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歌舞伎狂言「三人吉三廓初買」河竹黙阿弥 レビュー ー流転する宝剣と循環する貨幣ー 1話


月も朧(おぼろ)に 白魚の
篝(かがり)も霞(かす)む 春の空
冷てえ風も ほろ酔いに
心持ちよく うかうかと
浮かれ烏(からす)の ただ一羽
ねぐらへ帰る 川端で
竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)
思いがけなく 手に入る(いる)百両(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!
ほんに今夜は 節分か
西の海より 川の中
落ちた夜鷹は 厄落とし
豆だくさんに 一文の
銭と違って 金包み
こいつぁ春から 縁起がいいわえ

河竹黙阿弥 三人吉三廓初買「大川端庚申塚の場」

 「月もおぼろに白魚のかがりもかすむ春の空」。歌舞伎「三人吉三廓初買(三人吉三巴白浪)」の「大川端(稲瀬川)庚申塚の場」での名台詞である。河竹黙阿弥の作品。初演時の「三人吉三廓初買」は反響を得られなかったが、三十年後のリメイク「三人吉三巴白浪」は大評判に。いっきに歌舞伎の演目の定番となった。そのあらすじを説明するのは簡単ではない。ただでさえ一幕ごとの完成度が高い台本に二つの物語が組み込まれ、登場人物の因果関係も複雑である。

 一つの物語はタイトルの「三人吉三」に対応し、小悪党の三人の吉三の(お嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三)がしでかす悪事を描く。もう一つはタイトルの「廓初買」に対応し、小道具商の木屋文理(=文蔵)と吉原遊郭の遊女一重との恋愛悲劇である。後者の顛末については再演以降省略されて、その後、「三人吉三巴白浪」として知られるようになる。白浪とは悪党のことである。小悪党の三人の吉三は義兄弟の契りをかわし、登場人物を巡る因果が絡んで、市井を騒がせる小さな悪事を重ね、最期は互いの運命を呪いながらも取り返しのつかない行為をかばいあい、刺し違えで末期を迎える。クライマックスは捕物用の梯子で捉えられる立ち回り、日本人好みの美しくも悲しい舞台である。江戸時代のヤンキー三人の何か熱病にかかったような行動は、理解しがたい不思議な余韻として残る。阿佐田哲也は「彼らの屈折した誇り」を「空自信」と評する(阿佐田哲也「あちゃらかぱいッ」)
 
 歌舞伎の入門解説書を紐解くと、興行上の事情もその作品作りに影響していることを知る。それまでの人気のモチーフや作品を流用して台本を作る、お客の受けに応じて台本を書き換える、役者の人数にあわせて二役の起用や、まだ売れていない役者は第一幕であらすじの説明のような役回り、お昼やお茶の時間向けに、面白みもそこそこの「ダレ場」もあり、人気のあった幕だけで興行できるよう一幕で話が完成している。

 「三人吉三廓初買」、特に「三人吉三巴白浪」の物語の構造をもう少し分析してみると、源頼朝由来の宝剣(庚申丸)が盗まれ、売買されて流転していくとともに、その売買で儲けた金がまた次々と盗まれ、譲られて転々としていくことでドラマが進行している。つまりは宝剣と貨幣の二つのオブジェが動力となって登場人物の運命と因果の歯車を回転させているのだ。
 
 以下に前半のあらすじをまとめる(かっこは「三人吉三廓初買」今尾哲也校注、新潮社のページ番号)

 頼朝から授かった安森家の家宝の刀「庚申丸」が何者かに盗まれ、安森源氏兵衛は切腹、安森家も断絶の処分を受ける(P24)。舞台はその後の話として始まる。旗本の海老名軍蔵は庚申丸を見つけて頼朝に献上すれば立身出世できると考えた(P43)。そこへ研ぎ屋予九兵衛が庚申丸の話を持ちかけてきた。人足が川底から庚申丸を掘り出し、これを与九兵衛が買い取って木屋文蔵に転売したという(P42)。文蔵はある大名に売ることにしているが、軍蔵が望むのであれば譲ってもらうよう手筈もする、購入資金が必要ならば金貸しも紹介しようというのだ。軍蔵は金貸しの太郎兵衛から金を借りて小道具屋木屋文蔵(手代の十三郎)から庚申丸を買う(P45)。
 実は、軍蔵が庚申丸を手に入れる前に、安森家の次男の森之助・元家臣の弥作は軍蔵の一門と神社の境内で小競り合いになって、二人とも辱めを受けていた(P28)。その後、軍蔵が庚申丸を手に入れたことを知った弥作は、再び軍蔵のところにやってきて庚申丸を譲ってくれないかと懇願する。軍蔵がこれを断わると、弥作はその場で軍蔵を殺してしまう(P79)。ただし、庚申丸は軍蔵が殺される前に、刀研ぎのために与久兵衛に預けられていた(P51)ので弥作の手中とはならない。

 一方、軍蔵に百両を貸した太郎右衛門は、海老名郡蔵が死んだことを与久兵衛から聞かされ、貸した百両は返ってこないのだと理解する(P93)。そもそも太郎右衛門は与久兵衛から紹介されて、郡蔵に百両を貸したのだった。太郎右衛門は金が返ってこないのであればと、与久兵衛から庚申丸を奪いとってしまう(P96)。

 さて、郡蔵から庚申丸の代金を受け取った小道具屋手代の十三郎は、その受け取りの帰り道で立ち寄った夜鷹のおとせの小屋に百両を置き忘れてしまう(P67)。正直なおとせは、その百両をお客に返してやろうと十三郎を探しに出る。ところがおとせが十三郎を探して夜道を歩いていたところ、懐にいれていた百両を女姿のお嬢吉三に奪われる(P112)。その直後、太郎右衛門がお嬢吉三から百両を奪おうとするが、逆に差していた庚申丸を奪い取られてしまう(P113)。冒頭の名台詞は、女姿のお嬢吉三がおとせから百両を奪ったあとの台詞である。

 そのあと、お坊吉三がお嬢吉三に百両をよこせと争いとなっているところに、和尚吉三も現れて争いの仲介となる。和尚吉三は自分の片腕それぞれに切り取り、その対価に五十両ずつを和尚が受け取ろうと提案し、それぞれの粋な立ち振る舞いに三人は意気投合、百両は和尚の預かり(P130)、と桃園の誓いのような義兄弟の約束を交わすこととなる。ここまでの三人が登場までをおおまかに説明しただけでもかなり複雑で混沌としている。
 
次に、ここまでのあらすじをもとに、宝剣(庚申丸)と百両のそれぞれが次々と人の手を渡っていくことについてもう少し考えてみたい。


出典:「三人吉三廓初買」今尾哲也校注、新潮社


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