シェアハウス・ロック(or日録)2501初旬投稿分
『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』(BWV645)0101
音痴にかまけている間に、年が明けてしまった。
今年の元旦も、マリ=クレール・アランの『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』(BWV645)で新年を迎えた。元旦の朝、これを初めに聞くと、なんだかとても気持ちのいい新年を迎えた気になる。俗世の汚れが落ちて、多少はすがすがしい気持ちになる。
オルガンは様々な音を出す。『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』では、天使の吹くトランペットのように聞こえる部分が、なんともいい。何人もの演奏でこの曲を聴いたが、天使感は、マリ=クレール・アランさんの演奏がピカイチである。
問題点がふたつある。リビングではテレビ装置で聞くことになるので、前日、おじさんがテレビを見たままになっている可能性がある。その状態で電源を入れると、テレビの、俗塵そのものといった音がまず流れて来てしまう。こうなると、この一年俗塵にまみれて暮らすのかといった、いやーーな気分になる。これを防ぐには、前日に入力を切り替えておく必要がある。これは遺漏なくやっておいた。
もうひとつ、マリ=クレール・アランのそのアルバムの最初は、『トッカータとフーガ』(BWV565)である。これは嫌いではないのだが、なんだかハッタリ臭いところがある。このハッタリのまま一年間行くのかと思うと、なんだかちょっとだけ大変な気がする。新年は素直な気持ちでスタートしたい。
だから、そこは飛ばさないといけない。一年間に一回だけなので、なかなか何曲目だかをおぼえられない。今年は、前年中に何曲目が『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』なのかをあらかじめチェックしておいた。これはメモにして、そのCDに挟んでおいたので、来年も大丈夫。なんでこんな手間をかける必要があるのかと言うと、焼いたものを誰かからいただいたので、ジャケットがないのである。
バッハ関連の今年の目標は、『マタイ受難曲』を通して一気に、なおかつ独和対訳を読みながら聴くというものである。なんのことないじゃないのとお思いかもしれないが、これに「誰にも邪魔をされず、かつインタラプトなしに」という条件を付けると、なかなか難しいことになる。2時間近くそういうことがやれるというのは、なかなかあるようでない。
もうひとつ、今年は旧約聖書を通読しようと思う。『創世記』『ヨブ記』など、読んでいるところも半分くらいはあるのだが、まだ手つかずのところもある。ただ、一気には無理なんで、当然ほかの本も読み、その間を縫っての通読である。これは、切れ切れでもいいのでなんとかなるはずだ。
【追記】
今朝、コーヒーカップから湯気が立っているのを見た。これは寒くなったからで、ずいぶん前からそうなのだろうが、湯気に気がついたのは今朝が初めて。これだけで、相当にいい気分になった。
『真夏の夜のジャズ』0102
本日は『真夏の夜のジャズ』のお話から始まる。真冬だけどね(笑)。これは、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルの記録映画である。私が10歳のときだ。大昔である。
『(真夏の夜の)ジャズ』なのに、チャック・ベリーも出て来て、『Sweet Little Sixteen』を歌っている。
セロニアス・モンク、アニタ・オデイ、ジュリー・マリガン、チコ・ハミルトン、ルイ・アームストロングなんかが出演しているが、今回お話ししたいのは、マヘリア・ジャクソンである。マヘリア・ジャクソンもジャズではない。
