女から男になったらお金の話が登場するようになった。
普段とりわけ興味を持って発信したくもなかったお金の話について。
はい、前置き。
コロナ禍で街じゅうの店や職場が閉まる中、ひとつの喫茶店が変わることなく営業していた。地元民に愛される昔ながらの喫茶店。全体的な色味は茶色くて、ジャズやらクラシックがよく馴染んでいる。おそらくマスター&ママご夫妻の居住地そのもの(1階が喫茶店で2階は自宅なんだろう)なので、営業をしているというよりは日常を繰り返しているだけの感覚なのかもしれない。その変わらなさを尊敬する。自分にはこうした日常が再現できないと思う。自分にとっては変化がないことが恐怖に感じられるので、変わらずにあり続けられる存在を目の前にすると妙に呑み込まれるような錯覚を憶える。
今も、そこにいる。どれほど近くても徹底的に自分とは他人でいてくれる空間。
前置き、おわり。
不安定な時期は歴史に学びたいと思っていた。緊急事態宣言の頃の興味深いメモがあった。(『文藝春秋2020年の論点100』, p.154)らしいです、メモによると。
カネのある男=(時間差の) 一夫多妻
カネのない男= 生涯独身
一部の男が結婚と離婚をくり返して (若い)女とつき合うから.
これについて考えてみる。
まあ文藝春秋に書かれていた内容は(正確に覚えているわけではないので申し訳ありません)、カネのある男が女を独占していて、生涯を通しては実質“一夫多妻”なのだと書いていた。
それに対してカネのない男は誰ともつき合えない一生をおくる。ここでは相手は「女」に限る表記だったはず。といいつつも、男同士の友情というにしたってカネは必要。なんならマウントに潰されないよう余計にカネが重要なのかもしれない。←ホモソですね。
上記記事をふまえて、わりと衝撃的だった最近の出来事を語らせていただきます。
男友達が内定をもらった。長い長い就活だった。無頓着な自分には何がなんやらわからないけれど、とにかく大企業ではあるらしい。それで言われたのがこれ。
「(あきら)も、地位を得るために必死になってみたら?」
おまいう案件。
.......まあええわ。
非常に「男」を感じてげんなりしてしまった。
多分こういうことを、女友達は言わない。聞いたことのないタイプの台詞だった。直近まで自分が妊娠・出産する立場として、一時離職する必要性を念頭において女性の仕事スタンスに共感することが多かったから、立場の違いを目の当たりにしたわけで。なるほど、こっちに来てしまったんだなぁ。
自分が「仕事をしたい」「稼ぎたい」と思うとしたら、自分自身が「仕事をしたい」「稼ぎたい」からであって、“男だから”そうするわけではない。仮に女性と結婚できたところで、このスタンスは変わらないと思う。
そっちはそっちで自分の身1人分頑張って稼いでね。共有している範囲はお互いの使用状況に合わせて割りましょう、とか言っちゃう。それプラス、自分が相手に惚れていたらその分頑張ってしまうだろうけれど、その愛を基盤に結婚の契約を交わすわけではないつもりでいるので。あんたに惚れていないから生活費やんねーよ、って言ってしまう未来がくる方が怖いでしょう?自分はそんな依存を基盤にしたくないので、あくまでも単位は個人であり、どれほど愛しても他人同士だと認めざるを得ない。わからないよ、他人のことも未来のことも。
今でも、結婚したいと思う相手と出会ってしまったから初めて「結婚」について考えて色々と調べてみたけれど、なんの甲斐性もなく「結婚したい」botである人は理解できないでいる。ことによると結婚自体が社会的ステータスになるという。そんなのは社会がおかしいので狂わないうちに離れるべきだと思う。ありがたいことに環境が変われば生活しやすくなる程度にバリエーションに富んだ世界ではあるのだし。孤独を理由に結婚を求める人はまた別の文脈になりそうですがね。
「地位を得るために必死になってみたら?」
別にそう言われたからではない、
第一次胸オペが終わって、身体的な行動の自由を手に入れた。(毎日のようにジムかプール、銭湯に通っています。自宅ではほぼ脱いでいるので、服を着ている時間の方が短くなったかも。)
第二次胸オペ(修正)が終わったら、経済的な自由が欲しいとは思っている。健康で文化的な最低限度の生活。どこまで含むか未定だけど、暇つぶしがてら稼ぎたい意欲は今のところある。わくわくする。わくわくするから稼ぎたい。自分と、愛すべきものに早く投資したい。それが巡り巡って社会のためになったら”善い”のでしょう。
自分はそんなに男で在りたくありません!