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バナナの木

数年前のある日、私は沖縄にいた。

偶然知り合った地元の ”にーに” が、親切にもいくつかの場所を案内してくれたのだけど、行った先の1つにバナナ畑があった。


これだけ著名なフルーツなのだから、どこかで栽培されていて当たり前。

それなのに、内地からやってきた私にとっては、そもそも木に生っているバナナを見ることが初めてで、もちろんバナナの畑なんて想像したこともなかった・・・


「バナナは木に生っている」


背丈の倍ほどもある木からどっしりと重い実をぶらさげているその姿には、まだまだ未熟なくせにどこか貫禄を感じる。

正確には木ではなく、「茎」なのだけれど、私はあえて「バナナの木」という表現にこだわりたい。それほどの迫力があるんだってば。


その日からというもの、まちを歩きながら、やたらとバナナの木が目に入るようになった。

民家の庭から耕作放棄地、おしゃれなカフェの植え込みにまで。


昨日までバナナの木なんて、人生で一度も見たことがなかった。

見たはずがなかった。


それなのに、今となっては、バナナの方から視界に飛び込んでくる。

なーんだ、あちこちにいたじゃないか。


自分が生きる世界がどう見えるかって、自分の知識だったり、経験次第なのかもしれない。

今は見えていなくたって、ちゃんと映ってはいるはず。

時には知らない方が得なことだってあるかもしれない。

だけど、バナナの木のように、実はずっと近くにあったもの自分にも見えてくる、そんな感覚が私には心地よく思えた。


知識や経験という広角レンズを拾って、見える世界が広がる瞬間って、気持ちが良い。

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