マヘリア・ジャクソンは、このなかで『Shout All Over』『Didn't it Rain』『Lord's Prayer』の3曲を歌っている。3つ目は、要するに「主の祈り」である。教会に行ったことがある人は、「天にまします我らの父よ 願わくば御国を来たらせたまえ」で始まる祈りの文句を憶えておられると思うが、あれである。歌詞はあのまんま。
昨日はキリスト教関連の話が多かったんで、たぶん、その続きとして今日はゴスペルの話なんだと思う。自分で書いててヘンなもの言いだけど、ここまで書いてきて、そんな気がする。
もの凄い拍手があったので、マヘリア・ジャクソンは、曲と曲の間で「You make me that I'm like a star.(スターになった気分になっちゃう)」と言っている。自己認識では、自分はスターではなく、単なるゴスペルシンガーなんだろう。この自己認識はとても好ましいが、私から見たら、マヘリア・ジャクソンは十二分に大スターである。私は、レコードで6枚、CDで7、8枚は持っている。
だが、当時の伝統的黒人コミュニティでは、彼女をゴスペルシンガーと認めない人が多かった。「あれは違う。ゴスペルではない」ということなんだろうね。保守的な人たちは、自分の趣味に合わないものは、だいたい認めない。一般的に、保守というのはそういうものだ。
彼女は、ピアノ+オルガン程度の伴奏で歌うことが多く、彼女の意識では正統的なゴスペルを歌っているつもりでも、天才というのは仕方のないもので、どこかしらはみ出してしまい、R&B、ロックの前駆のような感じが出てしまう。それを保守的な黒人コミュニティは嫌ったのだろうと思う。
マヘリア・ジャクソンより20歳若いサム・クックになると、出発はゴスペルシンガーだったが、1957年にR&Bに転向している。ポップスのような曲もだいぶ歌っているし、だいぶ「漂白」されているが、それでも黒人の歌である。
さらに10歳若いアレサ・フランクリンもゴスペルシンガーがスタートだったが、メジャーデビューの際はゴスペルフィーリングは矯められ、モータウンっぽい曲を歌わされたりした。
アレサ・フランクリンが本来のスタイルになったのは、1966年11月、アトランティック・レコードに移籍してからである。ここからアレサ・フランクリンは、本領を発揮する。
『One Lord, One Faith, One Baptism』(1987)は2枚組のゴスペル・ライヴアルバムであり、名盤である。ジャケット写真のアレサ・フランクリンは、アフリカの民族衣装をまとっている。これはアレサ・フランクリンの矜持だろうし、そういうことが許される時代になってきたのだろう。
晩年のアレサ・フランクリンが、おそらくネルソン・マンデラのトリビュート・コンサートだと思うのだが(バックにマンデラの大きな写真があったから)、サム・クックの『A Change Is Gonna Come』を歌っている。これは、YouTubeにあげられている。名曲、名唱である。あれはぜひご覧いただきたい。
昨日、今日と、キリスト教関連の音楽の話のように聞こえるかもしれないが、私はクリスチャンではないし、本日のお話のテーマは「歴史の善意」についてだと思っている。また、正月にふさわしい話題だとも思っている。
昨年暮れの『芝浜』0103
子どものころ、お正月はだいたい上野・鈴本の初席に行った。海老一染之助・染太郎は必ず出ていたような気がする。だから、あのお二人を見ると、それだけでお正月という気分になったものだ。もう、お二人とも亡くなったけどね。太神楽なんて知らないでしょ? ま、知らなくってもなんの問題もありません。余計なことを言いました。
明けてしまったが、明ける前はどうしたって『芝浜』である。『芝浜』は噺のなかで年が明けるが、私の年も『芝浜』を聴いて、明ける。
去年は30日に志ん朝で聞き、31日に志ん生で聞いた。志ん生は、桂三木助(1961年1月16日没)をネタにしていたので、亡くなって比較的すぐの高座だと思う。その年の暮れあたりかな。
昔々なんで録音も悪く、テープの保存も悪かったようで、なにを言っているのかわからないところがある。もっとも、志ん生は、生で聴いてもなにを言っているのかわからなかった。いま読んでいる『もひとつま・く・ら』(柳家小三治)には、
