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明治時代 不平等条約の改定

不平等条約とは、どの条約ですか?
と尋ねるとすぐには答えられなかったりします。
中学受験では、大老井伊直弼がアメリカのハリスとの間で結んだ「日米修好通商条約」のことです。他にも「米・蘭・仏・ロシア」とも結んだので「安政の五カ国条約」といいます。
(「日米修好通商条約」「日英修好通商条約」」「日蘭修好通商条約」
「日仏修好通商条約」「日露修好通商条約」)

どんな内容かと言われれば、
①領事裁判権を認めた。
②関税自主権がない。

条約改正の道のり:不平等条約→治外法権の撤廃と、関税自主権の回復を目指す.
1871年:岩倉遣欧使節団。岩倉具視、大久保利通、木戸孝允。
目的→欧米の視察。→米国で条約改正の下交渉もしたが相手にされず。
理由:憲法、議会、軍隊などが無く、近代国家でないとして相手にされず。
このとき留学生として津田梅子、中江兆民などがいた。

井上馨の欧化政策(欧米の生活様式を取り入れる)鹿鳴館での舞踏会
大隈重信の外国人を裁判官に任用→失敗
 
1894年:外務大臣陸奥宗光、まずイギリスとのあいだで治外法権の撤廃の成功。南下政策のロシアに対して危機を抱い ていたイギリスが日本を味方にするために条約改正に応じた。ちょうど日清戦争の直前だった. 

1911年:外務大臣小村寿太郎、大日本帝国憲法や議会を開き近代国家としてかたちが整ってきた。アメリカとの交渉で 関税自主権の回復をはたす。  


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中学受験・如意先生
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