と畜を経て。
2024年10月から豚の食肉実習が始まった。
豚をと畜解体し、肉を加工し、最終的に何種類もの食肉製品にし、おいしく食べた。
できた食肉製品をほぼ毎回の授業で持ち帰る。
少しでもいろんな人に興味を持ってもらいたくて、人の集まる機会にいろんな人と食べてみる。もっとその時にいろんなことを話せたらよかったのかもしれない。でも食事中に生々しい話をするわけにもいかない。
ということで後から少し文章にすることにした。
実習初日、いきなり豚の命をいただく。
いわゆる「と畜解体」という過程。
実習現場のにおいがとにかく強烈だった。
獣臭というか、生臭さというか。
帰ってから試しに、普通の市販の豚肉のにおいを嗅いでみた。するとそこに何か共通するにおい成分を、嗅覚が発見してしまったようで、その日は豚肉を食べることに抵抗を感じた。
あときっと忘れられないだろうと思うのが、豚に電気ショックを一定時間与え続け、豚が一気に力を失う瞬間。その場に響き渡る音も、流れる空気も、最初で最後だったのかな、と思う。
動物愛護の考え方も発展してきて、動物に精神的ショックを「比較的」与えない方法を使っていることは理解もしている。
ただ、「ああ、動物に痛みを与えずに肉を食べる方法なんてないんだ。」ということに気づく。
その日私は、豚が豚肉に見えてくる瞬間って人によって全然違うんだという認識の違いにも気づいた。
「ほらもう肉に見えてきたでしょ!」という先生の言葉が聞こえた時もなお、豚の形が残っていたから、私にとっては、全然「豚」だった。
続くは部分肉加工。
魚をさばくのと同様、豚の体の構造を理解していないと、不要なところへナイフを入れてしまって雑菌を増やしやすくしてしまったり、肉のロスを出してしまったりする。
美味しさを引き出すとかいうこと以前に、素材そのものについて学ぶ意義を感じた。
そして添加物を加えながらの食肉加工。
最近では「食品添加物」は忌避されやすい。
でも、食品添加物は、「保存料、甘味料、着色料、香料など、食品の製造過程または食品の加工・保存の目的で使用されるもの」であるわけで、それぞれの添加物の役割を理解すると、「ああ、必要とされていて加えられているんだ。」と納得する。
食材が限られていた時代、少しでも食材を無駄にせず、食べきるための工夫から確立してきたものでもあるのだから、そうした工夫の努力には頭が下がる。
その一方で本来腐るのが当たり前の食品の寿命を、不自然なほど伸ばしてしまうような、添加物の利用法に疑問を呈したくなるのもわかる。自然の摂理に逆らっているような感覚で。
だから短いフレーズの言葉に踊らされるのではなく、学んで理解して納得してといった過程が大切だし、学んだ身としては、その理解の橋渡しをしたいと強く思っている。
今までは豚肉が好きかどうかを判断するとき、そのものがおいしいか否か、という判断基準しか持っていなかった。まあ、おいしいから普通に好きだった。
ただ、実習全体を経験してみてもなお私は、豚肉を食べたくないという思いにはならなかった。
これはきっと、豚が豚肉になって、「おいしいもの」に変わるまでの全過程を知り、思わず目をそむけたくなるような場面や、骨が折れるような工程も経験したうえで、その過程を肯定できたからだと思う。
これからも、加工の過程、加えられる添加物、家畜の動物が育ってきた背景に思いをはせながら、食肉をいただけたら、と思う。そしてその過程や知識、現場に触れられる環境は有難いはずなので、それを伝えていくことをしていきたいとも思う。
そして自分自身としては、「消費する。」ではなく、「いただく。」といった表現を使い続けていきたい。
p.s.
少し早めのお年玉をもらったので、と畜の写真集を買った。
将来飲食店を開くときにも、お店に置いておきたい。