岡田尚文

流しの大学教員。専門はフランス中世史、表象文化論(映画史)。これまで書き散らしてきたもののうち、ある程度まとまった文章(映画関係の文章が中心)を手直ししつつここにアップしています。

岡田尚文

流しの大学教員。専門はフランス中世史、表象文化論(映画史)。これまで書き散らしてきたもののうち、ある程度まとまった文章(映画関係の文章が中心)を手直ししつつここにアップしています。

マガジン

  • 映画におけるジェンダー表象

    映画を手掛かりにジェンダーについて考える際、踏まえておかなければならない基本的な歴史や映画史、各種理論があります。しかし映画を理論的に搾取するのではなく、映画それ自体の在り方とジェンダー表象の在り方が既に密接に結びついていることについて思いを巡らせてみましょう。不定期に記事を追加します。

  • 幽霊屋敷(映画の世界)へようこそ

    幽霊屋敷(映画の世界)へようこそ。幽霊屋敷を舞台とする映画は初期映画の時代から現在まで、連綿と作り続けられています。しかも、優れた作品において、幽霊屋敷の中は上下左右という運動感覚を失効させる、まさに「映画的空間」として形づくられていて、私たち観客を恐怖のどん底に突き落とします。不定期に記事を追加します。

  • 映画の動物/動物の映画

    映画に動物が登場しないことは殆どありません。ここではとりあえず動物イメージが映画の中でどのような役割を担ってきたかを見ることとしましょう。人間もまた動物であることを忘れてはなりませんが、人間は人間以外の動物を他者として見立てることでしか人間足りえません。不定期更新です。

  • 映画の中の建築家(アーキテクト)

    映画の中に登場する建築家(アーキテクト)は殆どの場合、男性です。彼は自分が神であり、世界をゼロから創造できると信じています。そんな彼ですから、女性を物としか見ていません。現在、アーキテクトの概念はネット世界に敷衍されています。とりわけインターネット産業を手掛ける大企業の社長(資本家)が設計者(アーキテクト)として振る舞うのには理由があるのです。不定期に映画記事を追加します。

  • ヌーヴェル・ヴァーグ~揉みつ揉まれつ

    映画研究に手を染めていると避けて通れないのがヌーヴェル・ヴァーグ。しかしそろそろ作家を中心とする見方を映画研究業界は手放すべきではないだろうか。そんなことを考えながら、当該テーマに関する既存の記事をまとめています。記事は不定期に追加します。

最近の記事

  • 固定された記事

【映画評】Y・ランティモス監督『哀れなるものたち』:(1)変奏の「美女と野獣」

『フランケンシュタイン』のパロディだが…  『哀れなるものたち』(Poor Things, 2023)の最初のパートでは、ロンドンのとある邸宅に生じている奇怪な出来事が、一部を除きモノクロ画面で提示される。それはこのヨルゴス・ランティモスの新作が、『フランケンシュタイン』(1931)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935)といった1930年代のユニヴァーサル・ホラーの、いやそれ以前にメアリー・シェリーのゴシック・ロマン『フランケンシュタイン』(Frankenstein:

    • 映画評論家・藤崎康さんの『Cloud クラウド』評に刮目!

       映画に関する批評的言説が単に「ストーリーをなぞる」だけではいけないとは、よく言われることです。ストーリーは小説にも演劇にもあるから。では、映画それ自体を語る(見る)にはどうすればいいのか。それを教えて下さったのが、藤崎康先生でした。YouTube系「考察」動画とは一線を画す「評論」(しかも黒沢映画評!)をぜひ。

      • 【映画評】イエジー・スコリモフスキ監督『ザ・シャウト/さまよえる幻響』(The Shout, 1978)

         心を病んだ男(叫びで人を殺せるという)の妄想か、それとも、その男に感化された男(音声技師)の妄想か。黒沢清の『CURE』(1997)、『降霊』(1999)、『叫』(2006)に影響を与えているであろう作品。「男」の妄想は、だが、フランシス・ベーコンの絵を介して「女」の欲望へと帰着する。  本作におけるベーコンの絵の引用は、勿論「叫び」という主題が共通していることによる。叫びは人間を「獣」に近づける。獣と化した人間の前に「羊」たる人間は無力であり、羊がいなくなれば「羊飼い」も

        • 【映画評】ハワード・ホークス監督『ヒズ・ガール・フライデー』(His Girl Friday, 1940)

           Girl Friday とは Man Friday から派生した言葉で「忠実なる女下僕」ないし「会社で雑務をこなす女助手」といった意味だが、スクリューボール・コメディーたる本作では元夫で新聞社編集長のウォルター(ケイリー・グラント)を元妻で部下のヒルディ(ロザリンド・ラッセル)が振り回す。  この2人のジャーナリストは、実際には無実の殺人犯を精神異常と鑑定させ死刑を回避したり、市長と判事の悪徳を暴いたりするが、それらは全て——善意からというよりは——特ダネを得んがための欲得

        • 固定された記事

        【映画評】Y・ランティモス監督『哀れなるものたち』:(1)変奏の「美女と野獣」

        • 映画評論家・藤崎康さんの『Cloud クラウド』評に刮目!

