シェアハウス・ロック1008

歳をとっていいこともある

 私らの年代の人間(私は現在75歳である)にとって、年寄りと言えば、なんといっても松永安左エ門だ。明治8年生れで昭和46年没だから、96歳まで生きたことになる。たいしたことないじゃないかとお思いかもしれないが、キンさんギンさんのデビュー前の話であり、当時は爺さん中の爺さんだった。松永安左エ門は「電力王」と言われていた著名人である。
 週刊誌で、インタビュアーが「年を取って、いいことってありましたか」と聞くのへ、松永は「あるぞ。嫌な奴がみんな死にやがった。ワッハッハ」と答えた。私はそれを読み、「なんてジジイだ」と思った。ああ、「ワッハッハ」は私の創作で、追加である。
 私も、60歳くらいから、いいことがあった。偉い人を、それほど偉いと思わなくなったのである。もうちょっとちゃんとした言い方をすれば、「絶対視することなく、相対的に見られるようになった」という感じになる。
 ちょっと、それを具体的に言ってみる。

 ああ、ナツメくんね。いいヤツだよ。真面目だしね。面倒見もいいし。頭だっていいし。
 でもさ、あいつ面白くないんだよ、一緒に酒飲んでてもおんなじようなことばっかり言っててさ。そらあ、たまにはじけることもあるよ。酔っぱらって、ボッチャンなんて、池に飛び込んだりさ。あれは面白かったな。でも、そんときだけだな。あとは、たまーに冗談言っても、あいつ、冗談もなんか暗いんだよね。
 ちっちゃいころ養子に出されたもんだから、そのあたりで人格変わっちゃったのかね。
 あいつの墓参り行ったことある? 墓石見たらさぁ、戒名がなんだかやたら長いの。女房とおんなじ墓なんだけどね、女房の戒名もなんだか長いの。あんな長い戒名、ほかんとこで見たことないな。

 こんな感じ。

 ヤナギダねえ。オレ、あいつ苦手。確かにもの凄い仕事やったし、業績は評価するっきゃねえけどさ、なんだかあいつの言うこと、わかりにくいんだよな。文章は平明なんだけどね、でもわかりにくいの。論理的な言い方してないからだな。あれ、わざとだよ、たぶん。
 そのくせ、てめえはけっこうちゃっかり欧米の理論は勉強してるんだぜ。やだねー。だけど、自分で書くものは、なんだかまだるっこしいってえか、遠回し遠回しってえか、あんまりスカッと論理的じゃないの。オレ、あいつの文章読んでると、小さな女の子が数珠玉つなげて遊んでる姿、連想しちゃってさ。イライラすること多いんだよな。

 もう一人いってみる。これは相当すごい。

 ヨハネによると、半分神さまみてえなやつなんだけどな。だけど、マルコに言わせると、けっこうヘンなやつでさ。あいつが講演会みたいなのやってるとこに、おふくろさんと、兄弟、姉妹が訪ねて来たんだよ。あいつ、しばらく実家に帰ってなかっただろ。親切な人が、「おかあさんと兄弟の方がみえてますよ」って教えてやったんだ。
 そしたら、あいつ、なんて言ったと思う。「母、兄弟とはだれのことだ」だぜ。しかも、おまえ、言うにこと欠いて、講演会に来てる人たちを指して、「私の母、兄弟はここにいる」だぜ。おっかさん、可哀そうに、泣いてたってよ。

 今回の始めのほうで、「絶対視することなく、相対的に見られるようになった」と申しあげた。それに沿って、ちょっとエンターテインしたが(面白くなかったら、ゴメン)、私は夏目漱石も、柳田国男も、もちろんイエスも、それなりに尊敬しているし、好きな人たちだし、気になる人たちではある。ただ、やみくもに絶対視をしないようになったということである。
 お釈迦さまも、「中庸がよろしい」とおっしゃっている。これはホント。
間違いなくそう言ってる。

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