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韓国映画『許されざるもの』批評

                          『許されざるもの』〜韓国の兵役のリアル〜


『許されざるもの』(2005) 脚本・監督:ユン・ジョンビン

(原題:용서받지 못한 자、英題:The Unforgiven)
主演 
ハ・ジョンウ:ユ・テジョン役
ソ・ジャンウォン:イ・スンヨン役
ユン・ジョンビン:ホ・ジフン役

 『許されざるもの』(2005)は、本作でホ・ジフン役を自ら演じているユン・ジョンビン監督が学生時代に卒業制作として撮った、韓国の兵役にスポットを当てた傑作である。ちなみに、クリント・イーストウッド監督の傑作『許されざる者』(1992)や、そのリメイクの李相日監督の『許されざる者』(2013)とは何の関係もない。その後ユン・ジョンビン監督は、『ビースティ・ボーイズ』(2009)、『悪いやつら』(2012)と傑作を生み出し続けている。
 今や誰もが認める韓国トップ俳優のハ・ジョンウも本作出演までは無名の俳優であったが、本作が釜山国際映画祭で多くの賞を受賞し、彼自身も新人賞を受賞したことをきっかけに芽が出たと言えるだろう。

 日本の隣国の韓国には兵役がある。日本には存在しない強制的軟禁期間とでも言おうか。少年たちが社会に出る前に通過しなければならない不条理とでも言おうか。
 社会に出て組織に所属すると「理不尽が常識」と痛感するような場面が多くあるが、そういった意味では、韓国男子にとって初めての社会人体験が兵役なのかもしれない。

 私自身、韓国籍ではあるものの在日三世であり、日本国において特別永住権を有しており兵役は免除できるので、韓国に行くまでは兵役など意識したこともなかった。
 2008年から単身でソウルに2年在住し、韓国語も初めて勉強し、韓国人の友人も出来た。当時友人になった韓国人のほとんどは既に兵役を終えていたため、実際のところ約2年間の兵役はどうであったか聞いたことが何度かある。
 皆口を揃えて言うのが「チョッカッテ(くそくらえ)」。兵役の間、良いことなど一つも無いそうだ。   
 海外留学や、身体が悪ければ公的機関で事務的作業をするだけ等、兵役を免れる術が無いわけでも無いらしいが、未だに韓国の男社会の中では兵役を務めていないものは一人前として認められず、就職や出世にも響くことが多々あると聞いた。
 具体的に何が最悪なのか聞くと、飯は不味い、携帯電話は自由に使えない、恋人とは会えなくなり別れる、入隊したての頃は毎日上官から殴られ、自分が上官になると毎日新人を殴らなければならない等様々だ。そして、ほとんどの韓国人男子が若いうちに兵役に行くのは、歳をとってから行くと歳下に毎日偉そうに命令され殴られるのが耐えられないのが理由だそうだ。あくまで私が個人的に聞いた話だが。

 日本でも高校生活までは似たようなものだと思うが、韓国では上下関係が厳しく日本でいうところの体育会系であり、学年が一つでも違えば「チング(友達)」とは言わない。一つでも学年が上であれば死ぬまで「ヒョン、ヌナ、オッパ、オンニ(先輩)」だし、一つでも学年が下であれば死ぬまで「トンセン(後輩)」である。
 私が韓国で歳下の友人と接する際も、一つしか歳が変わらない場合であっても韓国人はえらく礼儀正しく、敬語で話しかけてくる。それが、軍隊では年齢は関係なく、入った順の年功序列に偉いらしい。

 本作は、主人公の一人・スンヨンが名門延世大学を卒業した後に入隊するところから始まる。スンヨンは入隊してすぐに、除隊まであとわずかの兵長・テジョン(ハ・ジョンウ)に偶然に再会する。テジョンはスンヨンとはかつて中学の同級生だった。

 映画とは、外国の文化等、自分の知らない世界を発見するツールでもあると私は考える。日本の隣国・韓国の兵役というものを圧倒的なリアリティで叩きつけてくるこの傑作を、映画として優れている点も少しだけ羅列しながら紹介したい。


