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ふりかえり'23&'24、この2年のHard things

「その年のふりかえり」ってのを割とまめにしているつもりだったのだけれど、2023年のふりかえりがすっぽり抜けていました。まじか。去年の今頃は色々あったからな。。。

上記の件はさておき、異国での生活はほんっとーにいろいろあり過ぎて書ききれないし、これまで日本でやってきたふりかえりとも同列に並べられない。結局のところ、僕が何のためにイタリアに来て、その目的に対して今はどの位置にいるのか。それを考えるしかない、のだと思う。

(ここのリンク)

2023年の年始時点はこんな気持ちだった。この頃の僕はイタリアに来て1ヶ月で家をなくして、イタリア語もろくに話せない状態で現地の人と交渉しながらソファで寝たり、部屋を借りたりして過ごしていた訳だが、その後2年近く、これと似たような状況になるとは考えていもなかった。文章を見返すとずいぶん余裕に溢れているというか、達観しているというか、変な確信を感じる。その確信は現実に変わる訳だが、、、

この2年の個別の出来事は一応ほぼすべてブログ上に記しているはずなので、この振り返りではこの2年特に印象深かった記憶を改めて振り返ってみたいと思う。

以下に並べる5つの場所は主にWwoofを利用して見つけて、一定期間泊まりながら働いていた(無給)。Wwoofというのは労働力を提供する代わりに衣食住の後ろ2つを享受できるシステムだ。日本にも存在するが使ったことは一度もない。

Azienda Agricola Arpisson ('23/7-'23/8)

AISのワインソムリエの勉強を終えて後に向かった場所。フランスとの国境沿いのValle d'Aostaにある。州都のアオスタからバスで1時間くらいのCogneという町からさらに徒歩で20分くらい坂道を歩く。

日本語だとなんと呼ぶのだろうか。酪農?牛を30匹ほど、山羊を60匹ほど飼っている。牛と山羊から搾乳した牛乳を使ってチーズを作って売っている。週に1回Cogneまで降りてmercato、市場でチーズを売る。一度このmercatoを手伝いに行ったとき、mercatoの仲間内の商品をそれぞれ持ち寄ってランチをした。この時食べた新鮮な野菜のサラダが人生で一番美味しかったと信じている。僕は仮にも料理という世界に踏み込んでいる人間な訳だが、新鮮な食物に勝る料理はないと考えている。調理って新鮮さを失った、あるいは失いかけていることを前提に如何に美味しい状態を作り出すか、生まれ変わらせるか、という工夫では?

mercato ランチ

Arpissonの仕事は搾乳、牛舎の掃除、山羊の放牧、チーズ造り、干草集めなど多岐に渡る。搾乳は早朝から、朝ご飯を食べて終わったら山羊の放牧。午前中にチーズづくり。お昼休みを挟んでからお昼の放牧、といった具合だ。

朝の山羊の搾乳
山羊乳のカフェラテ
山羊のチーズ造り
たまにヨーグルトを作る
山羊の放牧
山羊のシエロを山羊に与えている。本当は良くないらしい。
ランチ
キッチンは小さな洞窟の中にあり、雨の日や夜はその洞窟の中で食事をしていた

Wwoofで来ている労働者はローテーションで日々の仕事をこなしていくのだが、一番難しいのが山羊の放牧。山羊に美味しい草を食べさせつつ、かつ全体を統率しつつ歩かせ続けなければならない。僕は山羊の習性を観察しつつ良きに計らう方法を独自に編み出したのだが、一般の人にはどうやらこれは相当難しい仕事だったらしく、何度も山羊を脱走させていた。ちなみに脱走した山羊は総出で探さなければならない。後から知ったことだけれど、山羊の放牧は本来は訓練された犬と共同でやるものらしく、人力のみでやること自体ふつうではないっぽい。確かに「狼と香辛料」でも犬がいましたね。

さて、僕はこの文章を書きながら自分が何を振り返りたいのかを考えている訳だが、Arpissonでの日々で記憶に残っていることを書いてみよう。一つは高原での一夜。飼育している牛はふだんは牛舎とその周りを行き来するのだが、夏場のみ涼しい山の高原で放し飼いする。標高1700mほどのところに山小屋があり、そこで過ごしながら乳を絞るのだ。前述した通り僕は山羊担当だったため高原では一日しか過ごしたことがないのだが、そこから見える満天の星の気持ちよさは今でも思い出せる。「山で食べるご飯」というのは常に美味しいものだが、山で作るご飯を外でみんなで食べた記憶、というのも鮮烈。夜中に胡桃を食べたいのにくるみ割り器がない。そんな時に教えてもらった胡桃を手で割る方法は今でも使っている(くるみ割り器を買いましょう)。高原での記憶が一番印象的だが、山羊の放牧の間の真っ昼間に外で昼寝する生活も、あれはあれで良かった。「アルプスの少女ハイジ」を観たことはないが、およそああいった生活をしていた。干草の上で遊んだりしていた。