第一、本人が何ゆってっかわかんないんですから(笑)。(志ん生師匠の真似で)「ンェ~出やんしたァ、ン~、そうです」なんて、何がそうだかちっともわからない(笑)。
という箇所がある。
まあ、それでも面白けりゃいい。落語だからね。
『芝浜』については、明けたから一昨年の暮れになるが、
・芝浜三題+11226
・談志の『芝浜』1227
・『芝浜』の成立1228
・いろいろな『芝浜』1229
とかなり本格的に書いており、「シェアハウス・ロック2312下旬投稿分」に収めてある。ご興味がおありであれば、ぜひ。あの当時、私が知っている限りの『芝浜』のネタを全部詰め込んだ。今の段階でも、あれ以上は書くことがない。
私は、小学校2年の暮れに『芝浜』をラジオで聞いたのが初めだったと思う。そんなチビでわかったのかとお思いかもしれないが、わかった。私の父親がアル中の酒乱で、『芝浜』の主人公・熊さんが裸足で逃げ出すほどの人だったから、よくわかったんだろうね。
明けて割合直ぐの早春、父はアル中兼統合失調症で、精神病院に収容された。まあ、流れで書いちゃったけど、おかげで、小学2年生で『芝浜』がわかったんだから、父親のアル中兼酒乱も、多少は役に立たないでもなかったな。
江戸っ子は、上記引用のように、「言う」ではなく「ゆう」だし、別のところで小三治さんは、「これがまた長続きする人があるかと思うてぇと、あんなに仲ぁよかったのに、パッと別れちまう」と言っているが、「思うてぇと」「仲ぁよかった」だし、「別れてしまう」でなく、「別れちまう」になる。『もひとつま・く・ら』も、前編の『ま・く・ら』も、全編こういう調子で、小三治さんの語り口、風貌をすら髣髴させる出来になっている。ちゃんとした江戸っ子でなく、私のような場末者にも、この口調は馴染みがあるし、だいいち落ち着く。あっ、場末者って言葉をいま発明したぞ。「ばすえもん」って、読んでね。
【追記】
昨日、我が畏友その1からラインが来た。
(or日記)より、(or日録)のほうがよくはないか?
そのほうが韻も踏んでいるし。
その通りっっ!
明日っからそうする。(or日記)は三が日しかもたなかったな。落語の話だったし、日記で三日坊主なんで、オチもついた(笑)。
落語の四季0104
俳句には季語があるが、落語にも季がある。「語」はどこへ行ってしまったのかとお思いかもしれないが、「落語」のほうに「語」があるので、それで間に合わせていただきたい。
昨日お話しした『芝浜』は、大晦日が噺の大詰めであり、だからまあ新年の噺とも言える。噺を聴き終えれば、年が明けている。
さて、落語の季の話である。
ちくま文庫の『落語百選』(麻生芳伸編)は春夏秋冬の全四巻で、全部で百の落語が網羅されている。これはなかなかの名著であり、落語入門には最適だと思う。「落語とは」などと大上段に振りかぶった話はないし、生硬かつ余計なことは一切書かれていない。ひたすら、語られた噺を文章化して紹介し、ごく短い解説を付す。余計なことは一切言わないところに、麻生さんの「落語愛」が見てとれる。
さて、落語の四季をまず冬から紹介する。まず、前述の『芝浜』。雪が降るんで『夢金』、火の用心の夜回りの噺なので『二番煎じ』、いかにも寒そうなので『時そば』。このあたりは、おそらく誰が選んでもランキング入りするはずだ。
春は、文句なしに『長屋の花見』だろうが、花見に持ってく重箱にたくわんを入れ、それを見栄を張って卵焼きに見えるように食うという話がもう通じなくなっているので、あまり寄席にはかからないだろうな。たくわんだって高いもんな。
なんだか、この噺を考えると、貧乏が変質してきているような気がする。これは、相当のテーマなのに、これを扱い、書いている人はいないと思う。題して、「貧乏の百年史」みたいなものね。貧乏の百年史が解明できれば、資本主義の百年、日本の百年も解明できるだろう。「余計なことを言わない」のがいいことだと言ったばっかりで、こんな余計なことを言う。まあ、バカなんだから大目に見てちょうだいな。まだ松の内だし。
