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🎬映画 太陽の子 感想

太平洋戦争末期、日本でも京都の大学で密かに"原子核爆弾"の開発が進められていた。
戦況が悪化する中、学生の修は科学の探究者として原爆の開発に取り憑かれていく。

研究室で原爆に必要なウランを焼き物の釉薬から濃縮しようとしているところが興味深い。
満足な研究施設や機材もない中、戦況の一発逆転の秘策として原爆開発を急がせる海軍。
度重なる主要都市への空襲、沖縄の玉砕など国民の悲劇と犠牲は終わらない。

研究室の学生・修は戦争とまるで無関係のようなスタンスで、科学者として物理科学の探求のためだけに原爆開発に取り組んでいくのだが、その姿はもはやフランケンシュタイン。
熱核反応を「美しい」と追い求め、原爆が引き起こす現実を想像することはない。
田中裕子が演じる母親が、そんな修と相対し、『怪物』を彷彿とさせる迫力を見せる。

修は被爆した広島を調査したことから科学を極めることが行き着く残酷な現実に気付いていく。
修は常に頭の中の誰か(アインシュタイン?)と問答をし続けていて、科学の探求の結果として広島・長崎の悲劇が必然と言うその声に初めて異を唱える。
一瞬で焼かれ消された人々、何日も苦しんだ人、その後いまだに何年も苦しめられている人たちを思うと、被爆国の人間としてこれが科学の必然と割り切ることなどできなかった。

科学的探求に人間のまともな感情すら捨ててしまっているように見える修を柳楽優弥が好演している。
そして、人から隠れ苦しむ三浦春馬の演技にどこか現実の彼の悲しげな気配を感じたのは気のせいだろうか?彼を亡くしたことが残念でならない。

声ひとつで人間の無念さの全ての感情を演じてみせたイッセー尾形は見事。

作品はあくまで原爆を落とされた側の原爆開発のドラマを描いた映画なのだが、原爆を落とした側はどうだったのかが無性に知りたくなった。

話題の"あの"映画で当時のアメリカ人の本当の姿を、辛いかもしれないが、被爆国の人間としてしっかり観るべきではないか?と思った。


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