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JOG(1384) GHQは9条下での自衛再軍備を容認していた

「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」と、GHQ憲法草案作成の中心人物ケーディス大佐は考えていた。

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■■■伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』■■■
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【伊勢雅臣】 現職の教育者と思われる方からのレビューです。こういうレビューをいただくと著者冥利につきます。

・読者レビュー
「はにわ」さん
★★★★★ 「この歴史を背負い、今自分がやるべきことを意識した」

私はこの本で伊勢先生が示された、「古代から現代に至る先人たちの業績はみな、神武天皇の『国民が安らかに暮らしていけるように』という建国理念を受け継ぐ一連の営みだった」、という歴史観に大変感銘を受けました。

国民を『大御宝』として慈しまれた歴代天皇の苦闘と、その気持ちに答えようと努力した各時代の民衆の営みが、連綿と続いて我が国の歴史となっている…このように歴史をとらえ直してみると、日本人として生まれてきたことがうれしくなり、先人たちにも自ずと感謝の気持ちが湧いてきます。

そしてこの関係は、現在の天皇陛下と私たち日本国民も同じなのだ、と思い至りました。天皇皇后両陛下は、私たち国民の安寧を日々、祈っておられます。では、その祈りに報いるべく、今の自分に出来ることとは何だろうか、と考えてみました。

私は今、幸いにして、自分の個性や才能に適した働き場所を得て、日々生きがいを感じることができています。この環境で、子供たちにこうした先人たちの物語を伝え、学校や教科書では教えない、日本人として生きる意味を自覚させること。そして、日本人であることに誇りを持ち、元気に前を向いて歩いて行ける子供を世に送り出す。それこそが今、この場所で私がやるべきことだと思い定めて、今日も力を尽くしていきます。
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■1.「もう1日でものびたら、大変なことになります」

 昭和21(1946)年3月5日午前10時、閣議で幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相は「もう1日でものびたら、大変なことになります。ほんとに大変なことになりますよ」と言って、涙をポロポロとこぼしました。

 翌々日、極東委員会の実質的審議が始まる予定で、そのメンバーとして「天皇を東京裁判の被告にせよ」と主張しているソ連が入っていました。憲法改正となれば、当然、天皇制廃止を要求してくるでしょう。

 そんな事態となれば、「日本の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」とする連合国側の約束違反として、各地でが反乱を起こり、占領政策は崩壊してしまうでしょう。日本占領を成功させ、米国大統領へのステップとしたいマッカーサーはそれを防ぐ戦略を考えました。

 それは、極東委員会が動きだす前に、日本政府が民主的平和的な憲法改正案を発表してしまい、それによって極東委員会の口出しを封じる、というアイデアでした。そのために、マッカーサーは次の3箇条からなる「マッカーサー・ノート」をGHQの民政局に提示して、これに基づく憲法草案を大至急作成せよと命じました。

 (1)天皇は国家の元首である。
 (2)国の主権的権利としての戦争は放棄する。
 (3)日本の封建的制度は廃止される。

 これに基づく憲法草案の発表で、日本は自ら平和的民主的な国家として歩み始めたと国際社会を印象づけようとしたのです。これが「日本国民の自由に表明する意思」として示されれば、極東委員会はなんら文句を言うことができません。

 そのために、GHQは2月4日から12日までのわずか9日間で草案を完成し、13日に日本政府に提示したのです。その後、日本政府は修正案を提出しましたが、3月4日、GHQは拒否。GHQの原案を徹夜で日本語訳し、この日の閣議となったのでした。

■2.「すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない」

 政府はこの憲法草案を閣議決定し、昭和天皇の裁可を得ました。翌日午後5時、日本政府は憲法改正草案要綱を発表。その1時間前に、GHQのスタッフが英文の憲法草案13部に首相のサインを貰い、そのままワシントンの極東委員会に届けるべく、米軍機で出発しました。この時の幣原首相の腹は次のようなものでした。
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 ほかの点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁には自分たちで変更することができる。しかし、皇室だけはいったんぶち壊してしまったら取り戻すことができない。だから、すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない。
 天皇制の一点さえ、マッカーサーが極東委員会に対して承諾させてくれるなら、あとのことはすべて犠牲にしていいとさえ思っている。[塩田,p451]
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 いわば、「戦争放棄」を謳った憲法9条は皇室を守る為の「代償」でした。9条の条文は平和国家としての国際的なアピールさえできればそれで良いと、マッカーサー以下、9条のもとでの自衛のための再武装も容認していたのです。以下、その過程を見ていきましょう。

