シェアハウス・ロック1112

【Live】エリアーデの精神作用

 昨日は、新聞休刊日だった。
 朝起きて階下に降り、コーヒーを飲みながらバッハを聴き、普段は新聞を読むのだが、新聞がない分、考えごとのほうに頭が行った。
 バッハは、ピエール・フルニエの『無伴奏チェロ組曲』である。
 大江健三郎の小説中、私らの仲間内で「四国もの」と読んでいた作品群がある。ギーおじさん、ジンという太ったおばあさんなど、特徴的な人物が出て来ることによって、どことなく連作っぽい雰囲気を醸し出している作品群である。もちろん、四国が舞台になることが多く、たとえそれが東京での話であっても、四国が色濃くその背景にあり、一種の神話作用を果たしている。
 私が考えていたのは、ある人物(主人公=私、の弟だったか)を評して、ジンが「○○さんは、『精神的ななにがしかのこと』をやっているから」と言ったセリフの『』内の言葉だった。それがどうしても思い出せなかった。
 なかなか思い出せなかったので、なんでこんなことを考え始めたのかについて考えることになった。これは簡単に見当がついた。前日に、ミルチャ・エリアーデの名前を久しぶりに聞いたからである。それがなんらかの形で作用しているに違いない。
 その思考の延長で、なんで今朝はピエール・フルニエの『無伴奏チェロ組曲』を聴いているのかも、なんとなく納得がいった。
 パブロ・カザルスの精神性は、ヨハン・セバスティアン・バッハのそれとほぼイコールである。これが、ミシャ・マイスキーになると、自らの精神性により深く沈潜している感じがする。ヨーヨー・マは、二回の録音とも、そういったものからは自由であるように見える。と言うか、聴こえる。ピエール・フルニエはそのあたりのバランスがとてもいいように、私には思える。つまり、エリアーデが頭のなかでゴソゴソ蠢いているときには、私が知っている範囲ではピエール・フルニエの『無伴奏』が最適なのだろう。
 ああ、この音楽評は、素人が言うことだし、いかにも雑なんで、あまり気になさらないように。トーストには、ミルクよりもコーヒーが合うといった程度の話である。
 そんなことを考えているうちに、『』内を思い出した。ジンが言っていたのは「魂のこと」だった。ジンは「〇〇さんは、魂のことをやっていなさるから」と言ったのである。
 ソーローは『森の生活』のなかで、「賢者の飲み物は水である」と言っている。その理由は「コーヒーは、朝の気分をだいなしにしてしまう」からである。
 私は、残念ながら賢者にはほど遠いし、賢者の生活からもほど遠いので、コーヒーを飲みながら、新聞を読まない分、こんなことを朝から考えている。賢者は、もっとマシなことを考えるのだろう。
 大江健三郎の「四国もの」の文庫本の解説で、「四国の森の中の神話作用」といった意味の表題で、誰かがとてもいい文章を書いていた。その文庫本のタイトルと、解説者の名前を思い出すのが次の仕事である。
 新聞のない朝も、なかなか楽しい。

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