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「判断」は、妄想であり、勘違いだそうです

 「反応しない練習」という本を読み進めています。


 その中で「判断」が人間の悩みや苦悩を作っているから捨てなさい、という話がありました。

 この仕事に意味がある・ない、人生は生きている価値がある・ない、うまくいかないのでは、どうせ自分なんて、失敗した、最悪、ついてない、あの人嫌い・苦手だ……

 これらの自虐・失望・落胆・人物評・決めつけ・思い込みの全てが「判断」であり、「妄想」であり、「勘違い」というのです。


 そしてその「判断」が自分の性格に影響し、「こうでなければいけない」という完璧主義や頑張りすぎの性格を作り、「判断」が私たちの人生を支配してしまう、自分や相手を苦しめるという話がありました。


 まだ読んでいる途中ですが、いくつか私の中で感想があります。

  • 職業において「判断」が必要な仕事がある

  • 親や上司といった自分より目上の人の「判断」による情報を通じて、自分が形成されてきたこと

  • SNSで「判断」を書くことで「快楽」が得られるため、暴走する人たちが出てくる


 私は大学時代の恩師が「批判は大事」という人でした。学術上の話です。また、私の父も大学教授でした。自分の意見は、絶対何がなんでも曲げない人でした。

 事実として、恩師の子供も、父の子である私も、うつ病です。自分の論を唱えるのが職業である人の子は、苦労しやすいのかもなぁと想像しました。勝手な判断にすぎませんけどね。


 そして会社の中の判断のオンパレードなんです。会社で考えていることの9割が判断。マジで判断。

 取引先とどう対応していくかとか、どう経営をよくしていくかとか、この課題を解決していくかとか……。

 果たして今後も仕事をしながら、私はこの「判断」を棲み分け、縁を切っていけるのか。乞うご期待。


 まだ全体の3割程度しか読んでいないのですが、今日はこの部分が本当に自分の中で知れてよかったことです。

 また読み進めて、理解を深めていき、自分が苦しまずに生きていける土台を築いていけますように。

 

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