『百年目』もまんま花見である。『四段目』は、切腹するんで花見どこじゃないけど、まあ、桜は咲いている。噺のなかではね。主人公の小僧さんのところに咲いているかどうかはわからない。『たらちね』は「今朝は土風激しゅうして」と言うんで、これを春一番と解釈する。『雛鍔』は、お雛さまの鍔だから、春は間違いあるまい。
夏は、『船徳』。「四万六千日、お暑いさかりでございます」だから、決まり。『素人鰻』『後生鰻』も夏だろうなあ。鰻だもんなあ。万葉集の時代から、夏は鰻だもんなあ。『真景累ヶ淵』『怪談牡丹燈籠』の噺の季節はともかく、演じられるのは夏だから、まあ夏だな。
秋の噺っていうのは、『目黒のさんま』以外思いつかない。だが、『落語百選』は春夏秋冬の4巻があるので、秋の噺もあるんだろうなあ。
ああ、そうだ。『千早ふる』はどうだろう。百人一首の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を知ったかぶりのご隠居さんがとんちんかんな解釈をする噺で、百人一首だから正月あたりだろうけれど、在原業平が詠んだのは秋の景色なんで、おまけしてよ。
実は、『落語百選』は、我が本棚では秋の巻だけ欠本になっているのである。どっかで買わないとな。
今年の抱負(陶芸編)0105
明けたので、陶芸クラブ通いも4年目に入った。その割には、まったくうまくならない。
開催は月3回くらい。それとは別に、年10回くらい窯入れ、窯出しというのがある。窯入れ、窯出しは、素焼き時と本焼き時である。本焼きは釉薬をかけて焼くことを言う。
先生が、もう80歳はとっくに過ぎていようというお歳なので、特に窯入れのときが大変そうである。窯入れ、窯出しは当番制なのだが、私は昨年志願して、窯入れのときには必ずお手伝いをすることにした。「必ず」ったって年10回程度なのでたかが知れている。
出来あがった陶器には、その底に自分の名前、もしくは自分のマークを書く。というか、彫る。それを忘れることもあるんで、「これは誰の?」という事態になることもある。
「その雑な感じは私のだと思います」と言うと、これがうける。いまだにうけている。困ったものだが、このごろではこの「雑な感じ」をウリにしようとすら考えるようになった。
つまり、雑から無造作、無造作から衒わない、衒わないからできれば俳味とでもいったところまで行こうと考えたのである。民芸の魂とでもいったところですな、これは。なにを言ってるんだか、言いたい放題だな。
昨年の夏、先生が、出来上がったものに絵を描いたらどうかと言い出した。私は、梅の絵を描いた。絵を描くなんて40年ぶりくらいである。40年ぶりにしてはまあまあの出来だった。いま、梅の木を描いた片口、ぐい呑みで毎晩酒を飲んでいる。
去年の暮れに、片口に竹を描いてみた。ぐい呑みは背が低いので、筍である。つまり、竹で酒を注ぎ、筍で飲む。
ああ、そうそう。お話が後先になったが、私は片口とぐい呑みばかりつくっているのである。陶土も、皆さんは信楽とかいろいろなものを使うのだが、私は特コシというのの一本やり。
まあ、反復練習ですな。ものごとの基本である。下手の割には言うことは言う。図々しいんだな。
次に描く絵は松に決めている。片口に松、ぐい吞みに松ぼっくり。
私の夢は、もうちょっとか、もうだいぶかうまくなり、人さまに片口、ぐい呑みを差し上げても先さまが迷惑に思わないようになったときに、「松、竹、梅とありますが、どれがいいですか」と聞くことである。遠大な計画でしょ?
もうひとつの夢は、ほら、埴輪に「踊る人」っていうのがあるでしょう。あれをつくりたい。
あれをね、マグカップにして、手の部分を持ってコーヒーを飲む。頭の部分は蓋にする。蓋をするとコーヒーが冷めにくくなる。ただ、天地を逆にしたほうがいいのかどうか、それで悩んでいる。「踊る人」は、大雑把には円錐の先端部を切ったような形である。普通、マグカップは、それをひっくり返した形か、円筒形だもんなあ。円筒形でつくってみるかな。
冗談言っていると思うでしょ。冗談でこんなバカなことは言わない。本当だからこそである。