        • 【映画評】イエジー・スコリモフスキ監督『ザ・シャウト/さまよえる幻響』(The Shout, 1978)

        • 【映画評】ハワード・ホークス監督『ヒズ・ガール・フライデー』(His Girl Friday, 1940)

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        • 映画におけるジェンダー表象
          20本
        • 幽霊屋敷(映画の世界)へようこそ
          12本
        • 映画の動物/動物の映画
          24本
        • 映画の中の建築家(アーキテクト)
          9本
        • ヌーヴェル・ヴァーグ~揉みつ揉まれつ
          6本
        • 魅惑の「中世映画」
          12本

        記事

          【映画評】飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)

          芳しくないミステリー  a.k.a. 「そして田所の強姦未遂の事実だけが残った」。あれを無かったことにした時点で本作の性的モラルは最低と知れる——登場人物たちは皆よくあんな奴と同じ舞台に立てるものだ。CGによる空想描写とはいえ「山荘」が「閉ざされ」る程の雪が降り募って/積もっていないのも気にかかる——雪国の実情を舐めてはいないか(原作の舞台は本当に「雪の山荘」だった)。そして何より謎解きのテンポが悪い。何だかもたもたもたもたしている——特に終盤がひどい。  いや、そもそも、

          【映画評】飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)

          【映画評】ベネディクト・エルリングソン監督『馬々と人間たち』(Hross I Oss, 2013)。

           アイスランドが舞台のオムニバス映画で、とはいえ相互に繋がっているそれぞれのエピソードの始まりを当地の純潔馬の瞳のアップが告げる(左図)。人と馬との密接な関わりを物語る各話において、人間の擬獣化、馬の擬人化が平行して進められ——本作のポスターがそれを象徴する(右図)——、最後は共同放牧地から集められた馬とその持ち主らが人馬の別なく入り乱れる場面で閉じられる。  だが、この最後の場面を(人同士だけでなく)「馬と人間の境界も曖昧に」し「馬も、人間も、この地に生きる同等の動物という

          【映画評】ベネディクト・エルリングソン監督『馬々と人間たち』(Hross I Oss, 2013)。

          【映画評】ジャック・オディアール監督『君と歩く世界』(De rouille et d'os, 2012)

           このフランス/ベルギー/シンガポール合作映画の原題(仏語)を直訳すれば「錆と骨の」で、省略されているのは、クレイグ・デイヴィッドソンによる原作のフランス語タイトル "Un goût de rouille et d'os" から「味(un goût)」と分かる。先にカナダで出版された英語版のタイトルも「錆と骨(Rust and Bone)」で、 つまりは殴られて切れた口の中の「血の味(le goût du sang)」のことである。  さて、本作の主人公は南仏アンティーブの水

          【映画評】ジャック・オディアール監督『君と歩く世界』(De rouille et d'os, 2012)

          【映画評】ルイ・シホヨス監督『ザ・コーヴ』(The Cove, 2009)

          海外版DVDと日本上映版の違い  以下は、このアメリカ製ドキュメンタリー映画が日本で公開された当時(2010年)に、事前に入手していた海外版DVDを自宅で見て、その日のうちに渋谷の映画館で日本版を鑑賞した上での記述である。  まず日本版では、①「この映画が示すデータは製作者の見解に基くものである」旨の前口上の字幕画面が入り、②太地町(和歌山県東牟婁郡)の住民の顔にモザイクがかけられ、③エンディングの字幕に太地町と日本に配慮した改変が加えられている。これら改変に関する個人的見

          【映画評】ルイ・シホヨス監督『ザ・コーヴ』(The Cove, 2009)

          【映画評】ザック・スナイダー監督『300〈スリーハンドレッド〉』(300, 2007)

          ミラーとスナイダー—ヘロドトスの末裔  『300』はフランク・ミラーの同名のグラフィック・ノベル(平たく言えばアメリカの漫画)を映画化した作品だ。この映画はペルシア戦争(前500~前449)中に起きた実際の合戦、即ち紀元前480年にギリシア半島中部で戦われた「テルモピュレーの戦い」の様子を描いている。古今東西、ペルシア戦争にまつわる「物語」は、同時代史家たるヘロドトスの著作(『歴史』)を嚆矢として今日まで脈々と語り継がれているが、映画『300』もそのようなペルシア戦争譚の系

          【映画評】ザック・スナイダー監督『300〈スリーハンドレッド〉』(300, 2007)

          【覚書】D・W・グリフィス監督『東への道』(Way Down East, 1920)