Arpissonの全景
少量の蜂蜜も作っていた
干草集め
集めた干草たち
牛舎
暑い時期になると牛を高原まで連れていく
高原の山小屋
高原でのチーズ造り
高原の牛乳


Reis cibo libero da montagna ('23/9-'23/10)

秋の2週間を過ごした山のレストラン。イタリアで一番好きなキッチン。Chiotmartinという山奥にある。オーナーのユーリは他のレストランで一つ星を取った後にこの地に戻ってこのレストランをオープンした。お父さんが土木系を手伝い、ユーリがその手伝いと料理をする。キッチンには女性のスーシェフのキアラがいて、とても綺麗好き。他の従業員から「キアラはキッチンの清潔さに厳しいからちゃんと掃除しないと怒られるよ」と聞いていて怯えていたのだけれど、実際にその仕事を見ると単にきちんと仕事をする素晴らしい女性だった。イタリアで会った料理人の中で一番尊敬している。

お店の外観。上下とも食堂になっている。
きのこを掃除するキアラ
2階の食堂。賄いもここで食べる。
インターンが作ったピザ

Reis の素晴らしいところは薪ストーブを使った調理をしているところ。一般的なガスによる火は一切使わず、火力が必要なものは電気を、燻製が必要なものは炭火を使っている。大鍋に野菜やハーブを沢山突っ込んで丸一日かけてブロードを作り、営業中にそれを使う光景がとても好きだった。薪ストーブは昔からずっと好きで、テントサウナや薪サウナに続き、そして薪を使った調理をここで好きになった。薪ストーブの良いところは火加減を位置で調整できるところ。火のあたりの強いところは強火、弱いところは弱火とアナログに調整できる。朝に火おこしをして、営業終了まで薪を入れ続けるという儀式が僕は大好きだ。

Reis ではウサギや鶏を飼っている。洗い場には動物の名前の書かれた生ごみ入れがあり、食べ残しや余った野菜くずは分別されて動物の餌となる。当然これらだけでは彼らの餌としては足りないが、初めて見た時は感動した。全てのレストランで導入すべき仕組みだと信じるけれど、そううまくはいかないのも理解できる。「生ごみを捨てる」という行為が昔から好きじゃなかったけれど、というかゴミを捨てること自体も好きじゃないけれど、結局のところ循環できるものに対して不要にコストをかけるのが好きじゃないのだと感じる。

Reis で学んだことは数多くある。営業後のきっちりとした掃除。営業のための2日間の仕込み。家族経営の延長線上のようなレストラン経営。コーヒーへのこだわり。気取らない、けれど美味しいまかない。近隣のカンティーナ、チーズ農家との関わり。野菜やハーブを使った調味料づくり。もう一度ここで過ごしてみたいと熱く思う素敵なレストラン。

新鮮な卵
新鮮な野菜
手作りグリッシーニ
屠殺した鶏
手作りポルケッタ
Spiedino。つまり焼き鳥。
燻製ナス
きのこの保存
チーズでお世話になっているところの山羊の移動をお手伝い
少し変わった浅煎りコーヒー

Casa Colēt ('23/12/24)

僕はキリスト教徒ではないのでクリスマスに対しては何の思い入れもないのだけれど、僕はそうでもイタリアはそうじゃない。11月末から始まるクリスマスムード。バカンスへ行く知人たち。一斉に休みをとるお店たち。そんな状況を考えると、この時期に僕も何かしら遊んでおかないと損した気分になる、と思って予約したピエモンテのagriturismo。当時手に入れたばかりの自転車を使って山道を登りながら汗だくでたどり着いた。

agriturismoってのは菜園やワイン造りと隣り合わせに存在するものだから冬季に行っても何の面白味もないのだけれど、何だろうな、冬季だからこその体験ができて印象に残っている。他の場所と違って中長期間の滞在ではなく、二食一泊。遅めのランチと朝食を予約した。

