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【映画評】ポール・ヴァーホーヴェン監督『ベネデッタ』(Benedetta, 2021)。

 17世紀イタリアの女子修道院を舞台とする仏語史劇。冒頭の聖母被昇天劇(足ぱたぱた)は、終盤におけるベネデッタの「蘇り」を予告するだけでなく、彼女が、自らの欲望と向き合いつつ聖史劇を書き換える/簒奪する演出家/主演の位置を占めていることを暗示する。
 実際、信仰心(ヴィジョン)を持たない前修道院長フェリシタに対するベネデッタの「耳打ち」は「演出」そのものと映る。それは中世的な「終油の秘蹟」などよりよほど説得力と効力を持つのである。ベネデッタの身も蓋もない幻視(ヴィジョン)は、万物を視覚化せずには置かない本作の監督のそれとも重なる。
 ベネデッタは「聖(なる)心(臓)」を胸(乳房)に、聖母を陰部に受入れる(ここに興味深い転倒がある)。畢竟、彼女は、身体それ自体を、テクストならざる転倒した聖書として、叫びと共に民衆に開く。己の肉体を中心にして、彼女は聖史を再劇化する。その時、神罰たるべきペストは、却って教会を襲うだろう。

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