『玉くしげ』・『秘本玉くしげ』について
当方の師匠連のお一人である、みつうろこ殿の記事を読んだ感想を。
国学に関しては、さっぱり勉強不足でよくわかっていない。
この辺が、当方を右翼とか保守とかとは本当の意味で違うという事になっている証左でもある。
難しいので、ほぼ理解が出来ないのですが、気になった所をチョイスて見ました。
ちょっと、批判的に書いてしまったような気もするのですが、当時の時代背景が判っていないので、頓珍漢にならざるを得なかったという事は前置きしておきます。
皆末々の枝道にして、本のまことの正道にはあらず、たとひこゝかしこと似たる所は有リといへども、その末々の枝道の意をまじへとりては、まことの道にかなひがたし、
これ当方が聞いて久しいフレーズで。幼少の折より、当方の日蓮宗に於いて、新興教団(創価学会系、霊友会系)についての話について【正道】は【身延】にあると言い聞かされてきたフレーズなので、ルーツとしてはこの人物の論旨にあったのかと腑に落ちているのです。
たゞかの異國の妄説をのみ信じ、其ノ説に泥み溺れて、返てよしなき西戎の國を尊み仰ぐは、いよいよあさましき事ならずや、たとひまさりたりとも、よしなき他國の説を用ひんよりは、己が本國の傳説にしたがひよらんこそ、順道なるべきに、
これ天明7年(1787)の事で、【明治】の事ではないのですわな。【異國の妄説】とは何かは判らないのですが、西欧医学の流入や天文学・数学・物理・科学等の学問があまりにすばらしかったので、恐怖心ともとれるような言説にも受け取れます。
惣じて異國風のこざかしき料簡は、よくおもへば、返て愚なることぞ、今一段高き所を考へて、まことの理は、思慮の及びがたきことにして、人の思ひ測るところとは、大に相違せる事のあるものぞといふことを、よくさとるべきなり、
国学という神道からくる教えみたいなものが【異国の妄説】を理解した方達から心離れを恐れている感はあります。明治期に【化学、物理、医学、数学、欧米語 etc.】ばかりで、天皇陛下が【国家】を導く【学問】が無いではないかとご指摘なされたと同様の事が、すでにる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)後の【鎖国】が完全に終了した時期代よりも80年余り前の話であるという事に驚く。
唐土などは、諸戎の中にては、よき國と聞えたれども、それすら皇國にくらぶれば、なほ田地人民は、はなはだ少くまばらにして、たゞいたづらに土地の廣きのみなり、これは彼ノ國の書どもに、代々の惣口數戸數を擧たると、本朝の戸數口數とをくらべ見て、よくしらるゝことなり、又今現在に本朝の國々にて、同じ一國の内にても、土地は廣くて、人民物成のすくなき所あり、狹くて人民物成リは多き所もあるを以て、惣體土地の廣狹にはかゝはるべからざることをさとるべし、
【中略】
又かやうに他國を内にして、吾ガ本國を外にするは、己がよる所の孔子の意にも、いたく背けるものなり、
中国大陸の状況分析が、当時から的を得た認識だったのでは無いでしょうかね。少ない情報から察している推論なのでしょうけれど。
おのづから世ノ中の模様は、世々に速に移りかはりしなり、然るに皇國は、正直重厚なる風儀にて、何事もたゞ古き跡により守りて、輕々しく私智を以て改むる事はせざりし故に、世ノ中の模様のよゝにうつり變ることも、おのづから速にはあらざりしなり、此ノ重厚の風儀は、今もなほ遺れることぞかし、猶此變化の遲速の勝劣をいはば、牛馬鷄犬などのたぐひは、生れてより成長すること甚速なるを、人はこれらに比ぶれば、成長する事甚遲し、これらを以て准へ見るに、勝れる物、變化すること遲き道理も有ルべし、又かの成長することの速なる鳥獣などは、命短く、人は遲くて、命長きを以テ見れば、世ノ中の模様の、うつりかはれること早き處は、其國の命短く、うつりかはることの遲き國は、存すること永久なるべし、そのしるしは、數千萬歳を經て後に見ゆべきなり、
現在は、世ノ中の模様は、移り変わりが当時の江戸時代よりも早い気がします。特にテクノロジーの進化については、戦後70年余りでも、江戸時代から幕末に掛けての70年と比べても恐ろしいぐらいである。今の若い方達は当たり前の事かもしれないが。
後にはつひに、かの西戎の惡風俗にも、さのみかはらぬ やうになれるなり、抑かやうに、西の方の外國より、さまざまの事さまざまの物の渡り入來て、それを取用ふるも、みな善惡の神の御はからひにて、これ又さやうになり來るべき道理のあることなり、
実は、【便利】なものは優先されていくというのが人間の本質で、【知ってしまう】と元へは戻れなくなるのです。流通(デパート、スーパー、コンビニ)・物流業界、スマホへの通信業界の変遷を見てもしかりで、これら【便利】と【不便】への道を諭す【道理】では、実は勝負にはならない場合がある。
といって、【數千萬歳を經て後に見ゆべきなり】という部分で、それがどれほどの長さかも検討は居るけれど、国家の運営、又は地球規模での国際社会の運営では、数十年のスパンは必要ということでは同感でしょうかね。
当方の浅学な感想に過ぎません。