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【ジョジョ考察】 第五部 「黄金の風」 がさらにわかる記事 (エピローグの意味、「覚悟」とは)

2019年にアニメ化され、年々人気が高まっているジョジョですが

第五部は 謎が多くて わかりにくい!

アニメを見終わって「なんかモヤモヤした感じ」が残った人も多いのではないでしょうか?(それもそのはずで、実は第五部は2回見ないとわからない仕組みになっているんです!)

意味深なエピローグや、何度も出てくる「覚悟」という言葉……
第五部の謎に隠された本当のテーマについて考察します

この記事は、特に

・第五部を読んだけど、なんか腑に落ちない方
・掛け合いやバトルに夢中で、隠された”テーマ”に気がつかなかった方
・ジョジョの名言、名セリフにハマっている方
・哲学・宗教に興味がある方(←?)

に楽しんでいたただけると思います




【第0章】  あらすじ

まずは、あらすじを簡単にご紹介します。ご存知の方は、ここはスキップして【第1章】からどうぞ。

第五部の物語を要約すると「イタリアに住む少年ジョルノが、ギャングのボスになるまでの9日間を描いた物語」だと言えるでしょう。以下、ストーリーを起承転結に分けて紹介します。

〈起〉  ジョルノ、ギャングに入る

とあるトラブルをきっかけに、ギャング団の構成員ブチャラティに追われることになった少年ジョルノ。2人は一時は争うものの、拳を交える中で互いを理解し、ブチャラティはジョルノをギャング団にスカウトすることに。その後、ギャング団の入団試験をクリアしたジョルノは、ブチャラティのチームに配属され、行動をともにすることになる。


〈承〉  初任務:ボスの娘を守れ

ジョルノが加わり6人となった新ブチャラティチームの初任務は、ボスの娘を無事にボスの元へ届けること。しかし、ボスに恨みをもつ”暗殺チーム”はそれを許さない。次々と襲ってくる暗殺チームのメンバーから娘を守るため、ジョルノ達は幾度となく死闘をくり広げる。


〈転〉  ボスの正体を探れ

ジョルノ達は娘を守りきり、ボスの元へ引き渡した。だが、ボスの目的は、”娘を自らの手で確実に殺すこと”だった。そのことに気づいたブチャラティは、ボスを裏切って娘を守ることに。ボスが放つ刺客と闘いながら、ジョルノ達はボスを倒す方法を探す。


〈結〉  ボスを倒せ

ボスを倒すのに必要な”矢”を探すジョルノ達と、それを阻止すべく自ら動き出したボス。両者はコロッセオで衝突し、ラストバトルとなる。最終的にジョルノが”矢”を手に入れ、ボスを倒すことができたが、その過程でブチャラティを含む3人の仲間の命が失われてしまう。仲間の思いも背負って、ジョルノはギャングの新たなボスとなる。




【第1章】  結局、エピローグってなんだったの?


①  エピローグで前日談?

第五部のエピローグでモヤモヤしている方も多いのではないでしょうか?

少年マンガのエピローグでは、ラスボスを倒した後の様子(後日談)が描かれることが多いです。

例えば、第三部のエピローグでは、ディオを倒した後の承太郎・ジョセフ・ポルナレフが空港で別れる様子が描かれており、3人が新たな道へと歩み始めたのだ、という印象が強く残ります。

一方で、第五部のエピローグでは、前日談が描かれています。なぜでしょう?


そもそもエピローグとは何なのでしょうか?

文学作品内におけるエピローグは、主に登場人物の運命を明らかにする役割を持つ、物語の最終章である。(Wikipediaより)

この定義に則れば、第三部のエピローグでは、承太郎・ジョセフ・ポルナレフの3人のこれからの明るい運命が示されている、と言えるでしょう。

しかし、第三部のメインとなる登場人物は3人ではありません。彼らは花京院・アブドゥル・イギーと一緒に6人で旅をしてきました。では、なぜ残りの3人の運命はエピローグで描かれないのでしょうか?

それは、彼らがすでに死んでいたからです。後日談では、物語の中で命を落とした人物の運命は描けないのです。


しかし前日談であれば、物語の最後では死んでしまっている人物についても、その運命を描くことができます。このような技法を使ってまで、第五部で荒木先生が伝えたかったことは何だったのでしょうか……?



②  エピローグにキリスト!?

第五部のエピローグでは、ジョルノがギャングに入団する前の様子が描かれています。まだ5人だったブチャラティチームが、依頼を受けてスコリッピという彫刻家を調査する、という話です。

このスコリッピという彫刻家は、頭に茨の冠をかぶっていること、両掌に穴があいていることから、キリストをイメージして描かれていることは間違いありません。

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また彼のスタンド能力は、周囲にいる「死期が近い者」の死ぬときの姿を描き出す「死の運命の啓示」です。つまり彼は、人間の死の運命は決定されていて、努力でこれを変えることはできない、と伝えているわけです。

これはキリスト教カルヴァン派の「運命予定説」と呼ばれる考え方です。

予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。(Wikipediaより)

実際、スコリッピのスタンドは、ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死ぬ姿を描き出しています。この時点で3人の死の運命は決定されていたのです。

そしてスコリッピはこう語ります。

「我々はみな『運命』の奴隷なんだ やはり形として出たものは……変えることはできない… 何者たちかは知らないが 彼らはこれで『苦難の道』を歩み そこで何人かは命を落とすことになる! しかし……彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない……彼らの苦難が……どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…」

ここでいう『苦難の道』とは何なのか、荒木先生が伝えたかったことは何だったのか……。残念ながらエピローグだけではわかりません。



③  結局、エピローグって何だったの?