Reisに滞在していた頃に収穫を手伝ったカンティーナのワインを置いていたり、料理はどれも美味しかったりとおすすめのレストランであるのだが一番心にグッと来たのは朝食。昼食後に大きなバスケットにいっぱいの朝食セットをもらったのだが、そこに入っていたリンゴのシロップが人生で一番美味いリンゴジュースだった。その頃はシロップなるものの作り方を知らなかったのだが、今ではよくわかる。でもなんであんなに美味しかったのだろう。もう一度飲みたい。宿の部屋には菜園で採れたであろう乾燥ナッツなども置いてあって、こういう宿っていいなあって感じた。いい絵が飾ってあったり、おしゃれなインテリアがある宿っていくらでもあるけれど、その土地で採れた食材をキッチンに置いておいてくれる宿なんて僕は初めて知ったよ。

外観
食堂
朝食たち
お部屋にあった保存食たち

Agriturismo Prestello ('24/1)

ロンバルディアの山奥にあるagriturismo。ミラノから電車を3つくらい乗り継いでいき、そこから車で30分くらい。牛、山羊、豚を少しずつと沢山の鶏を飼っている。着いた初日に屠殺された豚を使ってSoppressa, Cotechinoを作ったのはいい思い出。良くも悪くもイタリアな作業風景を見られて、なるほどぉと思った。豚のラルドを包丁で切って食べたり、生ハム原木をナイフで切って食べたり、山のワイルドな生活を一通り味わった。

家族や恋人、友達が集って仕事をしているのだが、マヨネーズをその都度手作りしたり、フルーツをジューサーで絞ったりと食材への距離の近さが特に印象的。大きな薪オーブンがあり、前日から温めて次の日はパン、その次の日はピザを焼く。焼き上がったパンはお店の営業に使ったりmercatoへ売りに行く。小麦粉は近隣の美味しいものを使っている。

屠殺した豚の内臓を使ったディナーの日があり、その日はキッチンで働いている人も一緒に食事をしていた。Cena condividele みたいな名前の会だった気がするけれど、これがとても好きだった。レストランってどうしてもキッチンと食堂でくっきり線が引かれているけれど、このくらいの距離感の方が僕は好きだ。

外観
外はこんな感じ
羊たち
初日のサラメ造りの成果
パンの仕込みは前日の薪入れから始まる
焼き上がったパンたち
僕が暮らしていた部屋。木造の寒い部屋を暖炉で温めるなんとも山なスタイルだったけれど、だいぶ気に入っていた。暖炉の前でパソコンをいじっているのが好き。山って感じ。
mercatoの店番
la cena condivisa

Agriturismo LA ALEGRA ('24/3-'24/9)

フリウリにスーツケースとバッグ一つで着て半年居候していたagriturismo。ここで一緒に過ごした人たちとは家族みたいな関係性になっている。Udine から車で1時間。バスだとPradielisまでは辿り着けるがそこからは車か自転車か徒歩。10キロ弱ある。駐車場からはさらに徒歩で5分ほど砂利道を歩く。

砂利道を越えた先にレストランがある

イタリア放浪歴2年の僕がひと所に半年もいたのはここだけ。それくらいフリウリが気に入ったのかもしれない(検証中)。ロバが4匹、羊が15匹、犬が1匹、ウサギと鶏、それに猫が7匹くらいいる。

猫が拾ってきた蛇

LA ALEGRA のあるLusevera, Monte musi の地域はフリウリの中でも降水量が特に多い。3月くらいから始まる雨季の間はほとんどが雨。その降水量のおかげか、農作物はある程度育つ。山から流れてくるお水がほんとうに美味しい。Ginger Beer はここで作ると3割ましの美味しさになる。

Ginger Beerはここで生まれた

レストランの営業日は基本は土日だが、お客さんが来ればおよそいつでも料理を作る。金土日の午前中が仕込みで、その日はUdineからおばあちゃんのドリスが来る。お店の主なPrimiはニョッキ。ビーツのニョッキ、栗のニョッキ、緑野菜のニョッキ、ポレンタのニョッキなどを一緒に作った。他にもグーラッシュを作ったり、ティラミスを作ったり、子羊を調理したり、パンを焼いたり、餃子を作ったり、アルゼンチンの揚げ物を作ったり、いろいろなことをした。

新鮮な卵
ニワトコの花。シロップにする。
ジャム作り
クルミの実を味付けしたジャム
仔羊を捌く
もぎたてのビーツ
近場の壁登り(他の日本語が思い出せない)の人たちにランチを届けた
レストランに採用されたミントのデザート

調理を担当しているアレッサンドロは元々ヴェネツィアのレストランでホールを担当していたけれど調理人がいなくなってからは料理人になったちょっと異色の人。そこのレストランで扱っていた地中海料理とフリウリの家庭料理をミックスしたものをお店では出している。