いままでの片口、ぐい呑みに比べてだいぶ難しくなるんで、試作品の試作品は既につくり、乾燥させ、素焼きを待つばかりになっているのである。内っかわに透明釉をかけ、外っかわは焼き締めというのにしてみようと思っている。
焼き締めは、釉薬をかけずに本焼きをすることで、そうすると素焼きをさらに堅く焼いた感じになる。これで埴輪感が出るのではないかと期待しているのである。今年中に、それでコーヒーを飲むのが目標だ。
1月4日は浅草へ0106
元旦には、近所の八幡神社に初詣に行ったのだが、長蛇の列だった。特に有名な神社でもないのに、優に30分待ちという状態である。恐れをなして、「まあ、誠意は通じただろう」ということでお参りは中止。
1月4日に、改めて浅草寺に初詣に行った。メンバーは、毎度おなじみケイコさんとおばさん、私である。マエダ(夫妻)は、(夫)のほうがゴルフ場に初詣に行ってしまったので、(妻)のほうは孫の相手で、(夫妻)ともに不参加。
都営地下鉄の浅草駅構内から地上に出て、まず腹ごしらえということで
藪そばを目指すも、ここも長蛇の列。しかも待ち行列の顔を見たら、SNSに「並木の藪に来たぞ」とか余計なことを書きそうな連中ばっかりで、「これは時間かかりそうだ」と断念。こいつらは、蕎麦はさっさと食うもんだという常識もなければ、さっさと食って次に行くという芸当もできない。顔を見れば、そのくらいのことはわかる。
そこで、ここならば観光客連中は来まいと、水口食堂へ行く。浅草のディープサウスといった場所にあり、競馬がある日は、競馬ファンのおじさんたちが競馬新聞片手に昼間から酒を飲んでいるような食堂で、「食堂」と名乗っているものの、だいたい居酒屋用途の客ばっかりである。
2階に客を通すときに、下から伝達をするのだが、「外人のお客さま2名さま」などが多く、インバウンダーがこんなところまで跳梁跋扈していることがわかる。メインストリートやその周辺は、インバウンダーだらけである。石を投げればインバウンダーに当たる。ほんとに投げたろうかしら。
水口食堂の普段の日本酒は、極々普通の銘柄なのだが、正月対応か『鶴齢』などというおめでたい銘柄があった。当然それを頼む。
腹ごしらえが済み、2合分のほろ酔い気分で浅草寺へ。当然混んでおり、お二人とはぐれ、これ幸いと喫煙所へ。
おばさんから、「どこへ行ってるのよ、ったく」という罵倒のお電話をいただき、正直に居場所を吐く。ほどなくお二人が来て、拿捕され、仲見世の一本東側の通りを雷門方面へ。昔、この通りは百太郎(ももたろう)という舞台化粧用品の専門店があり、手拭い屋があり、江戸を感じさせる通りだった。百太郎はなくなったが、手拭い屋はいまでもある。お二人も観音さまへのお参りは断念したとのことだった。
雷おこしを買い求め、もう大丈夫だろうと、藪そばに再チャレンジ。今度はすんなり入れた。
並木の藪には、店を取り仕切っている小さなおばさんがいて、ざる蕎麦、板わさに次ぐ名物だった。客さばきが抜群で、接客の司令塔であり、そのてきぱきした仕事ぶりを見ていると、蕎麦の味も数段よくなる心持がしたものである。
前回来たときも小さなおばさんはいなかったし、今回もいない。
お運びさんに、「小さなおねえさんは、今日はいらっしゃらないんですか」と聞いてみた。「あの方は、お辞めになったんですよ」という答えが返ってきた。いいお歳だったからなあ。
「ああ、そうなんですか」と返したら、「でも、30日にはご家族と一緒にいらして、お元気そうでしたよ」と教えてくれた。
私は嬉しくなり、菊正宗を追加した。ここは必ず菊正宗のたる酒で、たるの香りがいい。「そうか、おばさん、元気なのか」。ちょっとだけ、いい正月という気分になった。
客が一人、演者も一人0107
『もうひとつま・く・ら』(柳家小三治)にあったお話である。小三治さんの前座時代の話で、場所は川崎演芸場。なんでも、パチンコ屋の台の間をすり抜け、到達するところだったらしい。かなり激しい感じがする。
小三治さんの話ではお客が一人で、演者が一人。これはもう真剣勝負だね(笑)。
