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言葉を細かく刻み始めました

作家になりたい私は、最近、言葉の勉強をしているんですね。

それだけでも私の生き方が変わってきたと、日常の変化を感じています。


それは例えば、今まで「歩く」と一言で伝えていたことを「どんなふうに歩くのか」伝えようと思うようになったこと。  

その「どんなふうに」を「どんな言葉で言い表せるか」考えるようになったからだと思います。 


そう考えるきっかけはなんだったのか。

私はnoteで小説を連載していますが、小説の中で海外の美しい海を書くのに苦労しました。


その海の写真を見て「これは何色と言うべきなんだろう」とか「波をどう表現したらいいのだろう」とかなり悩みました。


青みの色だけならカラーパレットを見ればいい話なのです。


でもこの輝きは、透明度は、なんと言い表せばいいのだろうと思いました。


そうして今まで全く興味のなかった、言葉に興味を持って調べると面白いですね。


その小説を昨日一つアップしたのですが、まさに最後の一段落部分の主人公の気持ちは、無意識に私の気持ちだったと気づきました。


七色しかなかった世界に、淡い色、渋みのある色、透明感のある色などが足されていくイメージだった。


クレヨンにある青色の世界だけでない。澄み切った水色やターコイズカラーもある。エメラルドグリーンや海の奥の深い藍色も。

自分のパレットに色が増えているような気分だった。

トイレ世界漂流記#11 (ジョーツマ)




知らない世界を知ると、人生の彩りが増えると言うべきか。

これも表現と説明が難しいのですが、私の中では言葉を細かく刻むイメージ。

大きな粒度の言葉を小さくしている感じ。


「寂しい」と言わずに「寂寞(せきばく)の思い」と言ってみたり、膝を抱える描写をしたり。


私の中では、「寂しい」ということばを刻むことで中からそういう言葉や描写がヒラリと出てくるイメージです。

そういうことがうまく言い表せるようになったら、下記の小説も少し修正したいと思っています。


まだうまく書けないけど、その成長過程を自ら楽しみたいと思います。


○連載中の小説はこちら

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