな悲しいことはないと思う。妊娠、ジェンダー、性暴力、性感染症…性に関する問題は多岐にわたる。
日本で性教育をしていた時に感じていたことだが、「性は恥ずかしい」という認識が集団を取り巻いている。その「空気」が必要な支援さえも届かなくする一つの要因かとすら思えるくらい。
公に「私昨日セックスしてねぇ〜!」なんて語る必要は全くないが、せめて性に関する悩みや問題を誰かに相談できる環境、周りもそれを受け止めて支えられる環境が整ったらいいなと思う。
最後ただの希望になってしまった。勉強が必要な証拠。
生物学上の男性は自分の外性器を見たことがあるのに、女性はそれを見たことがない人がほとんどなのはおかしいことだ、と私は思っている。
普段の状態を知らなければ、病変が起きた時に真っ先に気づけない。