読書感想文【銃】中村文則
正直な感想を書くと、読んでいた当初は作者の物語に込めた「明治時代初期頃や、戦前くらいの純文学的な文体や物語の構成への憧れ」的な雰囲気をむず痒く感じながら読んでいた。
というのも、あらすじだけを見て作者は「現代版金閣寺」を書きたいのかな?と先入観を持って読み始めてしまったのだ。
何かに倒錯していく様や、その最中の心理描写が細かく書かれ、物語がすすむにつれ主人公の持つ背景や銃を向ける対象がエスカレートしていくのは読んでいて「ごもっとも」な感じはあった。
「銃」にも一緒に収録されている「火」のどちらの主人公も、所謂後から聞いたら情状酌量の余地ありな今や昔の境遇を過ごしている。
もうそんな設定に頼るなよ。と思いながら読んでいたが、どちらも物語の最後には「どんでん返し」と言ってもよいような裏切りがある。
・「銃」について
魔が差すということは人間だれしもあるものだ。
どんな聖人でも、人が見ていなければ横断歩道を信号無視するかもしれないし、生活に困っていなくてもしょうもない窃盗をすることもある。
周りの人間が後付けで理由を探して、結果と原因を関連付けたがる。
そうしないと、人間という生物は理解不能で、恐ろしい生物になりさがってしまう。それが嫌だからなんのかんのと原因を探す。
でも、魔は差すものだ。
ちょっとしたボタンの掛け違い。という言葉があるが、それすらもボタンとボタンを入れる穴があるという前提で成り立っている。
しかし、人間ある日ボタンが異次元の空間に吸い込まれて人から見れば理解不能な穴にボタンを押し込むことだってあるだろう。
西川は終始銃を愛する対象として考えている。セフレの女性とヨシカワの様な人間と同様に扱っている。
そこに何故?と疑問を抱くと、原因を探してしまうが、子供の何故か車が好きだったり、虫が好きだったりするのと大差はない。
興味の対象。注目の対象が偶々手に入ってしまった「銃」であっただけだろう。しかしその対象が銃であったものだから、物語はバイオレンスな方向に進んでしまう。
作者はこの物語をどういう順番で着想を得たのだろうか。
「銃」というアイテムからはじまったのか。
「愛」という感情からはじまったのか。
それとも「主人公は養護施設出身」からはじまったのか。(あんまりなさそうだが)
「人間の理解できなさを表現したい」という部分から始まったのか。
それとも、それら有象無象を文章にしたらたまたまこういう物語になったのか。
どれなのかは私は物書きではないので分からない。
ただ、最後のシーンを書こうとした作者の気持ちは分からなくはない気がする。
ちょっとした哲学では終わらない。終わらせない。
突然の展開でそれまでの流れを破壊し滅茶苦茶にして、そうした後に生まれる世界感を表現したかった。
世の中は理不尽で、説明がつくことなど面白くもない。
そんな感じだったのかもしれない。
最後にカオスをぶち込むのが、このころの中村先生のブームだったのかもしれない。
個人的には「銃」より次の「火」の方がよりカオスに磨きがかかっていて楽しかった。
・「火」について
もうラストの部分が大好きだ
きっとこの独白をやりたいがために中村先生はこの物語を書いたんだと思ってしまうぐらい滅茶苦茶だ。
詳細は省きますが、まぁヤバイ語り手がおりまして、カウンセラーとの対話をしているというシチュエーションで物語が進みますが、もはやカウンセラーなど居たかも怪しい精神状態で物語は終わる。
なんかホアキン版の映画「ジョーカー」みたいな雰囲気もある。
このアナーキーな感じ。前提も何もかもぶっ壊して、どないすりゃええねん!っていうモヤモヤで終わらせてやる!という作者の強い意志を感じる。
短編なので、40P程度なのだが、もっと続けて貰って、もっとどん底まで突き落としてくれても構わない。ただ、物語を続けて躁鬱の法則性を見出しても面白くないので、このくらいの長さがベストだったのかも。
単なる胸糞ではないが、同情もない。救いもない。真偽も不明。
ん~。いいパンチを貰いました。
最後に
中村先生が20代の前半で書いた作品とのことで、フレッシュでパンチのある作品でした。先生の他の作品も色々と買って揃えてあるので、他にどんな引き出しを出してくれるのか楽しみです。
なんか雑な感想になってしまった。
リハビリ中なので、良いことにしよう。
次に読む本→夏目漱石「こころ」
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