桜と愛と時間の流れ(休職エッセイ)
毎日を送る中に、幸せはある。でも、それに気づけないときもある。
逆に気づきやすいときは、人から何かをしてもらったときだ。
人様の生きている時間の中で、自分を想ってもらえる時間がある。こんな幸せなことはないだろう。
同じく、自分が愛する人のために何かできることがある。愛する人がいることが、幸せなことだと、日頃の生活では気づかないときもある。
そういったやりたいことをする時間よりも「やらなきゃいけないこと」に自分を支配されていることが多いからだ。
「だから君も毎年、春は忙しないよね」
桜を見ているときに夫が言った。一緒に桜を見る春は、久しぶりだ。
春は新年度で仕事の状況が変わることがある。それに税金関係の支払うものが多くて心が忙しい。
季節の変わり目の体調不良、人事異動などで日頃付き合う人との関係の変化、いろんなことでドッと疲れる。
ふとした空いた時間は、気づいたらスマホを見ているだけで流れてゆく。
それだけで精一杯で、愛する人を想う余裕がないのだ。
咲きかけの桜だった。蕾がたくさんついていて、今にも咲こうとしている姿を愛でた。
満開になったときも、この人の隣で見たい。
心の中でポツリとそう願える喜びを感じていた。愛が自分の中にあり、愛を感じる余裕があることで、穏やかな時間に包まれる。
たったこれだけの短い日常の時間が、愛おしい一ページに変わる。
成功や欲を捨てて生きているわけではない。
だから、愛さえあればいいと思うほど、清いわけでもない。
そんな自分だと知っているからこそ、その愛だけに浸る余裕があり、物質やお金がなくても幸せを感じられる日は、特別な日だ。
美しい桜色のリボンをぎゅっと結んで、心の中に留めておこう。
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