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予測不能にもほどがある 41 イタリア編 (18 昭和的実録 海外ひとり旅日記
日記_043 Roma 諺 多し
17 / Aug 1978 すべての道は・・Osteriaへ
Romaとの根競べ(何処も彼処もChiuso、Romaに見放されているのか?)はいささか敗色濃厚、加えて夏のRomaの日中の陽照りに気力を維持するのは、結構骨が折れる。
一層のこと、やや郊外のVia Appia Antica辺りを、本当の気分転換よろしく( 既に旅が気分転換? )ぼんやりと散策でも。
赤茶けたTerme di Caracallaの残骸を横目に、大きな交差点を渡るとボロボロに剥離した左右の煉瓦塀に押し付けられるように視界が一気に狭まり、気がつけば道路もアスファルトではなく石畳に変わっている。
街道の始点に入っているようだった。
既に賑わう街の景はなく、鬱蒼とした並木を持つ一本道が続くばかりで、たった今 、Fontana di Treviにコインを投げ入れ鎧を纏い、馬上にマントを翻しながら吹っ切るように任地に向かわんとする、まるでローマ時代に瞬間移動したかのような光景を幻覚できる場所に迷い込んだようでもある。
美しい城壁(Mura Aureliane、Vaticanoの城壁から続いている)を潜り、いくつかの教会・Catacombe|骸骨寺に寄ろうとも、この道に戻りさえすれば狭い小さな道にも関わらず、Brindisi (Via Appiaの終点と言われている)すらも超えて何処までも突き抜けて、世界に繋がって行けることを立証するかに見える、本当に、本当に真っ直ぐな道なのだ。
” 全ての道は(マコト)Romaに通ず ” る(意味が違う?)かのようである。
やっと左右の煉瓦塀が終わり、今度は糸杉並木が真っ直ぐに続いていることを見届ければ、もう2時間以上歩いている、そろそろUターンする時刻なのであろう。
お腹も空いてきた、チョット贅沢(肉喰うぞ〜)に、Osteria(居酒屋)でも探そ。
コラム_99 話は逸れますが・・・
Romaに見放されて、余り多くを体感することはできなかったのだが、最も感心したモノがあった。
Stazione di Roma Terminiから程遠からぬ四ツ角に差し係って、一瞬時間が停まった・・・。
十字路に面した建物の端のファッサードが面取りされて四ツ角に対面している、それぞれの建物の外観は勿論違うのだが、面取りされたそれぞれのニッチに神話の神々(?)が寛いでいたのだ、しかも水飲みらしい水盤まで湛えて・・・。
嗚呼、” Romaは一日にして成らず ”(諺シリーズか?・・・)
その場にへたり込みそうになる程の崇敬に打たれた。
恐らく建物の持ち主はそれぞれ別であったろうが、その中に教会(実はこの教会は小さいが、建築的に深い造詣もあり、しかも天蓋内部の美しいことでも知られているようだが、 [ 以外にも、最近TVで観た SpainのSagrada Famíliaを彷彿とさせた ー 余談ですが ] ここも当時公開されておらず見ることができなかった。恐らくこの教会がQuatro Fontaneを企画したと思われる)があったことから、まず宗教的な目的を達成するための仕掛けとして、歴史的価値・芸術的価値を持つ文化的視点に立ちながら、地域の重要アクセス拠点故に街の一里塚・ランドマーク性を表徴しながら、また公共スペースとしての役割など有らん限りの利便・価値を、良くもまあこれほどてんこ盛りにしながらも、歴史の風雪に耐え生き残ってきたものだと、絶賛すべき数少ない事例としても良いのではないか、などと思ったりもする。
そのことは、誰が、誰に向かって何の利便を与えようとしているのか、なんて論など超越して、明らかに社会・ヒトに対する敬いの念が、これだけのことをさせたように思え、Romaにはこんなにまで昇化・浸透している精神が存在しているのか、そんな想いに打たれて、敬服してしまったのだ。
実は自分の住む街にも、小さな十字路ではあるが、同じような思いを感じさせる銅板葺き建築の家々が、四軒、対面していた。
しかし区の防災指針やら何やらなどで、2015年頃までには最後の一軒も惜しまれることも無く、建て替えられてしまったのだ。
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あの対面していた同じ形の銅葺きの愛くるしいポーチたちは、ランドマークどうのこうの以前に、また四軒の家主たちに限定しない、その地域に暮らす住民たちの得体の知れない文化的気概やら誇りやら、コミュニティにとってとても大切な価値で支え・創りあげられていたのではないかと感じることができ、俺の心からは生涯消えることは無いだろうとさえ思えてくるのだ。
(Google Mapで正式名を調べていたら『Complesso delle Quattro Fontane』とあった。
”Complesso”?と思って辞書で調べたら「コンプレックス」(複合体の意)であった。
この解釈もスゴイ!