こっちも帰られちゃいけませんから、その人の目をじっと見ながら(笑)、こうやって座ったわけですね。かわいそうだったですよ、その方は(笑)。立ち上がりかけてしばらく固まったまんま、渋々座りましてね。
また一人と一人ってえのはいたたまれないんですよ。
皆さま方だって、そうやって味方が周りにいるから平気で座ってられますが、だあれもいなくて自分一人だと思ってごらんなさい。その人に集中的に語り込むわけですから(笑)。たまったもんじゃありませんよ、これは。ええ。
上記「語り込む」は、志ん生さんの『寝床』が初出(笑)。大店の旦那の殺人的な義太夫を(糊屋の婆さんは、その義太夫の直撃を受け、即死したという)、番頭さんが恐怖にかられ逃げるのを追いかけて語り、番頭さんはからくも土蔵に逃げ込んだものの、旦那は逃すまじと梯子を掛け、そこを登り、土蔵の窓から必殺の気を込めて、義太夫を語り込むのである。義太夫が土蔵んなか、渦ぅ巻いて、番頭さんは七転八倒の苦しみだったらしい。
小三治さんの話を読んで、思い出したことがある。
友人のオオサワというのと、神保町で会ったときのことだ。なんの話だったかは忘れたが、話は済み、地下鉄の駅に向かうときに、オオサワがブルーグラスのライブをやっている店を発見した。「ここに寄って行こう」と言う。コイツは素人なんで、そういう場合、最悪どういうことが起こるかを知らない。しかも、ブルーグラスである。嫌な予感がしたんだよ。
バンドは6人編成。こっちは2人。多勢に無勢である。始まっても、私ら以外誰も来ない。友だちがいない人たちのバンドなんだろう。それとも、6人だけしか友だちがいない人たちでバンドを組んだのか。家族もいないらしい。よしんば家族はいても、とっくに見放しているのだろう。
そのステージはとりあえず聴いて、休憩時間に帰ろうと、私は考えていた。ステージ途中で出るほど、私は常識知らずではない。その常識が災いした。「こっちも帰られちゃいけませんから」(笑)、休憩時間になるやいなや、バンドメンバーに取り囲まれちゃった。その素早いこと。
なんだかんだ話しかけられ、とても帰れない。話が「帰宅」方向に向かうと、メンバーは必死んなって別の話題で話をはぐらかす。常習犯だな、コイツら(笑)。
次の休憩時間に…と考えるが、休憩時間に入るやいなや、上記の繰り返し。とうとう私らは、最終ステージまで付き合わされてしまった。
救いは、彼らがカラっ下手ではなかったことと、感じが悪い人たちではなかったことである。バンジョーの人など、相当にうまい部類に入る。
考えるだに恐ろしいことだが、これがもしカラっ下手だったら、完全に『寝床』の番頭さん状態になり、私らは上海かドイツに逃げただろう(Ⓒ志ん生)。
あまり好きでもないブルーグラスを3時間も聴いたのは、生涯を通じ、あのときだけである。
『土と脂』0108
毎日新聞の書評欄でこの書籍の存在を知り、「農業と栄養学の統一理論」という惹句に惹かれ『土と脂』(デイビッド・モントゴメリー /アン・ビクレー共著)を読んだ。
同書評には、また、
・相乗的に作用しあうファイトケミカル、ミネラル、脂肪。
・植物は、体外に胃袋を持つ。
外部の胃袋としての根圏マイクロバイオームによって、体外で消化を行うのだ。
・非菌根型菌類は有機物を分解し、植物が吸収できる形で栄養を放出する。
のようなことが書かれていた。私はだいぶ前から、栄養をきちんと知らなければと思い、それに関する書物を探していたのである。
私が知っているのはせいぜい小学校、中学校の家庭科、もしくは体育の座学で教えられた範囲であり、それ以降に知ったことであっても、たとえば脂肪酸、アミノ酸、バクテリアなどの知識は細切れであり、網羅的なものではない。つまり全容までは至れなくとも、「この領域はまだわからないものの、なんとなく全体はわかった気になった」というあたりまではせめて到達したいと思っているのである。
上記の「・」を読んで、バクテリアのことも相当書かれているのではないかと期待もした。腸内細菌も、栄養に相当関連する。
期待倒れだった。と言っても、著者にではなく、私に責任がある。過剰にというか、見当違いな期待をしたのである。
