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『日ざかり村に戦争がくる』を読んで


ちっぽけでなにもない村
日ざかり村

トビ色の牛が数頭とヤギがいて畑があるだけ
てんさい糖や、やわらかいチーズ
はかり売り用のすぐにすっぱくなる
ワインがとれるだけの村

村の少年、ファン・デ・ルナは
いつも村の教会の塔の上にのぼり
ひびの入った鐘の下に座り込んで
日ざかり村にやってくるものを
ながめるのが好きだった


つつましやかに日々を生きる村の人々

ファン・デ・ルナのとうちゃんとかあちゃん
マルシアルおじさん 猟師のフスト
治療師のドン・ディエゴ
金持ちの地主のドン・パブロ
老紳士のドン・ハコボ
寡婦のアングスティアス
たばこ屋のカルメン
やぶにらみのマカリオ


日ざかり村はあまりにちっぽけで、あまりにへんぴなところにあったので、戦争をしかけた将軍の目にとまらなかった

けれども、戦争はあった

戦闘は、よその町であった
山のむこうの、だれも知らない、
はるか遠い町で

だんだんとパンがかたくなり、
なかなかとどかなくなった

「やっかいな時代になるぞ」
「なんで戦争なんかしなきゃなんねえんだ?」
「どっちの歌もおぼえて、両方の旗を立てておけばいいのさ」


ファン・デ・ルナは「戦争がくる」と聞いて
くるところを見てやろうと塔にのぼった


ファン・デ・ルナは、まっさきに戦争を見つけて村じゅうに知らせてやるつもりだった、、


スペインの現代児童文学を代表する作家
フアン・ファリアスの作品で

1936年に起こったスペインの内戦が舞台です

共和制政府に対して
軍部が反乱を起こしたスペイン内戦は

ピカソにゲルニカを描かせた戦争としても
知られています

内戦は後に反乱軍の勝利に終わり

フランコ将軍の独裁時代へと続いてゆきます


ヘヴィーなテーマですが
直接に戦争を描くのではなく
行間を読ませる描き方が秀逸です

前述の
『どっちの歌も覚えて両方の旗を立てておく』
というのは政府軍と反乱軍の事を意味しますが
お話の中にそれらの単語は一切出てきません

ただ
『いいほうの兵隊と悪いほうの兵隊』
と表現されています


物語の最後にファン・デ・ルナのとうちゃん
壺作りの職人で
本を読むのが好きだったとうちゃんは
反乱軍に見つかり処刑されてしまいます


とうちゃんとかあちゃんの
馴れ初めを描いたシーンが切ない

かあちゃんがそのあとも
ずっと持っていた一通の手紙

手紙は、とうちゃんが書いたものだった



かあちゃんはその手紙を、ドン・ハコボに読んでもらった。かあちゃんは、読み書きができなかった。字を習う前に、子もりのしかたをおぼえたから。

手紙は、こんなふうなラブレターだった

『聖コスメと聖ダミアンの日までに、おれはおまえのとうちゃんのところに行って、おまえのことが好きだって言うよ』

ファン・デ・ルナのかあちゃんは真っ赤になって、台所のすみにかくれてしまった

今はもう、かあちゃんはおばあちゃんだ

ときどき孫を連れて屋根裏にのぼって、そこにある小さなものの物語を孫たちにしてやる





しかしなんとも最近

戦争の本を指が選んでしまうのは
イスラエルだとか
ウクライナだとか
台湾だとか
色々な事に思いを馳せてしまう
今だからなのでしょうかね、、、


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