🎬キリエのうた　感想

※2,700字です。

ストリートミュージシャンの"キリエ"の力強く、しかし悲しみに満ちた歌声にのせ、彼女の壮絶な人生とともに今の若い世代の心の中にある言いようのない不安と絶望に支配された現実に光を当てる。

公開当初から高評価だったアイナ・ジ・エンドのさまざまな感情が込められた歌曲がやはりすばらしい映画でした。
岩井俊二監督作品は『Love Letter』以来でしたが、岩井監督と音楽の小林武史が「ミュージカルではない歌曲劇とドラマの中間的映画」として位置付けた作品として歌とドラマのバランスのよさに納得させられました。

アイナ・ジ・エンドの歌声と歌曲それぞれには、簡単な言葉で表現することを拒むほどの複雑な感情が込められているように思いました。
しかし唯一すべての歌から感じられたのは、現代の若い世代が持っている「言いようのない未来への不安と絶望に支配された悲鳴とも取れる心の叫び」のような感情でした。

アイナ・ジ・エンドの歌声は、もう一人の姉の"キリエ"の物語で語られる、たくさんの日本人の心の中に「未来への不安と絶望」として焼き付けられた東日本大震災の記憶とそれも含めた不安定な現代社会のあり方という、現代人の「心の闇」の顕在化のように思えました。

東日本大震災のことでわかったようなことを書いてしまうと本当に被災された方には叱られてしまうかもしれませんが、遠く離れていながらも次々とテレビ画面にリアルタイムで映し出された無慈悲としか言いようのない光景は、少なからずそれを見ていた人々の心にも「未来への不安と絶望」という大きな闇を落としたように思います。
"あの時"の傍観者だった日本中の人たちの「結局は自分には何もできない」という無力感もそんな「不安と絶望」を抱かせるには十分な感情でした。
映画では、幼い路花(りか)をなんとかしようとしながら結局何もできない黒木華が演じる小学校の教師・寺石の「悔しい」という一言にそんな無力感がにじみ出ていました。

一方、姉のキリエの恋人・潮見夏彦のキリエの妊娠や大学進学といった"日常の悩み"が、ほんの数時間で何もかも暗転し、生涯苦しむことになる"非日常"が当たり前の人生になってしまう姿も、きっと今でもそんな苦しみに悩んでいる人たちがいることを感じさせます。
夏彦役の松村北斗は『夜明けのすべて』を先に観てしまいましたが、夏彦という人物を決して大げさに演じてはいないのに見る人に彼の悲しみ、そんな人がリアルにいる現実を十分感じさせるもので演技者として非凡なものを再び感じました。

東日本大震災から13年が経ち「復興」と言われてきていますが、その裏にいまだに"あの時"にとらわれている悲しみに満ちた人々がいて、日本人すべてが言葉にできない「未来への不安と絶望」の闇を抱えてしまったことが映画では語られているように思えました。
そして、そんな不安を抱え続けていては生きていけないことを知っている日本人が、自衛本能からある種無意識のレベルで積極的に鮮烈な記憶を忘れ去ろうとしている現実もなんとなく見えてきます。

若い世代のイッコとキリエたちストーリーミュージシャンの無計画で刹那的な行動や生活のあり方を大人世代はまるで悪いことのように、しかも過去の自分たちの常識を引き合いに出して責める姿を見ることは少なくありません。
自分にもそんな一面がまったくないとは決して言えません。
どこかで「時間切れ」を待っている大人世代、しかも現代の日本の社会をよくすることなど放棄し、自分たちの価値観だけを押し付けた挙句ある意味「勝ち逃げ」に走っている自分も含めた大人世代。
そんな大人世代とそんな人たちが作った"今"の現実が信用できず、それでも足掻く若い世代の心の中に、岩井俊二監督がアプローチを試みたこと、そして大人世代として理解を示したことは意味深いように思います。

映画では、若い世代の対立軸として公権力の姿がわかりやすい敵対者として描かれています。
私は実はそのような描写は好きではありせん。
それは、そのような描写が得てして作り手の現代に至る歴史的背景も踏まえた社会構造への一方的なアレルギーや、社会的な仕組みへの不理解や考察不足のような"認識不足"に起因していることがほとんどで、表面的な事象だけで安直な対立構造をつくることで映画的解決に至ろうとする作り手の作品にはある種の幼稚さすら感じることもあり(実際思いつく作品もあります)、無駄に人間同士の偏見や対立を助長する、個人的にはむしろ好ましくない描写のように思えているからだと思います。
しかしこの映画での描写には、大人たちが自分と自分たちの子孫のためだけに作り、社会的な弱者を犠牲することを前提に成り立っている身勝手な社会構造や現実のあり方に大人の一人としてとても言い訳などできないものを感じました。
その上で、一般の若い世代にとって公権力を「大人側の理不尽さ」の象徴・対立軸として描かざるを得ない映画としての必要性を十分感じされせる説得力のある描写のように思えました。

一方、大人世代の北村有起哉が演じる音楽プロデューサー・根岸が劇中語る「ずーっとは続かないんだよ」という言葉には、この日本でいつ今の当たり前の現実が崩れ去ってもおかしくないことを、実は大人たちも知っていることを表しています。

また、自由気ままに生きたイッコが「夢から覚めちゃった」という一言には、現実の世界に絶望してしまい、つかの間の夢とわかっていてもその世界でしか生きられない若い世代の悲痛な心の声が語られています。

「未来への不安と絶望」しか持てない現代の日本社会で、それでも、たとえつかの間の夢の世界であろうとも歌い続けるアイナ・ジ・エンドの心の叫びに社会が耳を傾ける日がくるのか？
それでも避けることなどできない自然災害など、神すら信じられなくなる無慈悲な出来事が起こる可能性…。

大人世代の岩井俊二監督が自分たちの世代が放棄してしまった責任への悔恨や、これからの時代避けることのできない不安感を背景にして、若い世代に温かくやさしい視線を送っていることには少なからず共感を持ちました。

映画では若い世代の心情として描かれている「日本人すべてが持っている未来への不安と絶望」が今すぐに消える可能性は少ないと思いますし、個人的にはあまり好ましい未来を想像することのできない状況が起こりつつあるようにさえ思えます。
現代の日本の救われることのない現実をリアルに描写しつつ、そこで足掻くアイナ・ジ・エンドの歌が希求する"現代"と地続きになる"未来"へのかすかな希望を、無理であろうとも必死に託し、"今"の日本と日本人を記憶させる記念碑的作品のように思います。

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