たとえば、「・」の2個目は、私は中学2年か3年のときに、まったく逆のことを悟った。
理科の教師は生物が得意ではなかったようで、黒板にアンチョコの丸写しのような「植物の特徴」「動物の特徴」を書き出し、私はそれを見ているうちに、動物の消化管内は「外部」であり、消化管から動物を裏返しにすると、それはほとんど植物になるのではないかと考えたのである。
また、『土と脂』の著者の主張は、1970年代ごろの自然食主義者の主張を大きく出るものではなかった。一例を挙げると、化学肥料と農薬は土壌を(正確には土壌中の微生物や土とその構造を)破壊し、しかも次から次へと化学肥料、農薬を使わなければならないようにしてしまう、などである。そんなことは70年代からわかっている。私が知りたかったのは、どういうバクテリアがどんな働きをするのか、また彼らの相互作用のようなことである。
それらのことについては、極論すると、同書には「バクテリアが重要である」としか書かれていない。ああ、マメ科植物と根粒菌の話は出ていたが、そんなこともわかっている。
まったく同じ動機から、『生物学者と料理研究家が考える「理想のレシピ」』(福岡伸一/松田美智子)も読んでみた。福岡さんによる「前書き」はなかなか読ませるものの、各レシピに添えられた福岡さんのコメントは、まったくの期待外れであった。もっとも、これも私の期待値のせいである。
この領域は、私の考えているほど解明が進んではいないのかもしれない。
というのは、バクテリアでなく、もっとわかりやすい昆虫でも、世界で約100万種、日本で約3万種が記録されており、毎年世界からさらに3000種くらいが新種として発表されているという。ところが、未知の種も含めると実際の種類数は500万種とも1000万種とも考えられるそうだ。であれば、バクテリアなど、さらに未知の部分が多いのだろう。
まあ、これは継続捜査である。書籍の捜査ね。
余談だが、今回いろいろと調べて、おもしろいことを知った。以下である。
米国微生物学会は、「微生物は、人間の目に見えないほど小さい、顕微鏡サイズの生物または感染性粒子」とし、生物としての真核生物(植物や動物、一部の菌類)や原核生物(細菌や古細菌)だけでなく、非細胞生物であるウイルスも含めている。英国微生物学会は、さらに遺伝物質を持たないタンパク質であるプリオンを微生物に加えている。(Wikipedia)
ウイルスはぎりぎり認めないでもないが、プリオンが微生物というのは、私にはちょっと違和感がある。「微生物的ふるまいをする非生物(アミノ酸、もしくはタンパク質)」とでもしてくれたら、私も賛同する。
【Live】初ウーバーイーツ0109
一昨日、7日は初ウーバーイーツの日だった。つまり我がシェアハウスのおばさん、我が友青ちゃん、イノウエさんの初麻雀の日である。
私は、朝、コーヒーを飲み終わるのもそこそこに、台所に立った。ウーバーイーツ・メニューは、カニカマ玉、イタリアン麻婆茄子。
カニカマ玉は、カニ玉の廉価版。カニの代わりにカニかまぼこを使う。材料は、カニかまぼこ、シイタケ、タケノコ、玉子2個が一人分。干しシイタケは前日から戻し、戻し汁をソースに使う。それに鶏ガラスープの素を足し、砂糖、醤油、味醂を足し、片栗粉でまとめてから酢を加える。これで甘酢餡になる。
イタリアン麻婆茄子は、素直に呼べば「炒め茄子のイタリア風」なのだが、それじゃあおもしろくないので、国籍不明料理風にこう呼んでいる。どこがイタリアンかと言えば、まず、オリーブ油を使うこと、パスタの素を使うことである。パスタの素は、トマトピューレー代わりだ。
ひき肉を炒め、玉ねぎのみじん切りを加え、炒め終わったら別によけて置き、茄子を炒めてから加える。今回はおとなしめにつくったが、次回はスパイス感満載にしてみようと思っている。
朝っぱらからこんなことをやっていたので、七草粥はつくりそこない、食いそこなった。もっとも、七草粥セット(春の七草セット)も買いそこなったので、まあ、食えなくて元々である。新年早々「そこない」の三連荘だな。
夕方に雀荘へウーバーし、本を読みながら連中の試合終了を待ち、同じビル1Fの居酒屋へ行く。