           『ステラ・ダラス』(キング・ヴィダー監督、米、1937年)の場合(註1)と同様、終盤のシーンをどう解釈するかが『東への道』を評価するか否かの鍵となっているように思われる。しかし、それについて考える前に、この作品を映画史、あるいは「メロドラマ」という物語ジャンルのコンテクストにおいて再確認しておきたい。  本作の監督は「映画の父」やら「ハリウッドの父」と讃え称されるデイヴィッド・ウォーク・グリフィス(David Wark Griffith, 1875-1948)である。彼がな

          【覚書】D・W・グリフィス監督『東への道』(Way Down East, 1920)

          【要約】J・プレイス「フィルム・ノワールの女たち」(Janey Place, Women in Film Noir, 1978)

           男性の幻想の産物たるヨーロッパの神話・宗教・文学・芸術において、「ダーク・レディ」や「スパイダー・ウーマン」は、非常に古くから、そのアルター・エゴである「処女」・「母親」等々とともに女性の二大原型を形づくっている。現在(1978年現在)、大衆文化としての映画がかつての神話に相当する役割を果たしているといえるが、中でも1940年代から50年代半ばにアメリカで人気を博した、明瞭で一貫したスタイルをもつ映画群、すなわちフィルム・ノワールの中にも、そのように神話的な女性像が——ただ

          【要約】J・プレイス「フィルム・ノワールの女たち」(Janey Place, Women in Film Noir, 1978)

          【映画評】ピーター・メダック監督『チェンジリング』(The Changeling, 1980)。

           ハンガリー出身の監督が撮ったカナダ映画で、しかし舞台はアメリカである。  交通事故で妻子を失った初老の作曲家が心機一転、歴史保存協会の女の仲介で古い屋敷に住み始めるも、毎朝6時に鳴り響く轟音に悩まされるようになる。そんなある日、男は屋敷に屋根裏部屋があることを発見し、そこにあった子供用の車椅子がいったい誰のものなのか調べ始める。という、これは、ケルト的「取り替え子(changeling)」伝承の現代(北米)版である。  「屋根裏」で見つけた「オルゴール」が奏でる曲と男が久し

          【映画評】ピーター・メダック監督『チェンジリング』(The Changeling, 1980)。

          【映画評】デイヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY ゴースト・ストーリー』(A Ghost Story, 2018)。

          “Whatever hour you woke there was a door shutting.” “"Safe, safe, safe," the pulse of the house beat gladly. "The Treasure yours."” A Haunted House, Virginia Woolf フランスでの低評価  ギレルモ・デルトロが賞賛し、日本でも蓮實重彦が絶賛したせいかやけに高く評価されているこの映画だが、フランスの『カイエ・デュ・シ

          【映画評】デイヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY ゴースト・ストーリー』(A Ghost Story, 2018)。

          【映画評】クリス・サンダース監督『野性の呼び声』(The Call of the Wild, 2020)

          イギリス動物文学との影響関係  本作が映画館にかけられる前、さもハリソン・フォードが演じる主人公(ジョン・ソーントン)とその飼い犬の物語であるかのような予告編が流されていたが、実際にはこれは犬のバックが主人公の純然たる動物映画である。  だから映画の前半において、大型犬バック――原作小説によればセントバーナードとスコッチシェパードの雑種――は、ゴールド・ラッシュに湧く19世紀末のアラスカを舞台に、本作と同じヤヌス・カミンスキーが撮影した『戦火の馬』(2011)よろしく、どん

          【映画評】クリス・サンダース監督『野性の呼び声』(The Call of the Wild, 2020)

          【映画評】ウェス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr. FOX』(Fantastic Mr. Fox, 2009)

          脱獄、あるいは「人形の家」からの脱出  これはロアルド・ダールの児童文学(Fantastic Mr Fox, 1970)を原作とする人形劇である。ウェス・アンダーソンが試みた初のストップモーション映画でもあるのだが、本作を観た後にそのフィルモグラフィーを振り返って見ると、アンダーソンはもともと「人形(あるいは動物)のように人間を撮る」タイプの作家だったと気付かされる。実際、彼は作品ごとにあらかじめCGによる絵コンテ、「プレヴィズ(アニマテックス)」を用い――要はプリプロダク

          【映画評】ウェス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr. FOX』(Fantastic Mr. Fox, 2009)

          【映画評】ニア・ダコスタ監督『マーベルズ』(The Marvels, 2023)

           広大な宇宙を一人漂うキャプテン・マーベルの絶対的孤独——ぜひIMAX3Dで冒頭の宇宙遊泳シーンを堪能してほしい。他の二人のヒロインの登場とその二人との交流は確かにキャプテンの孤独を癒すが、それは彼女の能力の相対化をも促してしまう。かくて「女たち」は一旦「交換(exchange)」可能な客体の位置に貶められ、だが相互の「もつれ(entanglement)」を手掛りにそのような状況から脱出する。  そもそもスーパー・ヒロインには誰でもなれる訳じゃない。しかし、ひとたび超能力を得

          【映画評】ニア・ダコスタ監督『マーベルズ』(The Marvels, 2023)