はじめに(1)ーこれからの時代、外国語を学ぶ必要はあるのかー

斎藤孝先生の名著の1つだと思うのが「身体感覚を取り戻す」です。
これが出版される以前に私自身は、河合塾で長年、東大京大コースの国語を担当されてきた先生に1年間少人数で教わった経験があります。
その先生に、ある日の授業中にこんな質問をしました。
「なぜ、各予備校の分析は的中しないのですか。あれだけ東大や京大の分析にはお金と時間を掛け、専門家を置いてるのに。」
と。それに対する返答は、

「普段から最新の論文に触れている日本を代表する研究者達が、選びに選び抜いた文章を入試では使っている。そうやって選ばれた文章は、『最高の教材』であることは間違いないし、また名著であることは間違いないだろう。だからこそ、自分の身体に染み込むまで、完全に暗譜するくらいまで何度も何度も読み返すことが重要なんだ」
というものでした。
最初に紹介した「身体感覚を取り戻す」という本が出版される数年前の話でした。その先生は、「じっくりと自分の身体に古典も含めて日本語のリズム•音感を染み渡らせることが重要なんだ」ともおっしゃっていました。
当時は、「そうなんだ」くらいしか理解出来ていませんでしたが、あれから数十年経った今では分かる気がします。

現在、コミュニケーションという名の下に日常の英会話などが重視され、テーマや内容が難しい文章を読むこと(決して、構文や単語の難しさではない)が以前より軽視されています。これは多くの英語の専門家が指摘していることではありますが。
私自身は、目的が置き去りにされているように感じています。何のために学校教育の中で外国語があるのでしょうか。

アフリカで活動していた時にこんなことがありました。初めて触れる現地語を一緒に行った同期や後輩達がほんの半年以内にはもう活動に支障がないくらいまでに使いこなしている姿があったのです。それは何人もの協力隊隊員が、です。つまり、人間は必要に迫られたら、そのようなことが出来る能力を持っている、ということです。
人間の能力とはそれぐらい秘めたものであることを実感しました。
更に、今後もっと自動翻訳機が進化するでしょう。

これらのことから、私自身、これからの時代、まずは「日本語」が重視される時代になると考えています。(好きなら外国語の勉強はどんどんやればよいと考えています。)
私の考えの根底は、楽しんでのめり込むものを突き詰めれば、本質をそこから自然と学べると考えているからです。

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