ここでの半年の生活は既に過ぎたこととはいえ、未だに交流もあり僕にとっては過去ではなく現在の延長線上にあるものなのでまだ消化しきれていないが、僕がイタリアで過ごしたかった生活のほぼイメージ通りの生活ができたのだと感じている。

薪に使うための小枝や倒木を集めるところから始まり、朝の火おこし、湯沸かし、皿洗い、生活に必要となるすべてのことをやった。春は作物の種を植え、苗木を買って植える。と言っても僕はキッチンに篭りがちだったのですべての工程を覚えたわけではないが、それらが循環していく様を一通り見ることができた。

乾燥した松ぼっくりは焚き付けに使う
宿泊用のガラス張り小屋のペンキ塗り
表札のペンキ塗り
ロバのための干草
羊の毛刈り

宿泊客用のガラス張りの小屋で数ヶ月、蜂を育てるための蜂小屋の屋根裏部屋で数ヶ月過ごしながら、川の音、夜の静寂さ、星を眺めて一夏を過ごし、野生動物の鳴き声を夜な夜な聞いた。この何でもない日常が僕に豊さを与えている。

BIOのトイレ
屋外のシャワー。なお屋内シャワーは存在しない。雨の日は雨水を受けながら爆速でシャワーを浴びる。
野外ハンモック
僕は数日しか作ったことがないがユルタと呼ばれる簡易の宿泊小屋もある。
僕の朝食風景
昼の営業後にみんなでランチを食べる
誕生日の朝食
オーストリア人が作ったタルトタタン
アルゼンチンの揚げラヴィオリ
ピザを作ったり
簡易ラーメンを作ったり
蒸し餃子を作ったり
ニワトコの実で
ワインを作ったり
庭の野菜を使ってキャルソンズを作ったり
ウサギの内臓をフリットにして食べたり
冬には我が家(過去)の近くにも雪が降り積もりました




さて、ここからはここ2年のHard Thingsをふりかえる。ネタです。

いつまでも開催されないAISワインソムリエ(初年)

ブログでも何度か言及しているけれど、本来はイタリアに来てすぐに受講するはずだったAISワインソムリエのコースが延期の延期の挙句、8ヶ月後に開催された。これがきっかけで僕は家を無くしたといっても過言じゃない。このコースは宿付きのコースであることを見越して「イタリアに行って向こう3ヶ月の宿は決まっている」とたかを括っていた浅はかな僕を呪いたい。とはいえその結果AISオリーブオイルの資格をサクッと取得してオリーブ農園で働いたり、Wwoofを使ってプーリアでの生活を体験できたりと選んだ道を正解にすることはできたからいいけれど、異国の地で家なし仕事なしの環境は強烈なストレスだった。最初にこんなトラブルがあったからその後も何とかやっていけたとプラスに捉えることもできる。ちなみにAISワインソムリエのコースを終えた後も家を手に入れるまでに1年以上かかっている。

冬シーズン真っ最中に失業する(1シーズン前の冬)

これはあまり大っぴらに書いていないことかもしれない。去年の今頃急に失業した。当時は週末のみ山小屋で働いていたのだけれど、暖冬で雪が降らなかったのだ。雪が降らないと、雪を見に歩いてくるお客さんが減る。そして何より山から流れてくる水もない。水がないと料理ができない。山小屋を閉めざるを得ない。

こう理屈に沿って書くと全然納得できるのだけれど、これらの背景事情が一歳共有されず、たまたま同僚が山に登って看板を見たら「春まで閉店です」との張り紙があったと聞き、急いで電話をしたら事実上の解雇を言い渡された。電話で話した時に向こうの理屈で色々と言い訳をしていたけれど、明らかに人間関係の構築の仕方を間違えている。事前に匂わすなり、張り紙をする時点で連絡するなりやり方はあるはずなのに。これを機に「イタリアは気をつけてていてもどうしようもない」という教訓を得た。

当時住んでいたGiavenoという街には仕事がほとんどないので、これを機に居候させてもらっていた家を出て新たなイタリア放浪生活が始まったのです。。。

なかなか決まらない仕事

上記の山小屋の仕事は冬シーズンが終わったら辞めようと考えてはいた。山というロケーションを考えると夏冬のシーズンを除けばあまり多くの仕事がなさそうだったからだ。だが、まさかシーズン中に失業するとは思わず、のんびり仕事探しをしようと考えていた頭に鞭を打って急いで仕事を探すことになったのだ。ところが全然決まらない。

