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帰ってきた「八犬伝」

 10月28日に映画『八犬伝』(監督・脚本曽利文彦)を見た。その前に、山田風太郎先生の『八犬伝』(これが、この映画の原作)を予習していたが、上下巻あるそれの下巻の途中からは、復習になってしまった。ああ、これは再読ね。
 では、映画の評価から。
 全般的には、とてもよくできた映画だった。
 まず、滝沢馬琴を演じた役所広司さんの演技から申しあげる。酷評するが、ダメ。ともかく馬琴はひたすらうっとおしい人で、これは「『八犬伝談余』(内田魯庵)31027」をご参照いただきたいが、役所広司さんの馬琴は、「うっとおしいには理由がある」という出来だった。本当の馬琴は、もっともっと嫌なヤツだったはずだ。
 私は役者としての役所広司さんを買っているので、「相当に嫌なヤツなんだが、ふっと人間らしいところを見せて、それがチャーミングに見えないこともない」といった馬琴像を期待していたのである。私の期待値が高すぎたんだな。世間的に見れば役所広司さんの馬琴は相当の好演なのだろうし、見る人が見れば上述のカッコのなかをクリアしている演技だったのかもしれない。だから、役所さんのせいというよりも、私のせいからの酷評である。
 馬琴の女房役(お百)を演じた寺島しのぶさんは、期待通りの好演。ただ、一本調子。お百さんご本人が一本調子な人だったのかなあ。そうかもね。
 馬琴が失明してから、馬琴の口述を筆記することで献身し、『南総里見八犬伝』を完成に導いた馬琴の息子の未亡人・お路を演じた黒木華さんは好演。まあ、この映画では一番得な役なんだが、期待以上の好演を見せてくれた。
 玉梓役の栗山千明も好演。化け物感が秀逸だった。
『南総里見八犬伝』の主人公が八犬士であるのは言うまでもないが、この『八犬伝』では「舞台装置」のように見えてしまう。
 実は、山田風太郎先生の『八犬伝』を読んだころから、「八犬士舞台装置説」は薄ぼんやりとは感じていたことである。
 八房とともに富山山中に消えた伏姫を取り戻すべく、富山に向かった里見義実軍勢中の金碗(かなまり)大輔は八房を銃撃し、八房をかばった伏姫をも、殺してしまう。
 そのことによって大輔は切腹しようとするのだが、里見義実に諫められ、切腹を踏みとどまる。そして大輔は仏門に入り、ゝ大法師と名を改め(一文字にすると「犬」だ)、伏姫を弔った後、八方に散った仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の各字を刻んだ八つの霊玉と、その持ち主を探すために旅立つ。
 ここから後は、ゝ大法師(金碗大輔)こそが『南総里見八犬伝』の主人公であり、八犬士は「舞台装置」のような存在なのである。
 この映画『八犬伝』で、ゝ大法師(金碗大輔)は、狂言回しから、『南総里見八犬伝』の主役に躍り出た。
 坪内逍遥は八犬士を、「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と断じたが(「坪内逍遥の八犬伝批判1024」)、「化物」ではなく、「舞台装置」なのである。「装置」を人間と見てしまえば、そらあ、化け物に見えますわ。
 坪内クン、まだまだだな。

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