■3.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 もともとマッカーサー・ノートでは、次のように自衛のための戦争の放棄まで求めていました。
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 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
 日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。[鈴木、p137]
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 これに対して、民政局次長で憲法草案作成の実質的な責任者であるケーディス大佐は、こう修正しました。
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 重要な変更は、草案を数力所カットしたことです。それは私がやりました。自分でやったのを覚えています。
 まず、〈自己の安全を保持するための手段としての戦争をも〉という部分をカットしました。さらに、〈日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる〉の部分もカットしました。あまりにも理想的で、現実的ではないと思ったからです。[鈴木、p137]
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〈自己の安全を保持するための手段としての戦争〉とは自衛戦争のことで、マッカーサー・ノートではそれをも「放棄する」と謳っていましたが、この部分をカットしたことで、自衛権を認めたのです。

■4.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 ケーディス大佐はその理由をこう語っています。
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 自衛権の放棄を謳った部分をカットした理由は、それが現実離れしていると思ったからです。どんな国でも、自分を守る権利があるからです。だって個人にも人権があるでしょう? それと同じです。自分の国が攻撃されているのに防衛できないというのは、非現実的だと考えたからですよ。[鈴木、p138]
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「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」。ハーバード大学の法科大学院を出て、弁護士を務めていたケーディス大佐にとっては、これが法律家としての常識でした。

 この修正はケーディス大佐が独断で行ったものですが、それはマッカーサーも賛成する、という読みがあったようです。憲法草案は発表前に、すべてマッカーサーに報告がなされ、承認を受けているのですから。後年、マッカーサーもこう書いています。
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 戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたものであり、世界に対する精神的リーダーシップを与えようと意図したものである。・・・ 第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない。[鈴木、p139]
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 マッカーサー・ノートにある「今や世界を動かしつつある崇高な理想」とは、まず第一次大戦の反省から「紛争は平和的手段により解決すること」と規定したパリ不戦条約です。この条約をアメリカは批准していましたが、それは自衛戦争は禁止されていない、という解釈のもとでした。

 さらに当時発足したばかりの国際連合でも、国連憲章第51条で加盟国には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認められています。さらに自衛戦力がなければ、国連の平和維持軍への参加ができず、それでは国連加盟に支障がでる可能性さえありました。

 マッカーサーの狙いは、日本が平和国家として再出発したと国際社会にアピールすることでしたから、自衛権まで禁止する、というよう国際法的に非常識なことまで言い出して、余計な論議を呼ぶ必要はなかったのです。そしてその狙い通り、日本が表面上「自主的」に発表した平和憲法に、極東委員会は有効な口出しをすることはできませんでした。マッカーサーの作戦勝ちでした。

 マッカーサーはこの「平和憲法」戦略で皇室を守ってくれたのですが、それはもし皇室を守れなかったら、日本全土で反乱が起こり、自らの日本占領は失敗する、という恐れからでした。彼の脳裏には、大戦末期の玉砕戦や特攻で命を捧げた英霊たちの戦いぶりが焼き付いていたのでしょう。マッカーサーを後押しして皇室の危機を乗り越えることができたのは、英霊たちのご加護でした。

■5.芦田修正

 GHQの草案は、その後、衆議院の憲法改正案特別委員会で各条文の審議が行われました。ここで行われた最大の修正が、委員長の芦田均による「芦田修正」です。当初、提出された第9条の草案内容は、以下でした。
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第9条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては永久にこれを抛棄する。
陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は認められない。[西、p337]
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 これが、種々の議論を通じて、以下の条文に改められました。
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第九条 <日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) <前項の目的を達するため>、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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<>部分が、主な修正点です。<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>とは、戦争放棄を詫び証文ではなく前向きな理想を持って進めるのだ、という姿勢を示す表現でした。<前項の目的を達するため>は、その後の議論を呼んだ点です。芦田は後に、昭和32年の憲法調査会で次のように説明しています。
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『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。[西、p340]
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 前項で「侵略戦争は放棄する」と述べ、そのための「戦力は保持しない」とすると、自衛のための戦力は持てることになります。

