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🎬神在月のこども 感想
走ることが好きだった母を亡くした小学六年生の少女カンナ。
深く傷ついた彼女は、母が走る神様の韋駄天の末裔だったことを知る。
カンナは母に代わって旧暦10月、八百万の神様たちが集まる「神在月」の島根県の出雲大社で行われる縁結びの会議のために走って馳走を届ける役目をすることに。
カンナは東京から出雲大社まで行く道中、いろいろな神社に立ち寄り土地土地の馳走を神様からお預かりするのだが、地方にある神社がアニメでしっかり再現されていて見ているだけで神社巡りをしたような神々しい気持ちになれる。
土地の神様たちが人間臭く、きびしくもやさしいのは日本ならではの神様観。
神話に根差した物語は人間臭い神様たちとカンナの出会いの物語なのだが、主は母を亡くしてしまったカンナがこれからどう生きようとしていくのか、大好きだった走ることをやめてしまうのかが映画の焦点となる。
映画にはカンナが馳走を約束の時間までに出雲大社に届けられるかのスリルもあるのだが、他方でカンナの地元の牛嶋神社の神様が母を亡くして泣いていたカンナを実は見守ってくれていたというエピソードに代表されるような、神話で語られる八百万の神々のやさしさがしっかり描かれていて胸が熱くなる。
しかし特筆すべきは、カンナと旅をともにする新人の神様のお使いの白うさぎのシロと邪鬼の存在。
白うさぎのシロがカンナを導きながらも、最後まで自分を犠牲にしてもカンナの願いをかなえようとする姿は健気でかわいらしい。白兎神社で応援され見送られるシロのかわいさには、感動すら覚えてもはや反則。
また同じく旅の仲間となる邪鬼が、韋駄天に神の座を奪われたという一族の命運を賭けカンナと競いながらも、走ることに迷うカンナに友情を感じ導いていく姿もさわやか。
この二人の存在でロードムービーとしての厚みが増していて、最後のカンナの行動の説得力を増している。
カンナの父はほとんど出番はないのだが、妻を失った悲しさを抱きながらもそれを隠してカンナに愛情を注ぐ姿は隠れたエピソードだが印象深い。
神話に基づく物語ゆえ、観る前に宗教的意味合いがあるのではないかと誤解する人もいるかもしれないが、そのような気配は全くなく身近な八百万の神々と人の営みの関わりを描いたやさしさにあふれた良作アニメなので安心して観ていいと思う。
観終わって、ふと悩んでいたときに訪れたことのある神社のことを思い出し、またお参りしたいな、などと思った。