シェアハウス・ロック(or日録)0105

今年の抱負(陶芸編)

 明けたので、陶芸クラブ通いも4年目に入った。その割には、まったくうまくならない。
 開催は月3回くらい。それとは別に、年10回くらい窯入れ、窯出しというのがある。窯入れ、窯出しは、素焼き時と本焼き時にある。本焼きは釉薬をかけて焼くことを言う。
 先生が、もう80歳はとっくに過ぎていようというお歳なので、特に窯入れのときが大変そうである。窯入れ、窯出しは当番制なのだが、私は昨年志願して、窯入れのときには必ずお手伝いをすることにした。「必ず」ったって年10回程度なのでたかが知れている。
 出来あがった陶器には、その底に自分の名前、もしくは自分のマークを書く。というか、彫る。それを忘れることもあるんで、「これは誰の?」という事態になることもある。
「その雑な感じは私のだと思います」と言うと、これがうける。いまだにうけている。困ったものだが、このごろではこの「雑な感じ」をウリにしようとすら考えるようになった。
 つまり、雑から無造作、無造作から衒わない、衒わないからできれば俳味とでもいったところまで行こうと考えたのである。民芸の魂とでもいったところですな、これは。なにを言ってるんだか、言いたい放題だな。
 昨年の夏、先生が、出来上がったものに絵を描いたらどうかと言い出した。私は、梅の絵を描いた。絵を描くなんて40年ぶりくらいである。40年ぶりにしてはまあまあの出来だった。いま、梅の木を描いた片口、ぐい呑みで毎晩酒を飲んでいる。
 去年の暮れに、片口に竹を描いてみた。ぐい呑みは背が低いので、筍である。つまり、竹で酒を注ぎ、筍で飲む。
 ああ、そうそう。お話が後先になったが、私は片口とぐい呑みばかりつくっているのである。陶土も、皆さんは信楽とかいろいろなものを使うのだが、私は特コシというのの一本やり。
 まあ、反復練習ですな。ものごとの基本である。下手の割には言うことは言う。図々しいんだな。
 次に描く絵は松に決めている。片口に松、ぐい吞みに松ぼっくり。
 私の夢は、もうちょっとか、もうだいぶかうまくなり、人さまに片口、ぐい呑みを差し上げても先さまが迷惑に思わないようになったときに、「松、竹、梅とありますが、どれがいいですか」と聞くことである。遠大な計画でしょ?
 もうひとつの夢は、ほら、埴輪に「踊る人」っていうのがあるでしょう。あれをつくりたい。
 あれをね、マグカップにして、手の部分を持ってコーヒーを飲む。頭の部分は蓋にする。蓋をするとコーヒーが冷めにくくなる。ただ、天地を逆にしたほうがいいのかどうか、それで悩んでいる。「踊る人」は、大雑把には円錐の先端部を切ったような形である。普通、マグカップは、それをひっくり返した形か、円筒形だもんなあ。円筒形でつくってみるかな。
 冗談言っていると思うでしょ。冗談でこんなバカなことは言わない。本当だからこそである。
 いままでの片口、ぐい呑みに比べてだいぶ難しくなるんで、試作品の試作品は既につくり、乾燥させ、素焼きを待つばかりになっているのである。内っかわに透明釉をかけ、外っかわは焼き締めというのにしてみようと思っている。
 焼き締めは、釉薬をかけずに本焼きをすることで、そうすると素焼きをさらに堅く焼いた感じになる。これで埴輪感が出るのではないかと期待しているのである。今年中に、それでコーヒーを飲むのが目標だ。

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