■6.「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」

 この抜け道を、GHQ側は明確に認識していました。ケーディス大佐はこう語っています。
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たしか、七月の終わりころだったと思います。芦田氏が一人で、戦争放棄の条項を修正したいと相談に来ました。その〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し……〉という文章と、〈前項の目的を達するため〉という文章を入れたいと言いました。
 文章は、固く、何となく曖味な感じがしましたが、その意味するところはわかりました。・・・個人に人権があるように、国家にも自分を守る権利は本質的にあると思います。
 そこで、私は、私の責任でOKを出しました。すると芦田氏は、ホイットニー(伊勢注:民生局長)、マッカ―サーと相談しなくてもいいのですかと聞きました。私は、まったく問題ないと返事をし
ました。[鈴木、p353]
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 このやりとりを聞いていた部下二人がホイットニーに「この修正は、『自衛の軍隊』を持つことになると思うが、どう思われますか?」と尋ねました。すると、ホイットニーは「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」と答えたそうです。

 このあたりは、日本を平和国家として国際社会にアピールするのに、「戦争放棄」をどう表現するか、という点については、マッカーサー、ホイットニー、ケーディスの間で、しっかりと頭あわせができていたのでしょう。

 マッカーサーも上述のように、「戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたもの」「第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない」と考えていたので、ケーディスは自分の判断で自信を持ってOKを出したのです。ケーディスはこうも述べています。
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 芦田が第九条の修正案を提案をしてきた時は、むしろうれしく思いましたね。というのは、あの修正によって、独立国としての立場が明らかになったからです。使われている言葉は重苦しいものでしたが、それによって、たとえば日本が国連加盟国になる場合の助けになると思いました。[鈴木、p355]
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■7.多くの憲法学者は「憲法評論家」に過ぎない

 ただし、芦田はこの修正の意図を国会や委員会で明確に説明しておらず、そのため芦田修正をもって、自衛のための再軍備は可能とする解釈を、現在も日本政府はとっていません。そのかわりに、九条一項の「戦争」は、侵略戦争を否認したものであり、また2項で憲法が否認する「戦力」については、それに至らない「自衛のための実力」は認められるとの解釈によっています。

 ここから、自衛隊は軍隊ではない、というアクロバット的解釈が行われているのです。しかも、憲法学者へのアンケート調査では118人中77人、65%が自衛隊は「憲法違反」ないし「その可能性がある」と答えています。それでいながら、「憲法改正をする必要がない」と答えている学者が、107人中99人、92.5%です。[朝日新聞]

 自衛隊が憲法違反というなら、憲法を改正するか、自衛隊を解消するか(その場合、国家の自衛をどうするか提案する責任があります)どちらかを主張しなければなりません。憲法違反と言いつつ、その状態を座視しているのでは憲法学者というより「憲法評論家」です。医者が患者がガンにかかっていると診断するだけで、どうすべきか言わないのと同じ無責任です。

 西修教授は昭和59年から60年にかけてGHQの憲法草案起草者の何人かにインタビューを行いましたが、ケーディス氏を含め、彼らは日本国憲法がいまだに改正されていない事に驚いていたと記しています[西、p173]。

彼らにとっては、日本国憲法は極東委員会でのソ連などの口出しを防ぐための急拵えの「仮設憲法」であり、日本が独立すれば、当然、自分たちで自前の憲法をつくるはずだと考えていたのです。それが国際的な憲法常識です。その憲法常識がなぜ国内で実施されなかったのでしょうか?

 その一因は「憲法評論家」のみ多くして、憲法のあるべき姿を国民に訴える真の「憲法学者」が少なかったからでしょう。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

・テーマ・マガジン「日本国憲法~外国人が9日間で創案し、80年近く改訂されず」
https://note.com/jog_jp/m/mc63060cde456

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・朝日新聞Digital「安保法案 学者アンケート」
https://www.asahi.com/topics/word/安保法案学者アンケート.html

・古関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』★★★、岩波現代文庫、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4006003617/japanontheg01-22/

・塩田潮『日本国憲法を作った男-宰相幣原喜重郎』★★、文春文庫、H10
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4022618930/japanontheg01-22/

・鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』★★、角川ソフィア文庫、H26
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・西修『日本国憲法はこうして生まれた』★★★、中公文庫、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4122036372/japanontheg01-22/

■伊勢雅臣より

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