〜あらすじ〜
 2年余りの間、それなりに軍規班長として模範的な軍生活を過ごしてきたと自負する末年兵長テジョンは、中学校の同級生であるスンヨンが、新兵として入って来た時から平静でいられなくなる。
 上官の軍靴を毎日磨き上げるのが当たり前で、同い歳や歳下の上官の言うことがすべてという軍隊特有の不条理さを受け入れることができない正義感の強いスンヨンは、ことごとく問題を起こし上官たちに目をつけられる。
テジョン「深く考えないで、とにかく謝れ。上官に従順でないと」
スンヨン「それじゃ単なるバカだ。俺は間違ったことは一つもしていない」
テジョン「ここは軍隊なんだから」
スンヨン「その言い訳は無責任だ。俺が上官になったら全部変えるよ。俺は下に対してひどいことはしない」
テジョン「口で言うほど簡単なことじゃない。お前はまず大人になることだ」
 テジョンは、元同級生のスンヨンをかばい続けるが、自分まで困難な状況に追い込まれていく。
 時が経ちスンヨンも一等兵に昇進すると、ジフン(ユン・ジョンビン監督)という二等兵の部下が出来る。他の古参たちの冷たい視線の中、スンヨンは自分の考えの元ジフンに優しく接してやるが、厳しく下にしつけをしないスンヨンに対し部隊内のいじめが激しくなっていく。
 テジョンが除隊し、自分を守ってくれる存在がいなくなったスンヨンは、次第に変化していく。
 一年後のある日、除隊してだいぶ経ち、髭を伸ばし髪にもパーマをあて垢抜けた風貌のテジョンの元に、休暇中だというスンヨンから急に会おうという電話が入る……

 本作が映画的に優れていると私が思う点を二点ほど挙げてみたい。

 まず本作には、時間軸が2つある。『並行モンタージュ』という編集の技法だが、スンヨンが軍隊に入ってからの時間軸と、テジョンが除隊した後の現在の時間軸の2つであり、この2本を巧妙にシーン・バックさせ、現在のお話を進行させると同時に軍隊での二人の過去の情報を小出しで観客に与えていくことで、サスペンスを増強させていく。
 単純に時系列に物語を進行した方が、主人公の感情の流れをストレートに見せることができるため観客は主人公に感情移入しやすいと言える。それに対し、このように複数の時間軸でシーンを行ったり来たりすると、時間軸が変わるたびに人物の感情の流れが途切れるので、失敗すると観客がうまく主人公に感情移入できないというリスクがある。

 次に、本作の秀逸なラスト・ショット。本作の最後のカットは、スンヨンとテジョンが二人で語り合っているところに、部下のジフンが割って入って来るという回想シーンなのだが、このシーンは実は劇の序盤でも存在する。
「深く考えないで、とにかく謝れ。上官に従順でないと」「俺は間違ったことは一つもしていない。俺が上官になったら全部変えるよ」
「口で言うほど簡単なことじゃない。お前はまず大人になることだ」
……という全く同じ内容の会話を聞き、観客は「あ、こういうシーン前にもあった」と想起する(回帰的想起)のだが、劇の序盤のこのシーンはキャメラがスンヨンとテジョンの2ショットを前方から捉えておりジフンが割って入って来る前にカットされる。
  それに対し、ラスト・ショットではキャメラは二人の背中のバック・ショットを捉えている。つまり、二人の表情は観客には見えない。そこにフレーム・インしてくるジフンも巧妙に計算された画角で、その後三人でフレーム・アウトしていくまで、ちょうど顔が画面内に映らない。
 小津安二郎(黒澤明と並んで世界で称される、構図至上主義の日本の巨匠)もビックリである。ラスト・ショットでは三人とも画面内に存在するものの、表情が見えない構図になっているのだ。
 劇の序盤では前方からのショットが、ラスト・ショットでは後方からのショットになっており、蓋と器のごとくキャメラ・ポジションが対になっている。
 この計算し尽くされた演出には脱帽である。さてはて、それが一体どんな効果を生み出すのかと気になった方は、ぜひ映画を観て自身でその効果を想像してほしい。

  最後に、お勧めのシーンを一つ。
 便所で夜中にこっそり『辛ラーメン』を食べるシーン。よく韓国の友人から兵役中一番食べたくなるものは『辛ラーメン』と『韓国式ジャージャー麺』と聞いたが、なるほど軍隊ではこうやって上官から隠れて『辛ラーメン』を食べるのかと感心する。

 社会の縮図を描いているともとれる普遍的なテーマの傑作を是非ご覧あれ。

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