🎬風が吹くとき　感想

※2,900字です。

互いを思いやりやさしく生きる平凡な夫婦が、東西全面核戦争による原爆投下で被ばくする姿を恐怖と悲しみに満ちた映像で描く英国のアニメ映画。

この作品で私が注目したのは、序盤の主人公の夫婦ジムとヒルダが思い出す第二次戦争大戦を描いたシーンでした。
ジムとヒルダにとっての第二次戦争大戦は子どもの頃の思い出でしかなくどこかのどかで懐かしく記憶していて、その回想として実際の戦争のモノクロの記録映像が4分割された画面に連続して映し出されます。
映像はドイツによるロンドン空襲、チャーチルの演説、Dディ、パリの解放、ナチスドイツの崩壊を象徴する鉤十字の爆破など、夫婦が実際に見たわけではないのですが、歴史的事実として二人が第二次戦争大戦をある意味牧歌的に思い出すシーンを補完するかたちで挿入されています。
その中に広島の原爆ドームも一瞬だけ映し出されるのですが、英国人であるジムとヒルダの夫婦にとってのそれは「日本を降伏させ第二次戦争大戦が完全勝利により終結した」事実の象徴でしかありません。
当然、広島で起こった悲劇が自分たちにも起こる危険性などまったく想像できていません。
敗戦国と戦勝国、原爆の当事国とヨーロッパの国というわかりやすい違いはありますが、敗戦国で被ばく国である日本、それと日本との戦争がヨーロッパの世界地図では東の果てfar eastでの戦争だった英国、それぞれの国民の認識の違いがしっかり描かれています。
このことはビルとヒルダが特別無知な英国国民として描かれているわけではなく、当時の英国の一般市民の当たり前の感情だったことが推測されます。

それゆえですが、東西両陣営の全面核戦争を前にしたビルとヒルダの会話の中に"ヒロシマ"の単語はある一定の知識として出てくるのですが、被ばく国の人間から見ると楽天的ゆえに無知にしか見えてきません。
逆に東西冷戦についても、どこか呑気な夫婦の認識は「全面核戦争」という言葉の恐ろしさに支配されていた日本人から見るとため息が出るほどのんびりしています。
冷戦という恐怖に支配された世界観もビルとヒルダにとってはどこか他人事で、戦争は兵隊がすることという古い戦争の姿しか想像できていません。
チャーチル、アイゼンハワー、スターリンなど第二次戦争大戦の戦争指導者についてもビルとヒルダにとっては歴史上の英雄譚の中に現れる人物たちで、ヒルダに至っては冷戦構造を作った一方の当事者と言え、残虐な行為を繰り返したスターリンをヒゲの似合う好漢とさえ思っています。

長々と書きましたが、それほどレイモンド・ブリッグズの原作が発表され映画が製作された1980年代の英国人と日本人の感覚的な温度差は激しかったことには、むしろ驚かされました。

ビルが手にする実在した政府広報「PROTECT AND SURVIVE（守り抜く）」もとても原爆、そしてその後訪れる放射能の恐怖を伝えるものではなく、当然それに対処できるようなものではありません。
結果ささやかで幸せな余生をつつましく生きていこうとしていた平凡な夫婦は、想像を絶する苦しみと恐怖の中で死んでいきます。

この映画とその原作が、冷戦時代でいつ全面核戦争になってもおかしくない状況だったのに無知だった英国国民とそうさせてしまったちゃんとした情報や知識を知らせなかった、あるいは自分たちも何の知識もなかった当時の政府に対する原作者レイモンド・ブリッグズの怒りが原点にあることはさまざまな解説に書かれています。
しかし、日本との戦争が東の果ての遠くで兵隊だけがした戦争で原爆投下も遠くの出来事だった英国国民にとっては、政府を信じ情報がなければこれが当たり前の感覚だったのではなかったかと思えます。

クリストファー・ノーラン監督が子どもの頃この作品にショックを受け、核に対する認識が薄れてきた現代であるがゆえにあえて独特の手法で『オッペンハイマー』を監督したこともいろいろな媒体に書かれています。
この作品は被ばくのある側面、爆心地から離れていても逃げることなどできない放射能の恐怖をリアルに描いていて、ささやかな幸せの中で暮らす夫婦の描写や絵のタッチが温かくやさしいだけにショッキングです。
この映画を観て初めて核兵器と放射能の恐怖を知った人たちのショックの大きさがうかがえます。
しかし、ノーラン監督の『オッペンハイマー』を監督した動機とも連動することですが、今でも世界のまったく原爆に縁のない国の人たちにとってこの映画が描いている核兵器の残酷な描写やそれがもたらす悲劇はやはりどこか他人事でしかない、そのことが事実であることもあらためて感じました。

唯一の被ばく国民である日本人の中にもかなりな温度差があることは最近特に感じています。
日本が戦争をしたことも知らない、ましてや相手がアメリカだったことなど想像もできない若い世代の人がいることも事実のようです。
原爆が二つの都市に投下されながら、それでも1億国民玉砕に向かおうとしていた当時の日本の指導者たちの姿も風化しつつあります。(そのあたりの歴史への入り口としては、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』をおすすめします)
またおかしなことかもしれませんが、『オッペンハイマー』という話題作が公開されたことで、日本人の中にも世代や経験などで原爆や戦争についてかなり大きな認識の違いがあることも明らかになりました。

79年経った今、広島市、長崎市それぞれの原爆資料館の外国人入館者数が増加傾向にあるとの報道がありました。
私の勝手な感想でしたが『オッペンハイマー』が映画として求めたことに少しずつ反応してくれている世界各国の「原爆の事実を知ろうとする人々」の存在は、未来への勇気と希望のように思え心強く思えてきます。

この映画に戻りますが、『戦場のメリークリスマス』の縁でデヴィッド・ボウイから大島渚に日本語吹き替え脚本の依頼があったことも『オッペンハイマー』を独自解釈なりに考察した上で知ると不思議な気持ちにさせられました。
大島渚監督の日本語脚本は、表層では原語版脚本もあるので"らしくない"ほど温かくやさしく感じられるのですが、原爆のもたらす悲劇を明らかにしていく過程にはやはり強い怒りと不理解への憤りを感じさせます。

ビルを森繁久彌、ヒルダを加藤治子が吹き替えていますが、のんびりとした語り口ゆえにやさしく平凡で互いを思う幸せな夫婦がまったく目に見えない放射能に徐々におかされ死に近づいていく理不尽な残酷さを際立たせていて、やはりその演技には二人の俳優の戦争に対する言いようのない怒りと悲しみが感じられます。
映画を二人芝居として見ても十分味わいがあり、感慨深いと思いました。

被ばく国日本発信ではない『オッペンハイマー』と本作。
いずれも戦勝国側が作った映画でありながらそこには限りない悲しみと後悔が漂っています。
セットで世界各国の人に観てもらい、いまだに核の恐怖は思っている以上に近くにあることと核兵器の事実を知り、それを踏まえた上で核兵器が必要とされる、今も続いている「戦争」という行為そのものをなくしていくこと、そんな未来に向かおうとする人々の選択に思いと期待を馳せた映画でした。

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