🎬異人たち　感想

3,600字です。

山田太一の小説を1988年に大林宣彦が監督した『異人たちとの夏』を現代のロンドンに置き換え再映画化。

この映画の大筋としては大好きな1988年の大林宣彦監督版『異人たちとの夏』をほぼ踏襲するかたちで作られています。
が大林版ではあくまで「主人公の自己肯定に至る過程」だけが物語の中核であったことに対し、今回のリメイクでは「死者側の心理への探求」という視点にも重点が置かれ、大林版よりもそれについてはわかりやすく描かれているように思いました。

まず一つ目の「主人公の自己肯定に至る過程」について。
時代の変化もありますが、主人公がゲイであることは大林版から大きく変更された点でありたくさんの方が肯定的に評価しています。

1988年の大林版では、主人公は大人としてとても立派とは言えない人間で、しかも人生もうまくいかない、一生懸命に生きていた姿だけの記憶がある亡くなった両親に対してはどこか後ろめたさを抱えているという設定でした。
一方、今回の映画の主人公のアダムがゲイであることは、主人公の両親に対する後ろめたさ、告白できなかった後悔と理解してもらえなかった悲しさなどの心情はより鮮明になっているように思います。

ゲイであることとは、時代や社会的価値観の違う両親に対して、少なくとも両親が望む当たり前の人生…結婚し子を産み育てるという人生から大きく外れていることを意味しています。
アダムが子ども時代の経験も含め、現代の若い世代のようにおおらかにゲイであることを語れない世代であるがゆえの描写の数々がアダムの自分を否定する気持ちの強さを物語っています。

アダムは再会した両親にカミングアウトします。
母親は価値観の違いから当初アダムのことを理解することができません。
一方父は子どもの頃ゲイゆえにいじめられていたアダムを守れなかった後悔に苛まれます。
ギクシャクした親子関係がしばらく描かれていますが、たとえ社会的価値観は全く違っていても両親は子どものアダムを受け入れ、今の大人になった、これまでを必死に生きてきたアダムを心から理解し誇りに思い家族として一つになる家族のラストシーンはやはり感動的です。
大林版では浅草のすき焼き屋で展開するシーンであり、片岡鶴太郎と秋吉久美子の名演もあって記憶に残る名場面なのですが、このリメイク版ではアダム役のアンドリュー・スコットが印象に残る名演をしていて心に残りました。
『007/スペクター』ではMI6の解体を目論む"C"を、テレビドラマ『SHERLOCK（シャーロック）』ではホームズの宿敵・モリアーティという悪役が多かったアンドリュー・スコットでしたが、本作では自分のアイデンティティに孤独に悩むリアルな共感を生む人物を見事に演じています。

「主人公の自己肯定」というテーマについて、この映画を観始めて一番はじめに連想した他の映画は『aftersun/アフターサン』でした。
両方の映画にポール・メスカルが出演していますが、これは偶然だと思います。
『aftersun/アフターサン』と『異人たち』の共通点は、いずれも主人公が親という存在を媒介し自己肯定に至るという展開でした。
ただそのアプローチの仕方が全く逆なのはむしろ興味深くおもしろく思いました。

『aftersun/アフターサン』が娘側から過去の父親の記憶とその想像によって自己肯定するという主人公から親に向かった思索のベクトルで描かれているのに対して、『異人たち』での主人公アダムの自己肯定は親と恋人という他者からアダムへの理解と愛情のベクトルによって達成されます。

真逆と言っていい描き方なのですが、いずれも同性愛者という共通項を持たせているがゆえに、象徴的に親と子ども世代間の考え方のギャップと、LGBTQ当事者の性趣向あるいは性自認ゆえの「子孫を産み育てられない」ことへの自己否定の強さ、その両方による親子の断絶とそれを超えて理解し愛を注ぎ合える親子の本質への肯定感が強く描かれているように思いました。

現代では『aftersun/アフターサン』のように、LGBTQ当事者がパートナーとともに過ごし養子縁組などにより子どもとともに生きていくことも可能になりつつありますが、この映画のアダムのように表立って自分の性趣向をカミングアウトできない環境にいる人にとっては親に孫を抱かせてあげられないことへの自己否定感は周りが思っている以上に強いのでは？と考えさせられます。

