双極性障害な私
私は双極性障害です。
年に4回は躁と鬱が交代する急速交代型、ラピッドサイクラーです。
闘病して10年ほどになるでしょうか。
いちばん悪い時期はすぎたかもしれません。
何せ五年前、人工透析が必要なほどのオーバードーズで死にかかったのです
今は生きる気でいます。
死ぬには未練が増えすぎましたし、自殺の労力は大変なものです。
私は躁の時、何かを作っているのが1番言い過ごし方になります。
主にステンドグラス。お金がかかるので費用捻出の為に禁煙を始めました。
ガラスを切って削るのはなかなか手間なもので、時間がかかって良いのです。
他には多肉植物にハマったり、それに伴ってリメイク鉢を作ったり。
混合の時には漫画を借りてきて読んだりアニメを見たりゲームをしたりします
原神、コントローラー買ってきたら快適で面白いですね。弓矢上手く打てないんですけど。
それでも混合の時は長く集中力が持たないので少しづつです。
私は読書が苦手です。
苦手になってしまいました。
10代の頃にはコクトーやらサリンジャーやら夢野久作やら江戸川乱歩やら泉鏡花やら読んでいたのですが、今は集中力が早く切れるのです。
一応本棚には未読のイヤミスがあるのですが、挑戦していません
所が、禁煙指南書である禁煙セラピーは読めたのです。
小説とは勝手が違うのでなんなんですが、明日はそのイヤミスを読んでみようと思います。
混合の時には時間が過ぎなくて苦しいんですよね。
鬱の時はあまり酷いことにはなりません。
鬱は神経の働きが鈍っているので、気分さえ悪くなければある程度の安心をもってずっと寝ていられるのです
主に冬の間、私はそれで動けなくなります。
これはラモトラギンを飲み始めてからのことです。
それでも辛いっちゃ辛いんですけどね。何も出来ないし。
週に1度ヘルパーさんが来てくれます。
そもそもは精神障害で通院補助だけだったのですが、それだけだと安すぎるということで身体障害もある事にされていて、二週間に一回は一緒に掃除をしています。
私はほおっておくと掃除機もかけないので助かっています。合法なのかは知りませんが私の意思ではありません。なにかのしがらみです。
私のもっぱらの不安は、孤独でいすぎることで生じる弊害です。
鬱の時は声がほとんど出なくなりますし、上手く喋れません。
引きこもってしまいますし、友達もそんなにいません。
若年性アルツハイマーとかになったら悲惨だなと思って時々くよくよします。
それでも一人暮らしなのは、私が大変な愛着障害だからです。両親と暮らせませんし、一家離散に近い状態です。
それでも私は生きていきます。
普通の人より健康面で苦しいし、働けない無力感は強いですが、いつか今より良くなることを信じて。