なぜかと言えば、僕が失業したのは1月初旬。クリスマスから年始にかけてのバカンスシーズンが終わるのが1月初旬。バカンスシーズンが終わると飲食業は軒並みバカンスに入る。冬休みだ。休業期間は場所や業態によって異なるけれど、短くて1週間。長いと1か月超。イタリア人の生態を考えるとバカンス開けの3月くらいからぼちぼち春に向けての求人を始める、という流れになる。早くて3月だ。スキー場近くなどでもない限り、冬の間は観光客も少なくなる。詰まるところ、最も求職すべきでない時期に求職を始めなければならなくなった。

まず見つけたのはロンバルディアのアグリツーリズモ。この2年のふりかえりで綴ったようにアグリツーリズモに興味を持ち始めた僕はインターネットを駆使して北イタリアのありとあらゆるアグリツーリズモの求人を調査していた。すると相手側から見つけてメッセージをくれたのだ。

Instagramで眺めた感じ、雰囲気はいい。ナチュラルワインも置いている。ナチュラルワインを置いている店で働きたかった僕としては願ったり叶ったりだ。一点不満を挙げるならミラノ南部の平野にあること。山から、自然から遠い。

兎にも角にも一度行ってみないことにはわからんと食べに行くことに決めた。こちらをもてなす気満々だったのか7皿近く運んでくれて、食べきれない量をご馳走になり、その後菜園や牛舎などを案内してもらった。泊まれる家もレストランのすぐ近くにある。感触は悪くない。

が、その後の試し働きの時期のすり合わせがとことん上手くいかない。「来週でいい?」「再来週でいい?」といったやりとりを幾度となく繰り返し、終いにはキッチンでぼや火事が起こり、試し働きどころじゃなくなった。この手の繰り返しを数回繰り返しつつも堪え性のある僕はそれでも待つつもりでいたけれど、知人のアドバイスを得てciao ciaoすることにした。

次に目をつけたのはフリウリの星つきレストラン。Instagramで求人しているのを見つけて応募した。上記のトラブルを1か月以上抱えながらなかなか決まらない仕事に対して焦り始めていた僕は試し働きができるとわかると割と強引に日を決めてフリウリに向かった。結果として、この強引さは悪手だったと認識しているがそうでなかったとしてもここで働く縁にはならなかっただろうなと思う。

レストランはフリウリのコルモンスという地域にある。フリウリ白ワインの聖地とも言える場所だ。観光客も多い。試し働きは3日間で、付け出しとアンティパストの仕込みと営業を手伝わせてもらった。日本人も働いたことがあるレストランで、イタリア人には読みづらい僕の名前をオーナーはすぐに覚えてくれた。

星を取ったことがあるシェフの元で働いたことはあったけれど、実際に星つきのレストランで働くのは初めて。レストランのホールではデシャップという指揮者のようなポジションがある。キッチンとホールの皆んなを繋げる橋渡し役。スピーディーさが求められる飲食ではこうした仕事が大事だったりするんだけれど、キャパの大きいレストランではホールではなくキッチンにデシャップがいるということを知れたのは大きい価値がある。オーナーが全体を指揮しつつ、時には要所を手伝ったりしていた。面白い。

星つきレストランの営業や仕込みを体験できたことはとても勉強になったのだけれど、キッチンが大きすぎることが僕には馴染みが良くなかった。アンティパスト、プリミ、セコンディ、ドルチのそれぞれに対して料理人が付き、皿洗いは2人、ホールの人数も十分。こんな大規模なところではお客さんの顔も見られず、また閉ざされたキッチンからはホールの様子も探れない。一日中キッチンに篭っているだけ。

そんな感想を持ちつつも、家を提供してくれて、最低限の給料もあって、まあまあレベルの高い店ならまあいいかと感じていたが、その後オーナーからの返事は途絶えてciao ciaoになった(そういうところだよイタリア人)。

その後はと言えば、この時訪れたフリウリが気に入ってバッグとスーツケースを携えて家も仕事も決めずにフリウリへと旅立つことになる。そこで出会ったのが前述したLA ALEGRA。その後も仕事はすぐに始まらず、ALEGRAでの生活を満喫することになったのでした。ぱちぱち。

1ヶ月ぶっ通し働いて倒れる(昨年の夏)

ここに書いた件です

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4,165字
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イタリア滞在期(2022.10~)を連載中です。イタリア料理、ナチュラルワイン、日々のこと。エッセィ。

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