だれかの記憶に生きていく
19歳の時 父ががんで亡くなった。
父は49歳だった。
私は、父があの世へ旅立つその瞬間を目の前で見届けた。
まさかその一瞬の出来事が ここまで自分の人生に
大きな影響をもたらすことになるとは その時は思いもせず・・。
『 私の死生観 』
昨年、7回忌法要を執り行い
今年で父が旅立ってから丸7年が経とうとしている。
当時19歳だった私は、現在26歳。
大学を卒業して社会に出てから5年目となった。
この7年間で変わったことは?と問われると
正直、一言では言い表せないほど めまぐるしい変化があった。
経済的なこと。
学生から社会人になったこと。
結婚したこと。
その他いろいろ・・・と、もちろんあるが
何よりも、自分自身の生き方や、家族・周りの人との関わり方といった
”人として”の人格部分から、全くと言っていいほど変わったと感じる。
それは、「死」という いつやってくるか分からない
その存在を意識した生き方に変わったこと
これが大きなきっかけになった。
具体的には、「死」を意識することで
日々の行動や目の前の人を見る目が変わっていったのだ。
”人は必ずいつか死ぬ。”
この厳然たる事実を突きつけられたのが、私にとっては父の死だった。
よく考えたら、”死”だけは唯一100%地球上にいる誰もが経験する
ライフイベントである。
”生きなければ死ぬことはないし、死を迎えない生もない”
という、当たり前だけどリアリティがない この確固たる事実が
今、私たちの日々の時間の延長線上にあるということを
私は父の死を境に、初めて向き合うことになった。
『 1冊の本との出会い 』
「だれかの記憶に生きていく」
タイトルにもある通り、これが私の目指す生き方だ。
この生き方は、実は1冊の本との出会いにより
見つけることができた。
その本は、2020年に発行された「だれかの記憶に生きていく」
という、まさにタイトルそのままが私の生き方になるほど
自身の死生観を言語化してくれている本だった。
著者は、映画 おくりびと の技術指導を行った納棺師がお父様にあたる
納棺師の木村光希さん。
納棺や葬儀の場では、もうお話することができない故人を見て
”こんな人だったよね・・” "職人の手だな・・” などと
その方の人生を、ご家族や友人知人からお話をお伺いすることで
まさに故人が【こんなふうに生きてきた】が伝わってくると
本には書いてあった。
実際に、この経験を私も父の通夜・葬儀で目の当たりにした。
『 父のお別れの場 』
現役の中学教師として勤めていた父。
仕事一筋で、家のことはほぼ母に全任せという
まさに、仕事人間の父だった。
正直、父の仕事(外)の顔はほとんど知らないといっても嘘にならない。
そのくらい、父がどんな想いをもって毎日仕事をしていたのか?や、
どうしてそこまで没頭できるくらい仕事が好きなのか?は
聞けずじまいで亡くなってしまった。
聞けずじまい・・・・ではなく、
実際は、聞こうとも思わなかったくらい
娘と父との距離感は、思春期の延長戦も含め
しっかりと溝が出来てしまっているような状況だった。
そんな中、父のお別れの場には昔の教え子や
担任ではなかったけれど、父の社会の授業が好きだった
という現役の学生たち、その保護者の方が大勢駆け付けた。
また、父の様々な昔からの人脈の繋がりだと思われる
年齢も職業も性別も本当にバラバラの方々が、全国から駆け付け
通夜も深夜まで、翌日も早朝から・・と、目をつむる間もないほど
たくさんの方々が手を合わせに来てくれた。
そこで聞く、エピソードの数々。
また、棺の中を覗いて歯を食いしばって涙する教え子たちの姿。
10年前に父が担任だったという教え子たちによる【○回生一同】
とかかれた、大きな花が会場に運び込まれてきたり・・・と。
私たち家族が知らない 、外での父が
ここまでたくさんの人たちに愛されて 惜しまれて 語られている姿に
父の人生や生き方を、私はそこから知ることになった。
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