居酒屋ではポテトフライを必ず頼むので、それに使う「秘密の粉」を持参する。これは、チリパウダーとカイエンペッパーを混ぜたものである。それをトマトケチャップに混ぜるわけだ。これだけで、一味も二味も違うものになる。
この居酒屋は、私らがこちらへ引っ越して来たとき、ヤナギハラさん、アカダさんという友だちがわざわざここまで来てくれ、紹介してくれたところである。ヤナギハラさんの従弟が、ここで働いていた。オオイシさんという。この店を紹介してもらって、私らはだいぶ助かった。このあたり、当時は西も東もわからなかったからね。
私らがいつも同じものばっかり頼むので、オオイシさんがある日テーブルに乱入して来て、「あんたらはいつも同じもんばっかりだ。うちには、他にもうまいもんがあるんだからね」と言うんで、みんな大笑いし、「わかった。もう勝手に頼まない。出されたものを素直に食う」と言ったら、本当にその通りになった。ただ、オオイシさんが定年になり、その店には来なくなったので、元の木阿弥である。
一、二度、オオイシさんを追いかけて「次の店」に行ったことがある。
その1Fの居酒屋で飲んでから、最寄り駅まで電車に乗り、駅至近の立ち飲みバーで仕上げ。
あまり遅くならなければ、スーパーで春の七草セットを買い(だいぶ安くなっているはずである)、明日に備える。
元旦の毎日新聞下八0110
新聞の1面の下の書籍広告を、業界では下八(したやつ)と呼ぶ。元旦の毎日新聞下八で目を引いた書籍タイトルは以下である。下八なので、8社なのだが、私の興味をあまり引かなかった書籍の出版社もあった。
①『互恵で栄える生物界』(オールソン著/西田美緒子訳)
②『だめ連の資本主義より楽しく生きる』(神長恒一+ぺぺ長谷川)
③『自立からの卒業』(勝山実)
④『刑務所に回復共同体をつくる』(毛利真弓)
⑤『哲学の問題とはポイントの問題である』(谷田雄毅)
⑥『痛み、人間のすべてにつながる』(ライマン著/塩崎香織訳)
全体として、いまの社会体制に疑義を呈するような書名である(⑤⑥は違うが)。元旦なので、これはなにかのメッセージなのかと、ちょっと深読みしてしまうが、そんなことはないのだろう。たまたまそういうことになったのか、あるいは私の性向からそんなことを感じたのだろうと思う。でも、繰り返しになるが、「いま」の無意識がここに結実したと私は考えたのである。
ちなみに②③は同一の出版社。
たとえば⑤は「ウィトゲンシュタインの中心概念を読む」と副題がついており、また⑥は単純に痛みそのものを論じた科学的、医学的な本であり、上記の「深読み」からは外れている。
『互恵で栄える生物界』はこのごろ私が考えていること、つまり、バクテリアから始まり、人間に至るまで、生物界は互恵に満ちているということを再認識させてくれる本なのだろうと思う。
昨年の自殺者は、バブル崩壊時の3万に迫ろうという勢いであり、私の考えではバブル崩壊時よりもタチが悪いと思う。バブル崩壊は一過性であったが、昨年の自殺者の多くは、アベノミックスを皮切りとし(先駆は小泉純一郎と竹中平蔵コンビによる「改革」である)、この間ジワジワと進んだ庶民イジメの結果であると思える。
そういう時代にあって、①②③④は、私には、この時代へのメッセージとして響くのである。
『自立からの卒業』には、「寄生してでも生きよう」という裏メッセージがある。雨宮処凛さんの発言だったと思うのだが「『自立』をあまりにも強調するあまり、生活保護などの制度に頼れず、犯罪に走る」と断罪するコメントを紹介した記事があり、私はそのご意見をそれなりに納得して読んだ記憶がある。
菅義偉は、「自助、互助、公助、そして絆」と総理大臣にあるまじきことを言ったが、「自助」がトップに来るということは、明らかに「自分でなんとかしろ」であり、「自分でなんとかならないなら、お互いになんとかしろ」であり、これは「公助」を担当するべき行政の長としての発言とは思えない。雨宮さんの主張も、こういう言葉と照らし合わせると納得である。
上記①~⑥で①⑤⑥はぜひ読みたいなあ。