以上をまとめると、エピローグでは「物語が始まる前からブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死の運命は決定されていた」という内容の前日談が描かれている、ということになります。

エピローグだけでは、荒木先生が伝えたかったことははっきりしません。ただ、エピローグをふまえて、これまでの物語を読み返すと、あるセリフが実は大きな意味を持っていたことに気がつきます




【第2章】  セリフに何度も「覚悟」 って使われてるけど……


①  よくわかんないセリフ多くない?

セリフがカッコいいということも、ジョジョの魅力の1つですよね。名言・名セリフも多く生まれており、公式から「ジョジョの奇妙な名言集」なる本が出版されるほどです。(しかも2冊!)

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一方で、なんかカッコいいけど意味はよくわからないセリフというのもあるように思います。例えば、ギアッチョとの死闘のさなかにジョルノが叫んだこのセリフ

「『覚悟』とは……犠牲の心ではないッ!
 『覚悟』とは!! 暗闇の荒野に!! 進むべき道を切り開く事だッ!」

ここでいう「覚悟」とは何を指すのでしょうか?



②  「覚悟」に関するセリフ多くない?

先ほどのセリフの中にも「覚悟」という言葉が使われていましたが、ふりかえってみると、第五部のセリフには「覚悟」に関するセリフが多いことに気づきます。

初めて「覚悟」という言葉が使われたのは、ジョルノとブチャラティが初めて出会ったときです。

ジョルノ「あなた…『覚悟して来てる人』……ですよね」
  (中略)
ブチャラティ「おまえの気高き『覚悟』と……黄金のような『夢』にかけよう」

プロシュート・ペッシとの戦闘の際にも、「覚悟」という言葉が使われています。

ブチャラティ「覚悟はいいか? オレはできてる」
  (中略)
ペッシ「兄貴の覚悟が!「言葉」でなく「心」で理解できた」
  (中略)
ブチャラティ「今何もしないってのが……オレの…『覚悟』だ……」

また、先ほどのギアッチョとの戦いの中のジョルノのセリフにも続きがあります。

「あなたの「覚悟」は… この登りゆく朝日よりも明るい輝きで『道』を照らしている そして我々がこれから『向かうべき…正しい道』をもッ!」


ここでいう「覚悟」とは何か。命をかけた死闘のさなかに「覚悟」という言葉を使っているのですから、それは「死ぬ覚悟」という意味でしょう。

しかし、それではおかしいのです。

「死ぬ覚悟」とは、自分の命を犠牲にしてでも目的を達成しようとすることです。しかし、ジョルノは「『覚悟』とは犠牲の心ではない」と断言しています。


「覚悟」が「死ぬ覚悟」ではないならば、「覚悟」の本当の意味とは何なのでしょうか……?



③  結局、どういうこと?

第五部のセリフの中では、「覚悟」という言葉が何度も使われています。この「覚悟」は、単に「死ぬ覚悟」を意味しているのではないようです。

残念ながら物語を読んだだけでは「覚悟」の意味ははっきりしません。ただ、エピローグをふまえて、これらのセリフを改めて読むと、「覚悟」の本当の意味がわかってきます




【第3章】  第五部のテーマってなに?


①  エピローグと「覚悟」を合わせて考えると……

【第1章】では、「物語が始まる前から、ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死の運命は決定されていた」ということがエピローグで描かれていることをご紹介しました。

【第2章】では、第五部で何度も登場する「覚悟」という言葉は、自分の命を犠牲にしてでも目標を達成しようという「死ぬ覚悟」を意味しているのではない、ということをご説明しました。

これらを合わせて考えることで、荒木先生が伝えたかったことが見えてきます。



人間の運命はあらかじめ決定されていて、人間はそれを知ることも変えることもできない。戦いの勝敗は、戦いが始まる前から決まっていて、自分には変えることはできない。しかし、だからといって、自分の運命を受け入れて、やけくそに生きるべきではない。「覚悟」を決めて、いま・ここで、限りなき努力を続けよう。将来的にどうなろうが、いま・ここで生きる私たちにとってはどうでもいいことなのだから。



「『覚悟』とは……犠牲の心ではないッ!
 『覚悟』とは!! 暗闇の荒野に!! 進むべき道を切り開く事だッ!」

「覚悟」とは、自分の運命を受け入れて自暴自棄になることではありません。運命という不可知の道をビクビクしながら歩むのではなく、自分の意思で自分の進む道を切り開くことこそが、真の「覚悟」なのです。

ジョルノの言う「暗闇の荒野」を、スコリッピは「苦難の道」と表現しています。

「我々はみな『運命』の奴隷なんだ やはり形として出たものは……変えることはできない… 何者たちかは知らないが 彼らはこれで『苦難の道』を歩み そこで何人かは命を落とすことになる! しかし……彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない……彼らの苦難が……どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…」

自分の意思で自分の進む道を切り開くことは、運命という決まった道を歩むことと比べると、より多くの苦難があることでしょう。しかし、「苦難の道」を歩むことで「どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味」を生み出すことができるのです。

「ブチャラティは死んだ……アバッキオも…ナランチャも…しかし
 彼らの行動や意志は滅んでいない」

ジョルノが言うように、行動の結果ではなく、意志こそが重要なのです。



②  第五部のテーマ

「エピローグとして前日談をつけ加えることで、これまでのセリフに新たな意味を持たせ、運命予定説に対する自らの考えを表した」というのが第五部の本質であると私は思います。

第五部のテーマは「変えることのできない運命に対してどう向き合うか」ということです。テーマを知った上で本編を見直すと、バトルやキャラの掛け合いがより深いものに感じられると思います。

この記事を読んでくださった方が、よりジョジョを好きになっていただけたら幸いです。



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