そのことに関しては、LGBTQの人たちだけの問題ではなく男女で結婚していても子どもを授かることができず、女性は不妊治療を受けたり、男性も自身の性のあり方に悩んでいる人はたくさんいるように思いました。
日本の社会でも夫婦は子どもを産み家を存続することが義務とされてきた長い歴史があります。
子どもが生まれない家が養子を取って家を存続させることも常識でした。
子どもを産めないことの苦しみを古い家制度の根強さと考えるのは古い名家を除いてはすでにナンセンスと言っていいと思うのですが、むしろ親に血のつながったかわいい孫を抱かせてあげられないというもっと純粋な自責の念と苦しさというものは当事者でないとわからないことのようにも思います。

この映画では必ずしもアダムに子どもがいないことについては触れられていませんし、両親はアダムが子どもの頃に亡くなっているのでとりわけ子どもがいるかいないかということについて深く掘り下げた描写は必要とされていませんが、一般的な親子の間での互いに共通する思いの真ん中にあることとして個人的には子ども(孫)の存在の重要性に思いをはせました。

話がそれましたが、『異人たち』ではアダムを通して子が親に持つ「自分を理解してもらいたい」という感情が前面に押し出されていますし、それが両親からの無償の愛というかたちで戻ってくることがこの上ない喜びとして描かれています。
しかし逆に言えば一般の親子の間で、ゲイ云々は別として、子どもが自分のアイデンティティを親にきちんと理解してもらえた実感を持つことはやはりどこかむずかしい側面があり、ファンタジーというスタイルでないと達成できない事実も少なからずあることが描かれているようにも思えました。
それはこの映画も『aftersun/アフターサン』も、主人公が思いをはせる親の年齢になり、子どもとしては当時は大人だと思っていた親を人間として理解できるようになった、その理解の方向性だけは人間としてしっかりしていることが背景にあると思います。

アダムが少しずつ自分の心を解放することで自分を肯定していく重要な役割をするのがパートナーのハリーなのですが、大林版の名取裕子の役柄とはガラッと変わった設定になっていて感慨深いものがありました。
それによって『異人たち』が『異人たちとの夏』ではあくまで主人公側の自己肯定感という片道通行の主題だったことに対して、異人たち側の心理へのアプローチも深く試みられているところは新しくかつ人間考察が厚くなっているように思いました。

ハリーはアダムと恋に落ちていきますが、実はアダムと最初に会った夜自殺しています。
はっきりとは描かれていませんが、ハリーはアダムと親密になればなるほど、あの時死んでしまったことを後悔し続けていたであろうことがうかがえます。
もう少しだけ生きていたら…死を選ばなかったら…ハリーは生身の人間としてアダムとしあわせになれたはずでした。
衝動的に死を選んでしまったハリー、不本意な事故で突然亡くなってしまったアダムの両親…その両方の心にあるのは死んでしまったことの深い悲しみと死に対する恐れのように思いますし、逆に言えば「生きていることだけでも、それはすばらしいことなのだ」という作り手のメッセージがダイレクトに伝わってくるように思えました。

ハリーとともに星になってしまった、あちらの世界に行ってしまったような描写で消えていくアダムですが、私個人はあの後アダムは自分のアイデンティティを肯定し両親やハリーの分も自分らしく"たった一度だけの人生"を生きていくのだろうと思えましたし、そうであってほしいと思いました。

主人公をゲイにするという極端な改変をしつつ、すべての親子がそうではないとは思いますが、基本的には何歳になっても親に自分を理解して受け入れてもらいたいと願う子どもの心理の切なさと、それに対して親が自分の価値観を押し付けるのではなく子どものすべてを建前など捨てて丸ごと無償の愛で包み込むことの大切さをファンタジーの姿を借りて描く1988年版とは違った印象で記憶に残る秀作。

また死を意識してしまう人に「もう1日、明日だけ生きてみよう」という小さな歩みが大きな"生きる希望"につながる可能性と期待を真摯に伝えようと試みた作り手の姿勢にも強く共感しました。


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