一つ一つではなく、あくまで集合した塊でこそ発揮する価値を認め、理解した上で冠した名(出処はよく解らないが)、なのだと。)
以下 [ Quatro Fontane 四つのファッサードの意義 ]の
キーワード問いかけで得られた ” note AIアシスタント ” の回答を
参考までに
(瞬時に表記されました、こう云うのはAI、得意中の得意なんだろうな)
[ Quatro Fontane 四つのファッサードの意義 ]
全体的な意義:
四つのファサードは、それぞれ異なる様式と装飾で、ローマの歴史、文化、宗教、自然を象徴しています。これらのファサードは、ローマの多様性と豊かさを表現しており、バロック時代の芸術と建築の傑作として高く評価されています。
補足:噴水群は、1612年から1614年にかけて、建築家ジョヴァンニ・ランフランコによって建設されました。
噴水群は、ローマの重要な観光スポットの一つであり、毎年多くの観光客が訪れます。
Quatro Fontane 四つのファッサードの意義
Quatro Fontane(四つの噴水)は、ローマのヴィア・クィンティリアーナとヴィア・デッレ・フォンテ・ヌオーヴェの交差点にある、バロック様式の噴水群です。その特徴的な四つのファサードは、それぞれ異なる様式で装飾されており、それぞれのファサードが異なる意味合いを持っています。
1. 教会側:様式: バロック様式
装飾: 聖母マリアと天使の像、教会のファサードを模倣した装飾
意味合い: このファサードは、噴水群の建設を依頼した聖アグネス教会への敬意を表しています。聖母マリアは教会の守護聖人であり、天使は教会の保護を表しています。
2. ヴィア・クィンティリアーナ側:様式: 古典様式
装飾: ローマ神話の海神ネプチューンと海神ポセイドンの像、貝殻や海獣の装飾
意味合い: このファサードは、ローマの豊かな歴史と文化を象徴しています。ネプチューンとポセイドンは、ローマの繁栄と安全を祈願する象徴です。
3. ヴィア・デッレ・フォンテ・ヌオーヴェ側:様式: ルネサンス様式
装飾: ローマ神話の豊穣の女神ケレスと、彼女の息子であるバッカスの像、穀物や果物の装飾
意味合い: このファサードは、ローマの農業と豊饒を表しています。ケレスとバッカスは、ローマの豊かな収穫と繁栄を象徴しています。
全体的な意義:
四つのファサードは、それぞれ異なる様式と装飾で、ローマの歴史、文化、宗教、自然を象徴しています。これらのファサードは、ローマの多様性と豊かさを表現しており、バロック時代の芸術と建築の傑作として高く評価されています。
補足:噴水群は、1612年から1614年にかけて、建築家ジョヴァンニ・ランフランコによって建設されました。
噴水群は、ローマの重要な観光スポットの一つであり、毎年多くの観光客が訪れます。
18 / Aug 一幅の額縁の窓 Castel Sant'Angelo
Fiume Tevereに沿って今日は何処へ?などと耽っていたら、
あれ程 頑なであった Castel Sant'Angeloの入り口 が
ポッカリと口を開けていた。
(イってよ、言ってヨ)
恐らくAlexander Ⅵが要塞化した時の唯一の跳ね橋を渡っているのだろう、円形部の霊陵部は暗〜く、霊気のような気配を感じない訳にはいかないほど、冷んやりとしている。
そう、そのはず、中世以前よりいつの時代も、悲壮な幽閉場としての闇を背負わされる、名とは裏腹な Sant'Angelo なのだから。
戦車や馬でも駆け上がる必要があったのだろう、岩盤から削り出されたスロープが急激に迫り上がっている。
ゴツゴツの戦車の轍跡も残るそのスロープを、爪先立ちで左廻りに沿って上がれば、いくつかは狭い部屋に(鍛治・馬具・倉庫に利用?)くり抜かれ、多くは頑強な扉に閉ざされて、霊気を吐き出している。
恐らくは獄である。
(Cesare Borgiaの友人であり、最も信頼される側近Don Michelottoもここに幽閉・拷問されている)
スロープを半円程廻ると一旦中庭に出る、しかし街を一望することは叶わない。
円形部の外郭に二層程の継ぎ足したように部屋が取り巻いている、独房である。
ここは正に霊陵であり、教皇の宮殿であり、要塞であり、そして牢獄であるのだ。
(Basilica di San Pietroはどの方角か)
半円形の中庭の左端に階段、Vaticanoに向かうPassetto(高架回廊)は閉じられて、行くことができない。
一段と高い中央霊陵部の、街を見降ろす大天使San Micheleの足元の最上階が、残す場所でしかない。
(何を 探している?)
San Pietroが見渡せる最適な場所・・・
ちんまりとタイル張りの質素な部屋・・・
(ここに 違いないっ)
時にPiazza San Pietroに翻る赤いマントの枢機卿たちに一喜一憂し、時にConclaveの白い煙を苛立つ思いで待ち、時に思索に耽り、時に窓際の石造りの椅子に脚を投げ出し疲弊した憂愁のCesare Borgiaの姿を、この窓辺に見ることがあったはずなのだ。
この部屋の窓は一幅の額縁となって、いつも San Pietro を被写体として見惚れ(監視し)ている・・・。
コラム_100 Roma | Itary Map_16
(市間移動ないため、前回同様のMap)